【私的所感】第6回テキレボ
『第6回テキレボ』備忘録と所感的なもの。会場行ってないのに長い。
全て個人的な見解。辛口に見える部分もあるかもだけど、いずれにも悪い感情を持っていないことは明記しておく。
(20171103公開)
最初に断っておくと、某都市倶楽部はテキレボに出展しているけれど、僕自身は会場に行っていない。だからこれはサークル参加した旨のレポートではない。よって個人的な方にあげておく。
新刊にあわせての事前準備の事務的な業務はほぼすべて僕がやっているのと(実務は人見くん、広報は広報様)、現地に行った人見くんやタイムラインを後追いでバーッと見たり、他の方のレポートを拝見させてもらったりして、取りとめなく浮かんだものをとりとめなくつづる。
僕は僕自身においては隠すべき内情を持っていないので、割とあけっぴろげに書いてある。ただ、繰り返しになるがどこへも悪い感情は持っていないのも事実で、辛口に見える踏み込み方をしていてもご容赦願いたい。愚痴ではなく戒めとして今の状況における僕の考えを確認、表明しておく。
公開するのは人に読んでもらうというよりも、中身を変えたり消したりしないためだ。
目次
テキレボのこと
某都市倶楽部としては秋テキレボには初出展。やること自体は概ね春テキレボと変わりない。が、僕は行けないので今回行った人見くんにとっては実質の初参加である。
僕は現地に足を運べていないので、イベントの外周をなぞるようなことに触れておく。
前日の懇親会とか行きたかったよ! 当日もあわよくば駆けつけて、と野心を持っていたけれど無理でしたね。
申し込み
先着申し込みなので、早い者勝ちである。
僕の性格的に申し込み後のキャンセルの可能性を想定してしまい、即応募といきにくい。
実際、今回僕は申し込み時と状況が変わって上京できなかった。一か月ぐらい前までは「7割ぐらいの確率で行けない」なのだけれども、実際に「絶対行けない」が確定したのは三週間前である。
今回は人見くんが早い段階で行けるのが確定していたので、企画などの申し込みができた。二人ともぎりぎりまで行けるのが確定していなかったら、企画には参加どころではなかっただろう。
申し込んでおきながらのぎりぎりキャンセルか、当日欠席という事態はあまり招きたくない。そんなわけで、毎回じりじりと減る直参枠を睨みながら申し込みを可能な範囲ぎりぎりまで検討している次第である(準備会が申し込み数の途中報告を発信してくれるので非常に助かっている)。
先着方式自体は、万が一の抽選を発生させないためのやり方だと勝手に解している。是非もなし。
事前準備と広報
スケジュールを立てて色々していたのだが、喉元過ぎればなんどやら。
広報様と協力して文章等を考えて広報。各参加企画への申し込みやそれに係る渉外。
内部事情で発刊の確定がぎりぎりだったので胃がきりきりした。全般的に遅れが累積していき、最終的にはぎりぎり間に合ったものの、理想的なスケジュールから言えば3週間弱の遅れであった。原因は判明しているので、改善するために部内で協議していく。
表から見れば予定通りに進んでいた(新刊を延期していない)のが最大の救い。
広報の主要な方法はもっぱらツイッターだ。そこからWebカタログやブログに招き入れる形を取っている。週末を中心に適宜ツイートをしている。文言は基本的に繰り返し。
他イベントの開催前日などはツイートを控えめにしているようだ。
Webカタログ公開からイベントまでの期間が長かったので、広報が人力Botのように事務的になってしまったのは反省点である。同じ内容を流しているとときどき不安になって来るよね。
新情報の公開についてはツイッターが第一報となるものの、後になるとその発表日がわかりづらいので、今後は可能な限り記録を取っていこうと思う。
お誘い
今回、ある伝手でサークル『DIMENCIA』の方々に「テキレボというイベントがあるんだけど、見学に来ませんか?」(意訳)と声をおかけしていた。
なぜ声をおかけしたのか、理由は明快だ。
直球で書くが、テキレボというイベント、それも文章系の即売会があることを知っていただき、かつ実際に会場に来ていただき、どういう場か実感していただきたかったからである。
過去のテキレボアフターレポートで、テキレボの来場者をどう増やすかという課題が示されている。
