関西2dayパスで乗る旅(前編)
ひとくくりに旅といっても様々な目的が設定されるが、とりわけ移動好きの僕は「移動」それ自体が目的となり得る。*1 今回もそうした旅を行ってきたので例によって所感を交えつつ記していく。
使ったのはこちら関西2dayパス(カンサイスルーパス2dayチケット)。
これはバウチャーでこのあと関西で実際のきっぷに引き換えて使用する。
今回はその1日目の旅。以下、すべて2020年12月18日の出来事。
冬の平日、早朝の梅田駅にはほとんど人の姿が見られず、ラッシュの兆候はどこにもない。
梅田時点でいくらか乗っていたスーツ姿の人々は新大阪でどっと降りた。付近はオフィス街であるが時間帯や荷物からすると新幹線へ乗り換える人もいるかもしれない。このご時世にご苦労なことである。
以北では駅ごとに朝練に向かうであろうジャージ姿の学生が乗り込んでくる。都会でも地方でも見られる日常的な光景だ。冬なのでマスクをしていても違和感はなく、以前の日常のような感じがする。
6時40分ごろ千里中央駅に到着。梅田方面への列車を待つ乗客の列はまばらで、車内も立ち客が出るほどではない。千里丘陵のニュータウン群の住人を集めるターミナル駅とは思えない程度には少ないのではないか。といっても僕は一過性の観察者、これが千里中央駅の日常なのかはわからない。ただ時勢の影響が出ているのだろうと勝手な想像は持ってしまう。
天井部が吹き抜けになっている千里中央駅の開業は1970年。
この年の千里や吹田といえば大阪万博こと EXPO'70 である。千里中央を含む新大阪より北の区間*2 は大阪万博の輸送を目的に延伸された部分だ。*3
高度経済成長期からの盛衰を見届けてきたこの駅は50年終点であったわけだが、いまはさらに北への延伸工事が進められている。かつてあった車止めはなくなり、奥へ向かって伸びる隧道は真っ暗で何も見えなかった。
千里中央 7:02(阪急バス:1系統:箕面森町線)7:28 箕面森町地区センター
千里中央は一帯における阪急バスの一大ターミナルだ。万博の前後に開発された千里ニュータウンの住宅地から人を集めている。
乗り場の数字は0から12と多い。バスバース(バス停とは別のバス駐機場)には大量のバスが待機、発車、到着を繰り返している。
これから乗る系統は千里中央と山間の新興住宅地「箕面森町(みのおしんまち)」*4 を結ぶ路線だ。
何人かの学生とスーツ姿でない人を乗せたバスは千里中央を出て北へ向かう(撮影できるほどの空きがなかった)。ここからしばらくは北大阪急行が延伸される区間を走る。
右手に建設中の隧道の出口や高架の橋脚が見えてしばらく進むと萱野という地区に着く。赤穂藩士の萱野三平の生家がある地区。現代は大型のショッピングセンターがあり、延伸区間の終点「萱野中央」駅が設けられる予定となっている。この駅が開業すれば千里中央発着のバスのうちの一部がここを始終点とするようになるだろう。伴い千里中央のバスターミナルも規模を縮小する公算が高い。今回はその見納めも兼ねて千里中央を経由する行程を組んだ。
萱野のあたりは千里中央方面へ向かうバスがひっきりなしに走る。通勤ラッシュの時間帯でどの便も立ち客が見受けられた。ラッシュの向きに反する我々のバスもがらがらではない。座席の8割ほどが埋まった状態で山に突き当たって隧道に入る。
総延長約5.6kmの箕面トンネルは大阪北部の平野部と山間地を短絡する箕面有料道路(箕面グリーンロード)の一部となっている。これまでは山を越えるか川沿いに大きく迂回するしかなかったのだが、この道路の開通によって(有料ではあるものの)平野と山間部との行き来が楽になった。といっても原付などはこの道路を通れないので依然として迂回させられるが。
隧道を抜けた先に料金所がある。ここで新名神の箕面とどろみインターチェンジ(IC)と接続している。新名神の開通で神戸や京都方面へのアクセスが一気によくなったエリアだ。開通に合わせて道路も付け替えられ、近くの山も切り拓かれてなにやら造成されている。
国道に降りて少し行くとIC名の由来となった止々呂美(とどろみ)地区。山裾まで家々が密集していた平野部とは打って変わって、川沿いのわずかな土地に棚田と家々がある、各地でよく見かける集落といった趣だ。
止々呂美の集落を出るとバスは新しい道路に入って一気に山を登っていく。ここからが箕面森町地区だ。地区に入って最初のバス停「とどろみの森学園前」で私以外の全員が降りた。みんなここにある学校の学生や教員だったようだ。私立のような名前だが効率の小中一貫校である。もとの小学校は止々呂美地区にあった。今その校舎はアウトドア用品のスノーピーク直営の店舗として再利用されており、近くには同社が運営するキャンプ場も開設されている。
バスはもう少し住宅地を登って終点の「箕面森町地区センター」へ。
地区における中心部の位置づけで、小さなバスターミナル沿いに保育園や薬局、医院、コンビニや箕面森町地区センター(コミュニティセンター。これに保育園や医院が入っている)が置かれている。集落の中心だが散髪屋や消防団の車庫(と火の見やぐら)がないのが当世風だ。
公民館? コミニティセンター?
