第8回テキレボにかかる上京記(2019年3月23日:4日目後半:乗ったぜ機関車)
3月21日(木、祝)開催の『第8回Text-Revolutions』(以下、テキレボ)に参加するため、20日(水)から24日(日)まで の五日間ほど旅の空に出ていた。21日(2日目)のテキレボそのものについては、蒸奇都市倶楽部の売り子として参加していたので、サークルとして書けることはそちらのイベントレポートに譲る。
前半に比べると短い。
前半
(2019.04.24追記:ブラッスリーレカンのショップカードの写真)
3月23日(土)後半
水上にて
水上駅の標高。高崎駅の標高が約94m、距離が59.1kmであるから、およそ60kmで400mほど登ったことになる。
23日は新潟方面からの臨時列車も走っており、上野方面の列車に乗り換えるための待ち客が大勢いた。
水上に限らず、熱海や黒磯、米原や相生など、運転の境界となる駅での乗り換え客が大勢いるのは18きっぷシーズンならではといえる。
レトロ客車という案内に引っかけてであろう、男性はマント姿の書生、女性は女学生であろうか、お手洗いの案内もそれらしいものになっていた。ここは熱海ではないのだが。*1
トイレの外壁もレトロを狙って矢絣に機関車と動輪が配されていた。機関車が戻ってこない、という意になりかねないが大丈夫なのだろうか。
自販機も D51 498 仕様に。
列車の折り返し時間が近づいてきた。機関車がいったん駅を通り過ぎて東京方へ移動していく。客車に連結させる場面を収めるべく改札を抜ける。
寒い寒いと思っていたら小雪が舞っているではないか。
小雪がちらつく中、復路となる列車を仕立てる。
煙をいい感じでとらえることができた。
車両を変えて
帰りは1号車、荷物車との合造車「オハニ36 11」に乗る。
往路と比べて座席周りの木の質感が違うのがわかると思う。光の具合で足元の蒸気暖房の装置も見えやすい。
参考までに、JR東日本が保有する最古の客車の座席周りももう一度張っておく。
網棚周りなども、より木のニス感が生々しく、旧型と感じやすい造りになっている。
機関車と客車の連結部。下側の管が蒸気暖房の蒸気管。
行きは満車で子供連れも多かったが、帰りはほとんど見かけなかった。年配の方や私のようなマニアっぽい方が多く、しかもどの人も少しくたびれた感じが出ていた。なので往路ほどの熱気や喧騒はなく、どことなく物静かな車内で、昔の日常的な雰囲気がよく出ていたのではないかと思う。
行きの客が必ずしも帰りの汽車に全員乗らなかったのもあるだろうけれど、おそらくは私が行きと帰りで号車を変えたのも影響していると思う。
私はきっぷを買う時に号車を指定して申し込んでいた。
前半で記した最古参の車両に乗る確率を上げるためだ。5両編成のうち、行きと帰りで違う車両に乗れば当たる確率は40パーセント。当たればいいなという思いからの選択であった。そもそも目当ての車両が連結されていないのは前半に書いた通りである。
だがこの帰りの「オハニ36 11」も、すでに写真で見てもらったように、ニス塗りの内装を保っており、この日の他の車両よりも「レトロ感」が強い。そのためこれを知っている人が1号車を狙って買ったのではないかと思う。*2
子供連れの親子層はそんなことは知らないだろうし、そもそも彼らは客車よりも蒸気機関車が目当てだろうから、号車の指定などはしなかっただろう。その場合、往復で買ったらおそらく同じ号車の近い席が出ると思われるので、結果的に1号車は号車を指定して買うであろうその筋に近い人、他の号車は指定をしないで買う親子連れに偏ったのかもしれない。
まあ、これらは憶測にすぎないが。ただ、実際に2号車より後ろの車両には、復路便であっても親子連れがそこそこ乗っていたことは傍証として掲げておく。
午後の春を汽車が行く
帰りの「みなかみ号」が発車する。
すっかり慣れた客車特有の走りだしとともに、雪がちらちらと舞う山脈の麓の駅を後にした。
電灯を隧道内で眺める。白熱灯らしさが出ている。こういう細かい演出は大事だ。
扉の下側と立入台との間い結構な隙間が開いている。
出入台(デッキ)と客室との扉に鍵がついていて、手動でかけられるようになっている。
帰りの列車はそれぞれの停車時間も行きに比べて短い。また、午前のうちで疲れた人が多いのか、車外に出て撮影する人も少ない。
夕方にさしかかろうという午後の倦怠感がほどよく演出されているようであった。車内をのんびりした時間が過ぎていく。旅の帰りの車内で疲れて眠りこけてしまう人々のようである。良く言えば、行きよりも乗ることに専念している状況といえるのかもしれない。