ゆくゆくは『DIMENCIA』様もサークルとして参加するようになって、そちらの方面からも一般参加者が増えればいいなぁ、と感じている。そのためにはまず『DIMENCIA』様に楽しんで参加していただければ、と考えたのである。
好感触を得られたようで、お誘いした身としてもほっとしている。
事前レクチャー
僕は少しばかりテキレボの勝手を知っているけれど、人見くんは初参加である。
文フリやコミティアと違って企画という参加枠もあるので、それに伴う設営以外の作業やあいさつ回りを考えればやることは多い。代行や300字SS企画の振り分けも自分でしなければならない(上にも書いたように、各参加企画の渉外はすべて私の担当なので、彼は企画ごとにどう参加するかも知らなかったと思う。もし彼の個人サークルならば、何ひとつ企画に参加していないだろう)。
初参加であれこれやる(遠隔地でやらせる)のはなかなか難しいものだ。そこで事前にやるべきことを資料にして、人見くんにレクチャーする形をとった。
イベント終了後、自発的な報告をもらっていないので、皆様にご迷惑はおかけしていないと思う。
企画
各企画ごとの締め切りは早い段階で把握しておいたほうがいい。場合によってはテキレボ公式サイトに各企画の詳細がまとめられる前に締め切られるものもあるかもしれないからだ。また早い段階で企画を知っておけば、それにあわせた作品作りも可能というもの。
しかし公式で各企画の詳細がまとめられるよりも前に、一体どれだけの企画があるのかを把握するのになかなか手間がかかった。私はれぼんちゃんの定期つぶやきで捕捉するなどしてメモっておいた。ある段階(「6月末時点」など)での開催決定した企画の暫定的な一覧が公式にあればいいなと思う。
企画締切は情報の取りまとめや企画参加サークル一覧作成の関係から、およそ8月末~9月ごろが多いようである。つまり企画に新刊で参加したいサークルは、それまでに新刊の内容を概ねとりまとめておかないといけない。
某都市倶楽部は今回それがかなりぎりぎりだった。企画の締め切りが早いのではなく、うちが遅いのだ。
今回の参加はMAP系2つ(異性装、ゴブガリ)、300字SSラリー、みんなのごうがふかいな展の計4つ。
MAP系は事前に情報を送りさえすれば、後は当日に配布MAPの受け取りぐらいだ。入念なレクチャーは必要ない。
異性装企画(正確には「女装男子&男装女子の集い」)は事前の対談企画が良かった。作品に別の切り口を与え、引き出してくださった企画主催様には深く感謝を申し上げたい。
*某都市倶楽部の対談企画のまとめ→【 ☆蒸奇都市倶楽部さん作品紹介対談会☆ 】
ゴブガリ企画は、作品内容やジャンルではなく、冊子の部数を対象とする着眼点が面白かった。個人発行の同人誌という形で頒布する即売会ならではのやり方だろう。
MAP系企画は参加のしやすさが魅力的だ。各企画の主旨と作品が合っていれば、大概は情報の送信だけで良いので大きな手間もない。
頒布という観点から言えば、自サークルのあらすじや紹介で推していないけれど、作品に含まれている属性等を明示できる強みがある。Webカタログ等で見落としていた方にアピールできたり、同じ指向(俗に性癖と呼ばれるもの)を持つ人に強く訴求できたりする。
MAP系企画は条件にかなうのならばどんどん参加していっていいだろう。
300字SSラリーはWebカタログへの登録は私が済ませている。当日の流れについては、企画側が示してくれる事前の資料や説明が豊富だったので、振り分けの方法に関してもこれを活用、補足する形となった。
お買いもの代行サービス(『お買い物代行サービス』のポストカードへの注文分を、300字SS企画が分担しているようだ。業務内容によって窓口が違うようなものと言えばいいだろうか)と同じ要領での事前の連絡もよかった。
というかあの充実ぶりは他に類を見ない。Excelを用いた事前の配布シミュレーション(どこにポストカードを入れたらいいか分かる)はその最たるものだろう。
継続性という観点からも、各参加者のミスを防ごうという気概を感じられた。
300字SSラリーは参加すれば、ラリーという性質上から多くの方がブースに訪れてくださるはずだ。ポストカードの印刷費もそんなに高くはないので、可能ならばサークル参加したほうがいい。
