雑考閑記

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雑な考えを閑な時に記す

『探偵王子とフォルトゥーネ』

探偵王子とフォルトゥーネ

黒井ここあ/ちょこれいつ(2017)

 

(20170909公開)

 

 作品では魔法と音楽が不可分な要素として結びついている。
 これらはいずれも目には見えないながらも、人々に働きかける不思議な存在といえよう。作中で歌が力を持つのは、歌を鍵として魔法として作用するのが原因であるが、歌を聞いて心が動くのは物理作用を伴う魔法の力ではなくて歌の力であると思う。
 作品の根底にはそうした歌の力への肯定感が力強く息づいている。

 

 ところで作中で魔法と音楽が不可分な関係にあるのは、魔法が口訣で語り伝えられているからだろう。文字がない文化で長い語りを覚えるには節や抑揚をつけてリズムをとるのが一番よいのであるが、おそらくはそうした技術上の要求から魔法と歌が密接なものとして設定されているものと思われる。

 終盤に勢ぞろいする人物の大体が身近にいない人を求め、焦がれている。
 セシルはリアを、パーシィは〈記憶の君〉を、ジャスティンはフォルトゥーネを。ベラドンナとチャリオットも本当の目的は別であるが、その実現のためにフォルトゥーネを求めているのには変わりない。
 作中ではそうした人々を多義的に夢追い人と呼んでいる中にあって、メルヴィンだけが最初から現実におけるセシルを求めている。彼だけが最初から女神のシステムと距離を置いて存在している点が印象深い。ただしこれは一見すると差異があるように見えるのであるが、彼が求めているセシルは実際には男であるわけで、そういう意味では彼もまた何か架空の存在に恋をしている夢追い人といえるのかもしれない。

 

 ときどき拗ねたり不貞腐れたりもするけれど、基本は真っ直ぐな少年と、人を食っているようでいて純真な青年。
 両者に契約と女装という要素が加わることによって、歳の差がある男同士の関係に打算と疑心の色が混じり、(あとがきにある通り)ときに反発、ときにいびつな部分が生まれてくるが、それが本筋を進める原動力となっている。
 そうした要素がある程度解消されるラストにおいて、彼らがちょっと歳の離れた友人関係になれるのかはまだ見えない。しかしながら対等な友人関係を築くための、二人の関係の新たなスタートとも読める明るい締めである。
 既存のシステムという運命の輪から外れたからこそ、そこからの新たな関係の構築が重要になっていくのだろう。それはセシルとパーシィのみならず、女装で接してきた人たちとの関係や、システムから解放されて故郷に戻った人々がこれからどう生きるかも含んでいる。
 もちろん眠ったまま目覚めない彼女がどうなっていくのかも。
 会計は済んだけど清算はこれから。結末はそんな印象であった。

 

 二人が向かい合う口絵のデザインが良い。

 マップで、王都の右上にある長城が気になった。