春の午後の日を受けた機関車の影が。春という季節感も相まって、どことなくだらけた感じがする。沼田のあたりまで降りてくると、雪の「ゆ」の字も見当たらなかった。
利根川を渡るとすぐに渋川へ。行きに比べて体感時間が短い。
雪を冠した峰々は彼方の雲に没してしまった。
三等客車を模した渋川駅の待合室。かつては帯の色で等級を示していた。三等車の赤帯は戦前に廃止されていて、今の旧客にも巻かれていない。
渋川で15分の停車。復路の中では最長の停車時間。
車外からキャブを色々と覗けた。
旋回窓を回して汚れをふき取る。回っているところを初めて見た。
たぶん榛名。
おそらく赤城。
どちらも同じ時間帯に撮影したのに、方向は東西と真逆なために夕方と昼が辛うじて同居しているのがよくわかる。
妙義は上越線の方角からではなかなか撮れないが、上毛三山は市街地からもよく見える上に、いずれも特徴的な形をしていて象徴的だ。
卒業
だいぶ日が傾いてきた。汽車の旅もいよいよ終わりを迎える。最後の停車駅、新前橋を出て5分ほど走ると高崎到着を告げる放送が流れる。
そのあとに車掌が続けて、客室乗務員*3の二人が今日の乗務で卒業するのだと告げる。なんでも新年度から新社会人になるためだという。ということは、随分と若い二人がバイトで乗務していたのである。
そしてこの放送が車掌によるサプライズである旨が告げられた。
「もしよろしければ皆様で卒業と新社会としての門出を祝ってあげてください」
粋な計らいであると思う。
ほどなくして乗務員の二人が1号車へやってくる(荷物車が客室乗務員の待機場所になっている)。客室が満場の拍手とお祝いの言葉で埋め尽くされたのは言うまでもない。
新たに旅立つ二人を見送りながら、定刻の17時13分に高崎へ終着した。
暮れなずむ高崎駅で最後の即席撮影会が行われる。
17時30分ごろ、回送となった「みなかみ号」が留置線へと引き上げていった。翌日は「よこかわ号」として碓氷峠の下の横川までの仕事が控えている。
旧貴賓室、とはいうものの
17時33分発の快速アーバンで上野へ戻る。ちょっと奮発してグリーン車に乗った。
秩父の方へとゆっくり日が沈んでいき、熊谷のあたりで完全に暗くなる。窓に映る自分の顔を見ていても面白みがないのと、ここ数日は睡眠時間が短い日が続いているのとで、電車の心地よい揺れに誘われるようにしてまどろむ。
目が覚めたら飛鳥山公園のあたりを走っていた。夜桜の照明に提灯がぶら下がっているのが見える。ほとんど見えないまま尾久の基地を後方に流し、上野着。
ここで友人と落ち合って食事を摂ることになっている。
首尾よく出会い、1階の中央改札口を抜けてアトレ上野へ向かう。
駅の構内(ラッチ外)にある「Brasserie Lecrin」(ブラッスリーレカン)というフランス料理のレストランへ行く。貴賓室を改装した店ということで、私の目的は料理よりそちらの見学にあった。
友人「ドレスコードとか必要な店じゃないですよね?」
ぼく「いや、普通のおっさんが入っていってるし、俺らも普通のおっさんだから大丈夫だろう」
などと軽口をたたき合いあまり構えず店に入ったのであったが、しょっぱなからの店員の丁寧な応対にこっちが恐縮してしまう。上着とか鞄を丸ごと預けるなんて店に入ったの何年ぶりだろうか。
案内されたの入ってすぐの席。
ぼく「ここって貴賓室で言うと玄関のあたりかな」
友人「お前らは玄関で十分だよって見抜かれてるんじゃないの」
まあ、別にそれならそれでいい。玄関でも食事はできるのだから。
ただ、店はまだまだ奥へ続いていて、おそらくそちらの方に暖炉やらもっと豪華なシャンデリアなど、貴賓室時代をしのばせる品があると思うのだが、それらを見学できないのは残念である。
奥の方は予約の人が優先的に案内される場所なのだろうか。時間的に夕食の時間であるし、土曜日であるから、飛び込みは手前で食べるようになっているのかもしれない。やはり推測でしかないが。
友人ともどもディナーのBを頼む。
前菜、魚料理、肉料理、デザート、キャフェ(コーヒー)or紅茶のセットで、魚と肉の料理は二種類の中からそれぞれを選ぶ。しめて4800円。結論から書くと、サービスも込みでこれなので安いものだと思う。
前菜の前にオードブル的なものが運ばれてくる。タコとトマトを串で刺したやつ。
なんていういう書き方をしてしまう時点で、経験値不足すぎて店に相応しくない感が出ているのがわかっていただけるだろう。実際、場違い感がすごくて、友人とひそひそ声で話しながら料理を待っていた。居酒屋なんかでは馬鹿話で盛り上がるのだが、場所は大事だ。そういえば昨日の駒形どぜうでは普通に馬鹿話をしていたな。周りも酒を飲んでわいわいした場であったから、やはり空気は大事。