ラリー挑戦者はポストカードという目的を持って各ブースを回るので、ブースで立ち止まるという心理的な障壁を和らげてくれる。そうした方に上手く声をかければ、冊子を手に取ってもらえる確率も高まろう。
人見くんは無配をチラシ代わりに配るという発想がなくて、ポストカードラリーで回ってきた方だけに頒布したそうだ。もったいない。
みんなのごうがふかいな展も事前に方法がしっかり示されていたので人見くんにレクチャー。当日に企画主催のひざのうらはやおさんからも人見くんにご教示いただいたようで、場末からながらお礼を申し上げます。
「ごうがふかいな」を説明するのは難しい。とにかく読んで感じてもらうしかないと思う。
1枚100円引きとなるチケットがついてくるこの企画は、割引で本を手に取ってもらいやすく、「とにかく読んで」もらう敷居を下げるのでとても良い。
作品頒布に貢献するには、各参加サークルごとの「事務局発行」のチケットをどう使うかが鍵だったのではないだろうか。
ちなみにうちでの頒布はちょっとはかばかしくなく、企画主催には大変申し訳なく思う。
頒布
宣伝に力を入れたと自負している割には伸び悩んだ。上手く頒布に結び付けられなかったので、要因を考えて活かせるようにしていく。
品揃えが少しずつ変わっているので一概に比較はできないが、テキレボの過去参加分と比較して減っている。もっともはけているのが第3回(2016年春。新刊は『手向けの花は路地裏に』と『身を尽くしてもなお沈み』)で、比較すると頒布数(≒額)は半減。
第3回テキレボ(2016年春)で新刊が出て、その次の新刊が出たのが今回の第6回テキレボ(2017年秋)。
この一年半品揃えが変わらずにやって来た影響とみられる。その間に増刷もしておらず、在庫切れ(完売)も出ているので、全体として減少しているのだろう。前向きに考えれば某都市倶楽部の冊子を欲しいと考えている人にはある程度行き渡っているのかなと。
10月末時点での頒布総数(≒売上)は昨年からの3割減ぐらい。
11月の東京文フリでどれだけ伸びるかかな。最終的に2割減となると予想しておこう。
「気になる」
テキレボのWebカタログをいま確認したところ、「気になる」が開催二日前(26日)比で1.5倍に増えていました。当倶楽部分に関しましては、前日、当日にチェックを済ませた方が多かったのかもしれません。他サークル様のデータも気になりますね。
— 蒸奇都市倶楽部 (@steam_city_club) October 29, 2017
と広報様が述べておられるが、これは当たり前だろう。前日ぐらいに「気になる」が増えているのを不思議に思うのだとしたら、そこには宣伝する側と買う側の認識のずれがあると言わざるをえない。
テキレボのWebカタログ開放は参加費の支払確認後だったと記憶している。
某都市倶楽部に関して言えば、6月18日には解放されており、開催までの4か月はいつでも閲覧できる状況にあった。(※6月は新刊の発行や各参加企画当が未確定だったので、情報量はいま閲覧できる状態よりずっと少ない。)
入金でテキレボWebカタログが解放されましたので、現行で持ち込みが確定している頒布物を記載しました。蒸奇都市倶楽部@第6回 Text-Revolutions https://t.co/bwSa4DnTXO #テキレボ
— 蒸奇都市倶楽部 (@steam_city_club) June 18, 2017
期間が長いので、宣伝して売る側としては、なんだかずっと宣伝が続けているような気がする。
というのは宣伝(売る)側の認識にすぎない。
実際に買う側はそうではない。
秋のイベントのカタログを夏が始まる前に確認する人は少数派ではないだろうか。テキレボは10月の末だ。その間にも様々な即売会イベントがある。早い段階から「気になる」を押す人は少ないのでは、と思えるのだ。人にもよるだろうが、こういうのは大概1~3週間ぐらい前に見るので十分だろう。テキレボの参加サークル数でいえば、時間が取れるのなら前日でもいいかもしれない。
というのが、買う側の認識ではなかろうか。
だから二日前(26日)以降の「気になる」が増えているのは不思議ではないだろう。