その違いがよくわからないのでざっと調べてみたところ、公民館は社会教育法に基づく教育施設で教育委員会が設置し運営している。一方のコミュニティセンターは条例に基づく自治体の施設で自治体が設置し、運営は自治体のみならず、自治体より委託された団体なども行っている。概ね公民館は教育関係が主体、コミュニティセンターは住民が主体という感じか。ちなみに公民館の他に自治公民館なるものもあって、自治公民館の主体は住民で各地区が運営しているもの。町内会的なものかもしれない。
いずれにせよそれぞれ類似しているものの法律によって異なる扱いを受ける施設らしい。
バスを降りた途端に肌を刺す寒さに襲われる。折しも寒波が押し寄せた日で、大阪市内や千里中央においても厳しい冷え込みであったが、そことはまた次元が違う寒さだ。平野から山間部にやってきたのだという実感が湧いてくる。
箕面森町をちょっと歩く
次のバスまでは40分ちょっと。せっかく初めてきた場所なのでコンビニで時間を潰すのはもったいない。寒さには参るが周囲を散策する。
地区センターの東に大きな公園があった。ここから町の高台へ階段で上がれるようだ。
もう7時半を過ぎているが森町地区にはまだ日が差していない。山を切り開いて造成された区画だというのがわかってもらえると思う。そういう地形であるから公園の高台といっても斜面に沿っているだけで、すぐ裏手は住宅地に続いている。各戸から園児を連れた親が出てきている。通園バスはないのか複数の園児がグループでママ友の運転する車に乗り込んでいた。そんな光景をじっと見ていられるような時代でもないので視線を眼下の光景に戻す。
高台には案内板があるがいまいち物足りない。この手の案内板にありがちな山の名前などが書かれていないのだ。記すほど名の知れた山などないということか。それらしい記述は「六甲山方面」くらいのもの。峰の形からなんとなく六甲だとはわかるが、果たして本当にそれが六甲山なのかはわからない。
ところでこの物足りない案内板によれば右手の下方にオオタカの森があるそうだ。ところでオオタカの森と聞いて真っ先に思い出すのはTXの流山おおたかの森駅である、というどうでもいい余談。
景色を見て降りて来ればもう発車10分前。まだ日は射さないが手足は冷え切っている。もっとも初めての場所の滞在1時間は短すぎると感じた。*5
箕面森町地区センター 8:01(阪急バス:2系統)8:26 光風台駅
2系統は森町とときわ台、光風台、新光風台という新旧のニュータウンを結んでいる路線。
乗客は私を含めて3人。列ができている千里中央行きのバスとは対照的だ。小さなバスターミナルを発射し、住宅街をさらに北西へ向かう(先の案内板の右「ときわ台方面」)。
ほどなくして宅地は尽き、バスの出張所を過ぎると道路は長めの切り通し区間に入る。これを抜けると同時に豊能町で、また別の住宅街に入る。
ときわ台だ(東ときわ台地区)。こちらは60年代末から70年代80年代にかけて開発された地区なので森町よりずっと長い歴史を持っており、地区を貫く道路や街路樹、家並みもすっかり馴染んだように落ち着いている。
バスは東ときわ台地区を大きく一周してこまめに客を拾っていく。地区にある東ときわ台小学校の登校時間で児童も運転手も互いに気を付けて走る。何人かの児童が運転手に手を振っていた。公共交通機関、生活に密着した路線であってほしいと思う。
東ときわ台を抜けたバスは続いて光風台地区を抜けて光風台駅に到着する。私はここで降りた。
2系統はこのあと新光風台を一周して3系統ないし4系統となって光風台駅に戻ってきて、さらに箕面森町ないし東ときわ台まで同じ経路で循環する形で運行されている。
光風台駅*6 は能勢電鉄の駅だ。ここからは大阪梅田まで50分ほど。先ほどの箕面森町から同じく梅田まで出る場合、バスで千里中央に出て北急→大阪メトロという経路が最短で所要約80分だ。森町から光風台駅まで出る時間も含めるとそれぞれ同程度の所要時間となる。
光風台駅のホームは前後をトンネルに挟まれた谷底に位置している。
ホームから見上げる鉄橋は住宅街をつなぐ普通の道路だ。先ほどのバスもあそこを通る。
ここから次のバスに乗り継ぐべく宝塚へ向かうのだが時間があるので逆方向の終点となる妙見口駅へ寄り道。
というわけで5分ちょっとで妙見口駅に到着。
周囲にニュータウンもない純然たる田舎の終点といった趣。とはいえ駅名が示すように能勢妙見山の最寄り駅ではある。妙見信仰についてはここで細かく触れないが、その聖地のひとつであるため駅前には土産物屋や飲食店が集まるちょっとした観光拠点の装いとなっている。