で、その場違い感ゆえに店内の写真はおろか、料理の写真もまったくない。撮ったらなんか白眼視されそうで……、場の雰囲気に負けました。
料理がコース形式というのもあって、席を立つタイミング自体もまったく計れなかったというのも大きい。
素直に店員に申し出たら奥の方を見せてくれたのかもしれないが、素直じゃないのでそれも言い出せずにいた。
続いて小皿に乗った白い板チョコのようなものが出てくる。
ぼく「なにこれ? ホワイトチョコレート? 口直しするの?」
友人「バターじゃないですか」
ぼく「ちょっと食べてみ?」
友人「いきなり口にしたら『お客様は当店に相応しくありませんので』って追い出されそうですよ」
ぼく「それで食べていいのかだめなのか判断するわ」
ややあってパンが運ばれてくる。友人が正解。バターらしい。のだが、すぐ手に取っていいのかわからず、しばらくバターとパンをにらめっこする。
すると友人が先にパンにバターを塗って食べ始める。
ぼく「お前、追い出されても知らんぞ」
友人「骨は拾ってください」
ぼく「弔辞も読んでやる」
……追い出されないのを見てから私も後に続いた。
前菜
次のうちから一つ。
- 桜マスのスモークとハーブのサラダ オレンジ風味
- ホロホロ鳥のコンフィとクスクス バジルの香り
私はホロホロ鳥を、友人は桜マスを。
そぼろ状のホロホロ鳥がクスクスと混ざり合って食べやすい。
だけど味の方は、わからない。これまでに似た味のものを食べたことがなく、たとえるべき言葉が見つからないのだ。舌が肥えていないのを痛感した。まあ、食に無頓着というか、もともとが貧乏舌であるから。
一連のコース料理の中で味に関してはこのことだけは記憶している。
スプーンとフォークが複数並んでいてどれを使えばいいのかわからない……。一番手ごろなスプーンだけでクスクスを寄せながら食べていく。
魚料理
舌平目のムニエルを選択。
パンのおかわりが来る。あれ、これもしかして食べ放題的な……? だからといってさすがにバクバク食べたりはしないけれど、温かいフランスパン美味しい。
スプーンも新しいのが補充される。複数あるのに補充されるということは間違ったのを使っていた? 間違っていなければ料理ごとにスプーンとフォークが減っていくはずだし……。わからん。
舌が肥えている、肥えていない以前に、あらゆる経験値が不足している。
肉料理
- 仔羊のグリエとムサカ サフラン風味のジュ
- 岩中豚の煮込み キノコと共に
仔羊を選ぶ。
肉! ていう感じだ。細かいことはわからない。
パンのおかわりがもう一回。ありがてえ。
食後
デザートは赤ワインのソースがかかったバニラアイス。
経験で知っている味に戻って来て安堵し、紅茶で舌が戻った気がする。砂糖どばどば。
友人「美味しかったですね」
ぼく「……うん(美味しいんだろうけど、よくわからなかった)」
ちなみにブラッスリーレカンの本家は「銀座レカン」で、銀座和光の近くにあるがちがちの高級レストランである。ドレスコードも規定されており、間違っても僕が行けるような店ではない。夕食のコースが17,000円~となっている。*4
さて、ブラッスリーレカン。貴賓室の雰囲気というのはほとんど感じられなかった(感じる余裕がなかった)ので、いずれまた度胸をつけて挑戦したいとは思う。
振り返って
往復で約4時間の汽車旅は非常に有意義なものであった。たかが4時間弱でしかないけれど、乗車後は手と顔が少し黒ずんでいたので、長距離の移動手段が鉄道しかなかった時代の人々の煤汚れは察するに余りある。各駅の歩廊にタイル張りの洗面台が備わっていた理由でもある。
そして、たまに嗅ぐからだろうけれど、煤の臭いはどこか病み付きになりそうだ。
昔にあって今はないもので思い出した。昔は駅や客車に痰壺が備え付けられていたという話。昔はよく痰を吐き捨てる人がいたらしく、感染病(主に結核)予防のために設置されていたそうだ。機関車の煤や未舗装の道路から発生する土煙なんかで鼻水や痰が出やすい時代であった。
煤、痰と来て飲み物の話になって恐縮であるが、軽い後悔話を最後に一つ。
前日にホッピーを買っておいたのだが、それを友人の家に忘れてしまっていた。なんでそんな話などするのかというと、旧客や古い車両には窓の机の下に、机と一体となった栓抜きがついていて、これを利用して瓶を開けたかったからである。*5
旧客で瓶飲料を飲む。
これもいつかの再挑戦でしっかり果たしたい。
機関車の方はともかく、客車で牽引される各地の列車は色々と開拓していきたい。大井川鐡道の旧客もまた時宜を得て乗りに行きたいし、前半で触れたSLやまぐち号の35系客車も優先順位は高い。
そんなわけで、この上京の中でもメインとなった客車の旅であった。
参考にしたサイト
JR東日本高崎支社 Fun!Fan!SL!