むろん広報も言っているように、某都市倶楽部の状況だけ見ての推測にすぎない。
一方で自前で比較できる過去のデータと比べると、某都市倶楽部の「気になる」が頒布数に比例して右肩下がりという事実がある。これは【<b>◇頒布</b>】で述べたように『一年半品揃えが変わらずにやって来た影響』だろうか。しかし今回は新刊を引っ提げての参加である。「気になる」が増えていないのはやはり宣伝不足、あるいは作品の訴求力が弱かったためだろう。
他方で興味深い事実もある。
ハッシュタグ「#テキレボ戦利品」で見かける、某都市倶楽部の冊子の目撃率が前回までに比べてものすごく上がっているのだ。その方々が「気になる」を押しているかどうかまではわからないが、ハッシュタグで見かけた実数から言えば「気になる」の数=頒布数ではない(直結しない)という一つの証拠だろう、とは思う。実際の頒布数が「気になる」を上回っているという事実もそれを裏付けている。
もちろん「気になる」を押さないで買う人もいるので、「=頒布数」ではな。だから「気になる」に振り回されるのもいけない。ただ全体の数字の指標にはなるので、軽く見るわけにもいかない。
お買いもの代行サービス
ポスティング作業が加わった。
注文分を持ち込む先は会場内の隅だったと聞いている。前回比較で、ポスティング作業が加わる代わりに、別フロアへの移動がなくなっているわけだ。これは良い変更だったと僕は思う。
もっと言えば今回も別フロアへの移動があっても「良い変更」と僕は言っているだろう。それぐらいの作業の追加は各参加者としても受け入れられる範囲なのでは、と見ているからだ。
お買いもの代行サービスへの対応は任意だ。極論すれば注文は無視してしまってもいい。対応は各自の任意という前提の上で、各サークルが代行サービスによる発注に対応するにあたっては、各自で少しずつ負担する方法を採っている。
この作業は、皆でテキレボという場やシステムに関わっているのだという自覚、ひいては共同体意識を育むのにもつながっているのではないだろうかと思う。「それぐらいの作業の追加は各参加者としても受け入れられる範囲なのでは」と書いたが、共同体という関わりへの意識に照らせば、各自の作業は代行サービスというシステム継続への労役といえる。みんなでちょっとの負担を分かち合って大きな負担を軽減しましょう、というわけだ。
お買いもの代行サービスはテキレボの特色の一つともいえるが、一方で運営に大きな負担がかかるシステムだと僕は見ている。サークル参加者と運営の負担の応分をどこに設定するか、その見極めは非常に難しいだろう。やり方がちょくちょく変わっているのも、その見極めの難しさを語っているように思われてならない。
お買いもの代行サービスというシステムは素晴らしいものだと思っている。
しかしまことに僭越な話であるが、僕はこのサービスにかかる運営の負担の重さを個人的に心配している(実際の状況は聞かないとわからないので、いずれ直接に参加した際にお話をお伺いしたいと思っている)。
以前、某都市倶楽部の広報を通じて通販代わりに使えるといった文言をツイートしてもらっていたが、裏方の負担を思えば軽々しく宣伝していいのか個人的に悩んだ。
結果として僕はお買い物代行サービスに関するツイートをしないよう、某都市倶楽部の広報に求めて、それを受け入れてもらった。今回の広報のツイートを見返してもらえれば、お買い物代行サービスには触れていないのが分かってもらえると思う。
もっともそれは代行サービスを通じて某都市倶楽部の冊子を注文する方を排除するものではない。
私は反お買い物代行サービス派というわけでもない。積極的に反対しているのなら【代行非対応】としている。あくまで消極的なだけで、この方向で積極的に広報を行い販路を開こうとは考えていない、というだけである。そこは誤解なきようお願いしたい。
なので発注には能う限り応じていく。
イベント後のツイートを瞥見する限り、お買い物代行サービス分の発送などは以前より早くなっているようだ。運営の負担が減っているのならば、明るい展望といえるし、僕としてもそこに乗っかってもいいかなと思う。
いずれにせよ、ひとまずは主宰からのアフターレポートで数字が示されてからの話となる。
テキレボについて
