雑考閑記

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雑な考えを閑な時に記す

『時計うさぎの不在証明』01~03

時計うさぎの不在証明

01:ワンダーランド・オーヴァチュア(2015年8月30日)
02:ワンダリング・ウォーターインプ(2016年5月5日)
03:ナインライヴズ・ツインテール(2017年4月1日)

著者:青波零也

サークル:シアワセモノマニア

各500円:文庫判

 

2019年9月8日(日)『第七回文学フリマ大阪』Webカタログの同冊子第1巻

c.bunfree.net

 

2019年10月12日(土)『第9回 Text-Revolutions』Webカタログの同冊子第1巻

plag.me

 

記録をつけていて1巻の刊行がほぼ4年前なのに驚く2000年以降が「最近」になって久しいおじさんです。5年6年誤差のうち。


ネタバレ

 

 

 

 2巻3巻と読むにあたって1巻も再読。*1

 

 南雲の過去に刺さる場面があるのはいろいろ追っている身としては良き。2巻のミイラ見るところとか、3巻の妹とのやり取りのちょくちょくした部分とかね。しかし彼についてはその輪郭線はある程度は見えている。

 

 過去が不明なのは八束で、彼女が係に来るに至った経緯についてはまだ作中で片鱗(2巻159ページと、その少し前の157ページあたり?)しか明かされていない。人の機微を探るのが苦手なので、おそらくはそれに由来する出来事なのだろうと予想している。忘れられない彼女だからこそ、過去は映像を再生するかのようにいつだってまとわりつくのだろう。

 そんな彼女にとっては、過去と向き合いそれを乗り越えるという言葉の意味合いが、普通のそれとはちょっと違ってきそうな感じがする。でもその過程や成長はやっぱり普通の人のそれと同じで、前向きなものであろうと予測できる。

 

 しかし「忘れられなさ」で言えば、こと南雲もナツとの過去については同じぐらいに忘れられず焼き付いてしまっているわけで、そのために眠らずに意識ごと落ちるような選択をとっているような人間である。
 3巻において彼は自分が小康状態というよりも停滞に近い状態にあるのを自覚する(3巻142ページ)。おそらくナツに身に起こったことをかみ砕けずに、ただそのまま丸ごと食道に入れて詰まっているような状態だったのだろう。それをどう噛み砕き、呑み込み、消化もとい昇華できるのか、できないのか。

 

 この二人の「忘れられない」でくくれる共通項が良いなと思う。

 そうした各々の「忘れられない」過去が、互いの眼前にさらけ出されたとき、彼と彼女はどのような反応を示し、受容、あるいは反発するのか、おそらくそこが大きな見せ場となるのは間違いがないだろう。
 忘れられない彼女が過去を乗り越えるまでと、どうしても忘れられない出来事を持つ彼の再起。その行く末を待ちたい。


 あ、本当に一番謎なのは係長。ただシリーズ続刊ものであるので今後を慮り、僕の勝手な予想はシリーズ完結まで胸に秘めておく。

 

 込み入った感想。


 思考ではたどり着けぬ不思議とたどり着ける謎。
 私はジャンルの定義が好きではないが、後者を扱うのがミステリーと呼ばれる分類であろうことは大雑把に把握している。ミステリーとは謎解きであり、思考の積み上げであり、そしておそらくは人の仕業を暴くものだろう。そこに前近代的な「あやかし」は存在しない。一見すると怪異のようでも、それは人の仕業による見せかけだ。

 

『時計うさぎの不在証明』は作者自ら「なんちゃってミステリー」と銘打って(?)いる。
 おそらくそれは作中が不思議と謎が入り混じる世界であり、本当に「あやかし」が起こした事件が存在するという世界設定の構造や、手がかりや緻密な推理といった要素があまりないというところに由来する謙遜であろう。

 不思議と謎が入り混じる作中世界では両者の境界は曖昧模糊としている。
 しかしそれでも本書がミステリーであると言えるのは、人が思考でたどり着ける謎を扱っているからに他ならない。たとえ幽霊や化物、怪異が共存する街であっても、人は事件を起こす。そうした場所柄か、狡猾な犯罪者は怪異を隠れ蓑にする。それを暴き立てる神秘対策係を中心に据え、結果的に人の仕業による見せかけを暴くという、ミステリーになる構造が妙だと思う。*2


 怪異や不思議とて無法則で気ままなわけではない。彼らは彼らなりの法則や理屈で動いている。『ナツガタリ』のあれらがそうであったように。

 もっともそうした習性が人の理解の枠に当てはまるかはまた別だ。わけても現代日本、それも警察組織には理解など及ばないだろう。ただ警察としてはそれはそれでいいのである。しかし彼らが問題視しているのは、怪異や不思議を隠れ蓑にした犯罪者がいるかもしれないというケースだ。そうしたグレーゾーンにいる彼らにまで捜査機関が白旗を上げるわけにはいかない。警察は人の事件を人の手で解決したいのである。その領域を探るのが神秘対策係の真諦であろう。
 不思議と謎を見分けるさまは、さながら依坐に着いた存在を見極め、その託宣を解釈する審神者のようであり、打ち捨てられた廃寺に住み着いた正体不明の存在を喝破、その力を打ち払う僧のようでもある。

 むろん神秘対策係が見極めるのは怪異による不思議ではなく人による謎である。*3

 そうした彼らの存在は、「あやかし」のせいにしてしまいがちな前近代的な理性と、「あやかし」とそうでないものを峻別する現代的な理性とを分けるうえで、とても重要な役割を果たしているはずであるが、3人だけ配置された部署とあってその神髄が顧みられている形跡はない。
 といってこの係は窓際部署というわけでもないようだ。現状の警察内の扱いでは、過去の事件によって受けた傷ゆえに停滞してしまっている優秀な人材をプールしておくための場所なのだろうと推測している。


 ところで神秘対策係が設立されたということは、待盾警察による経験則においては、少なからず不思議や怪異を隠れ蓑にしようとする人間がいることの証でもあろう。その逞しさというか、怪異すら利用しようとするケースがあったら、本当に恐ろしいのは人間だ、みたいな形になっていくのかもしれない。

 

 

*1:1巻はだいぶ前に読んだけれど、それこそ刊行したちょっと後ぐらいなので3年ぐらい前。

*2:言い得て妙の「妙」ね。

*3:余談:これとは別に、完全に怪異による出来事と見極めて、ただ見送るしかない彼らの物語も見たいかもしれない。しかしそれだと南雲の過去に抵触してしまうっぽい?