雑考閑記

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雑な考えを閑な時に記す

『時刻表昭和史』

時刻表昭和史
宮脇俊三
角川文庫、昭和62(1987)年7月10日初版
※昭和55年1980年7月に角川選書100として発売されたものの文庫化

時刻表昭和史 (角川文庫)

時刻表昭和史 (角川文庫)

 

 

題名の『時刻表昭和史』は「私の」を冠すべきであったかもしれない。(中略)概説的な時刻表通史を期待された読者がおられたとすれば、申し訳ないと思っている。(「あとがき」より)

 私も最初はその口であった。しかし、それを予見していたかのようにあとがきで謝られてしまってはかえって恐縮である。ここに書かれている通り題名に昭和史と銘打ってあるが、本作は宮脇俊三が青春時代を回顧する自叙伝に近い。

 扱われる期間は昭和8年の小学生時代の思い出から昭和20年8月15日まで。
 むろん鉄道好きの宮脇俊三であるから、いずれの章においても描写の中心となるのは鉄道だ。12の列車ごとに章立てされており、この各列車への乗車記録を中心に、その前後の身の回りの思い出や時代の出来事などが活写されている。

 

 

 昭和8年、渋谷のハチ公が存命であった時代が描かれる最初の章でもうあっという間に引き込まれる。白木屋デパートの火災や二・二六事件があったことと、「サクラ読本」の一期生であることや丹那トンネル清水トンネルの開通などがあたかも同列のように描かれているのも、子供ながらの視点がしっかり出ていて新鮮だ。そのため全体的に作者に沿う形での記述となっていて、身近さを覚えるような文体といえよう。

 昭和前期の戦争に向かう時代、その世相をなんとなくとは感じ取りながらも、好きな汽車旅を楽しむ宮脇少年。石炭滓が目に入るたびにハンカチを濡らしてまぶたの裏を拭う母親とのやり取りがほほえましい。
 そこそこの富裕層であった宮脇家*1 に育った少年は、七人兄弟の末子(上に姉が四人、兄が二人)だったこともあってかなりかわいがられたらしく、いろいろと貴重な経験をしている。
 その最たるものが汽車に乗ることで、戦前の当時において「列車に乗りに行く」のを目的として出かけられるのが、いかに贅沢なことであったろう。戦時においてもしばしばそうであるから、まこと筋金入りというほかはない。

 

 特急が本当に特別な急行列車であった時代にありながら、なおその上を行く「超」特急の「燕」への憧れが伝わる文章もよい。

 ところで「燕」の愛称は公募で選ばれている。現在でも特急などの列車の愛称を公募することがよくあるが、そもそもの列車愛称の第一号からすでに公募式だったわけである。その上位が「富士」「燕」「櫻」で、私が持っている『時刻表昭和史』の表紙にはその三つがそれぞれ描かれている。実によい表紙だと思う。(冒頭のアマゾンの画像を参照)

 

 大きな時代の流れに合わせて時刻表、すなわち列車の運行の基軸となるダイヤも折々に変化していく。官営的な「乗りたければ乗せてやる」ダイヤから、利用客増を図った観光客誘致型の列車とダイヤ、各地へ直通する長距離列車と当たり前のようにある夜行。不要不急の遊山客よりも近距離の通勤対策を手厚くした国策を反映したダイヤ。
 当時「鉄道」は国家にとって最重要基盤であった。満州という国は満鉄なくしては存在しなかっただろうと思うし、満鉄がその地域において多岐にわたる活動をしていたのも、鉄道という存在を背景にしていればこそではないだろうか。さておき当時の日本において鉄道は鉄道省の直営であり、公共企業体でもない正真正銘の国営であった。だからすべては国の匙加減次第である。

 

 当時の風習というか習慣というか、いろいろと興味深いことも書いてある。戦前の乗客は何かとほかの乗客に指示を与えること。一般に汽車の旅は老人や女子供には危険だと思われていたこと。
 特に行列についての部分。

「行列」は戦時生活によって日本人が身につけた習慣で、統制物資を買うために並ぶようになったのがはじまりであるが、この頃には、駅の窓口や列車に乗るときも行列する習慣ができあがっていた。以前のように窓口で押し合うことはなくなっていた。(第7章/116p)

 傍証を調べられていないので、あくまで「宮脇俊三の書くところによれば」と但し書きをせねばなるまいが、興味深い記述だ。歴史、特に戦前の習慣や風俗を調べているとしばしば思うことであるが、現代の感覚からすると戦前の日本人は全体的に荒っぽすぎる。血の気が多いというか。

 

 とっ散らかった感想であるが、こうした大小さまざまな出来事が描かれている本書は、時刻表の昭和通史でこそないが、まぎれもなく時刻表を介した戦前の昭和史である。


 本作の最終章は昭和20年の8月15日。
 米坂線長井線今泉駅前での玉音放送を聞くという、おそらく最も有名な宮脇俊三のエピソードである。その日本のいちばん長い炎天の日であっても、汽車は変わらず時刻表通りに動いていた。

 実際のところ、正午に走行している列車の機関士や乗客はどうしていたのだろうか。寡聞にして玉音放送があった時点での話は見聞きしたことがないな。

 

 僕が持っているこの判は絶版で、1997年に角川文庫から増補版が出ている。増補版は章が5つ増えて昭和23年4月まで扱われている。

 しかし表紙は僕が持っている旧版のイラストが一番いいように思う。

増補版 時刻表昭和史 (角川文庫)

増補版 時刻表昭和史 (角川文庫)

 

 

*1:父が第一回普通選挙以来、五期にわたって立憲政友会で代議士をしていたので、当時としてはかなり豊かであったと思われる。