テキレボは「大人の文化祭」を標榜している。その喩えに乗れば、メインはステージや模擬店だろう。これらが賑わい、今後も文化祭が活気あるものとなって人々の入りやすい場となることをつとに願っている。
某都市倶楽部のこと
宣伝
某都市倶楽部は広報には力を入れているつもりである。でなければ専任の広報を置いて、それ用のアカウントを作ったりはしない。しかし前項の【頒布】で述べたように、今回は宣伝がいまひとつ頒布に結びつかなかったと見ている。
ちなみに僕がここで言う「広報」はツイッターやブログで出展や頒布冊子なんかを伝える行為を指す。「某都市倶楽部がテキレボに参加しますよ。○○という企画に参加しますよ」と広める行いだ。
一方「宣伝」は各冊子のあらすじや構成など具体的なものについて触れる行為を指す。「某都市倶楽部の頒布物に興味を持ってもらう」行いで、広報から一歩踏み込んでもらうための仕掛けだ。現状ほぼ販促に等しい。
現地のブースで喩えれば、広報はスペース番号やサークル名の表示や机の上に並べた見本誌といった展示で、相手にとっては半ば受動的な行為となる。宣伝はチラシや見本誌を読んでもらう施策で、相手に能動的に動いてもらうための働きかけだ。
今の広報と宣伝の割合を示せば7対3ぐらいであろうか。これは広報の割合を増やしているというよりも、宣伝の方法を上手くつかみきれておらず、試行錯誤的になっているため、結果的にそうなってしまっているのが実情といえる。
僕は広報補佐として、広報の方向性には概ね満足している。一方で宣伝は上手く回せていないと感じている。
宣伝の方法を上手くつかみ切れていないと、どうして感じているのか。
畢竟するに宣伝したい対象の妙味やエッセンスを、某都市倶楽部が上手く把握できていないのである。もっと踏み込んで言ってしまえば、作者が自分の作品のどこが面白いのかわかっておらず、さらには推したい(売りたい)ポイントを胸を張って広められないケースが多いのである。
具体的に言う。
今回『蒸気人間事件』のあらすじで、作品内容にどこまで触れるか、原案・原著者の人見くんと監修・広報補佐の僕とでまるでかみ合わなかった。
僕は「宣伝」を念頭に人々の興味を惹こうと、作品の核心に通じる単語や内容をほのめかしてあらすじに入れたいと考えていたのであるが、人見くんは作品の核心に通じる部分は、例えほのめかしであってもネタバレになりかねないと肯んじてはくれなかった。
人見くんは作品の20%ぐらいまでのストーリーラインをあらすじとして書き出したいという。しかしその20%の箇所にも散りばめられている、作品の核心に通じる伏線にも触れたくはないというのである。僕としては「ここに注目して! どう展開するか楽しみでしょ!」と煽りたいのであるが、人見くんとしては「こういう流れで話が進みます」という説明だけをしたいのだ。
これは考え方の違いで、どちらが良いか悪いかという話ではない(ゆえに喧嘩をしたり仲が険悪になったわけではない)。
ただ、人見くんに宣伝関連で「どこを推したい?」と聞いても明確な回答を得られなかったのは、広報補佐としては大いに不服をいだいたのも事実である。
もともと僕も人見くんも作品について能弁な性質の人間ではない。しかし新刊を出すにあたって、もう少し宣伝に資するやり方があったのでは、と思っている。むろん僕も人見くんのやり方にのっとった方法での宣伝のやり方を模索していって、互いにすり合わせていくのが筋だ。
といって態度を改めよと強要するのもおかしな話である。趣味なのか仕事なのかという大きな壁があるからだ。「趣味で書いているのに、なんでここまで言われないとダメなんだ」とならないよう、個人の態度との均衡をうまく取る形をさらに模索していくことになるだろう。
そうして均衡をとった上で作品に切り込んだ形で宣伝をしていかなければ、7対3の割合は崩せないと見ている。
これは誰が良い悪いの話ではない。しかし団体的な課題であると認識している。自分がメインで執筆する際にも当てはまることだ。
固定的な見解とならぬよう、作品冊子ごとにそのつど考えていきたい。
僕は「広報」と「宣伝」、さらには「接触(コミュニケーション)」を合わせて「PR」になると思っている。
今回「接触」には触れなかった。けれどこの双方向性も、某都市倶楽部はもっと上手くやらなければいけない。現状はほぼほぼ一方的な垂れ流しであるからだ。広報アカウントと各部員のアカウントの連携もほとんどない。リツートなんかは、各部員よりも他の方に多くしていただいているぐらいだ。その方々には本当に頭が上がらない。
広報アカウントは事務的に、という原則があるのでそこに縛られすぎている面もあるのかもしれない。
接触の場はネットやSNS上に限らない。むしろオフライン活動が主軸の団体なので、
イベントという場での触れ合いが基点になるだろう。そこからネット上にも広めていけるような、つまり読者とだけではなく、オフラインとオンラインでも双方向性を含ませて「接触」を増やしていける、そんなビジョンを明確化する方法が望ましい。
いずれにせよ「PR」の域にまで高められるよう努めたい。打てば響く反応を目指したいものである。
我が身を振り返る
某都市倶楽部の一員としての僕と、個人的な僕とでは、イベントに関する姿勢にちょっとばかりのずれがある。(お買い物代行サービスに対する態度もその顕れだ。)
ここでは「個人的な僕」の所感を少し言っておく。
最初に書いたように、悪い感情は抱いていないことも予防線として改めて記しておく。
以前から時々「テキレボ村」という言い方を見かける。文脈によって意味が変わる言葉なので、前後をよく判断しなければならない。閉鎖環境的なものという意味で捉えると悪くなるし、みんな顔見知りと捉えると良い意味になる。
この項では「村」という表現を「ある程度の指向性を持った集まり」としておく。そうした集まりにおいて、僕は境界付近を行き来する漂白民、もしくはマージナルマンとしてやっていきたいと思っている。
これはある意味でひざのうらはやおさんの『願わくばぼくは、名誉村人のような立場になりたい』(引用:)の相似形である。
実は僕も前々から「文化祭」という言い方について、似たような考え(関わり方の意識)を持っていたので、以下に開陳しておく。
上で『テキレボは「大人の文化祭」を標榜している。その喩えに乗れば、メインはステージ模擬店だろう』と書いた。
そうした「村」や「文化祭」という場へのかかわりは様々だ。
「村」においては漂白の民になりたいと書いたが、「文化祭」の喩えでいえば、僕はメインで賑わう場の喧騒が遠巻きに聞こえる校舎裏で、模擬店で買ってきたものをつまみながらゆっくり過ごしたいようなタイプである。遠巻きにその賑わいを見ていたいのだ。
こういうタイプは自発的な手伝いはするが、必ずしも積極的なタイプともいえない。楽しい場はけして嫌いではないが、その中で程々に楽しむのが好きなのである。彼なりの楽しみ方をすでに見いだして順守しているともいえる。(ツイッターでテキレボについてほとんど発信しないのもこれによる。終わってすぐ次を考えるほど積極的ではない。)
テキレボには今後も、こうした個々人の関わり方が守られる『包括的な「場」としての文化祭』であってほしいと思う。
テキレボが大きくなるのを切に願っている点には偽りがない。一方で今の大きさが適正だと思っている僕がいるのもまた事実だ。
単純な大きさ(参加サークル数)の比較でいえば文フリ東京は、僕のイベントに対する肌感覚からすれば大きな服のようである。コミティアはもっと大きな服だけど、小説のジャンルに限れば大きくはないサイズだ。でも全体が大きいので少し尻込みしてしまう。
この見方でいうと、今のテキレボの大きさは僕の身の丈にちょうどいい大きさだと思っているのである。まことに自分勝手な見方である。
ただ第5回の時のレポートにこんなことを書いている。
>穴場スポット的な感じで、のんびりできる部分に楽しさを見いだしているというわけです。もっとも今後(僕が感じている)楽しさが変わっていくのだとしても、その時はその時で自分なりの楽しさを見つけて参加しているでしょう。
これについては今も同じだ。
もっとも僕のこれは単なる過剰な杞憂でしかない気がしている。にわかにイベントの性質が変化するとは考えられないからだ。
いずれにせよ参加者であると同時にウォッチャーでもありたいものである。
なにはともあれ、実際に現地に行かなければ、その空気や雰囲気は掴めない。現地へ行けるよう、来夏に向けて身の回りを改めていこうと思う。