しかし平日の朝9時ごろとあってどの店も開店準備中。このあたりは摂津の北端で丹波に近いため猪肉を使った料理を提供している。*7 気になるが訪問はまた次の機会に。
宝塚 10:00(阪急バス:4系統)10:45 波豆
宝塚は大阪平野の北西のどん詰まりにある。バスに乗り換えれば1時間ほどで有馬温泉へ向かえる立地だ。これから乗る4系統*8 もその有馬温泉行と同じ乗り場から出る。*9
これから向かうのは宝塚市の奥地に位置する西谷、波豆地区だ。本数を見ればどういう場所かは色々とわかってもらえると思う。(※西谷地区へ向かうバスは宝塚からJRで3駅先の武田尾発の便も多く運行されている。)*10
この路線は阪急バスが運行しているが、もとは阪急田園バスという子会社の路線であった(2019年に阪急バスに吸収合併)。西谷地区はその阪急田園バスの本社があった場所(現在はバス営業所の支所になっている。)。これは阪急田園バスが、西谷地区の住民(旧西谷村の村民)によって設立された西谷自動車という準村営会社をルーツに持つためである。
やってきたバスの座席にはシートベルトがついていた。(最後まで撮影をし忘れた。)
乗客は20人ちょっと。便数や平日の10時という時間帯を考慮すればいやに多いが。装いを見れば納得、いずれも年配のハイキング客である。それぞれのグループが山を越えた先の西谷地区の色々なバス停で降りて行った。そのほかに地区内では細々した乗降があったが、いずれも地区の中心となる東部までで降りてしまい、終点の波豆まで通して乗ったのは私だけであった。
バスは「渋谷」も走る。
波豆のバス停は波豆八幡神社の鳥居前に立っている。しかし道路側には歩道とてなく、ポールが立っているだけだ。とても系統の終点とは思えない。私を降ろしたバスはそのまま奥へ向かって走り、しばらくして逆方向へ向けて走っていった。もう少し行った先に回転場があるのだろう。
看板に「国宝」とあるがこれはいわゆる「旧国宝」(現在の重要文化財)のこと。
波豆にて
次のバスまで約30分。本日の目的のひとつとなる波豆八幡神社を詣でる。以前にもバス旅で訪れて気に入った神社であるが、それはひとえに立地によるところが大きい。
鳥居をくぐり正面の参道を進んでいく。折しも昼前。天頂に輝く太陽がきらめき天候に恵まれた一日であると実感できる。
ほどなくして湖面に突き当たる。水面が輝き美しい。計画通りちょうどいい時間帯に訪れられてほっとした。道は湖畔に沿って右へ曲がる。
曲がった先にも鳥居がそびえている。実はこちらが波豆八幡神社の古い鳥居である。その鳥居はまっすぐ湖面を向いている。
そして意味ありげに湖面へ向かう石段……。
本来の参道は階段の先、湖底へ続いているのである。無論その背景にあるのはダムとそれによって沈む集落という関係だ。*11
いまでもう想像するしかないが、湖畔にあるこの神社はもともと波豆集落の高台にあったという。鳥居も元の参道から移設してきたものという。
ダムの名は千苅堰堤(千苅ダム)。ダム湖の名は千苅貯水池(案内では千苅水源地とも)という。神戸市の重要な水源地の一つだ。
ダムと貯水池は大正8年に完成しているが、その後の神戸市の人口増による需要増に応じてダムの嵩上げを伴う拡張工事を何度か行っている。(波豆集落の水没や鳥居の移設は昭和6年、2回目の拡張によるもの。)貯水池からは山中を貫く導水管と上原浄水場を通し、さらに配水管を通じて奥平野浄水場(神戸市水の科学博物館として施設の一部を開放している。※現在コロナで休止中。)へと給水して神戸市の浜側に水を供給していた。これらの経路を神戸水道といいその距離実に30km超。西宮市内や芦屋市内、神戸市の灘区内には水道道という道路や水道筋という商店街があるが、これらの地下には神戸水道の水道管が埋まっているわけだ。
現代この水源地の水は神戸市北部の水道水の供給元のひとつとなっている(浜側への供水は淀川水系のものになっている)。しかし緊急時の水源地として現在も神戸水道は保守されている。
参考
さておきダム湖に沈んだ集落と残った鎮守である。
快晴の湖面の輝きがまばゆく実によい光景であるが、それがかえってダム湖底の集落の哀感を誘う情緒をかもしているようでもある。
境内は静かで人の気配はみじんも感じられない。看板にあるように1月17日は厄除け大祭であるのでその日は実に賑わうのであろう。私にはその様を想像するしかできないが。
湖畔を歩くとダム湖に沈むお寺から移設された五輪塔や宝篋印塔も置かれていた。こちらに関しては詳しくないので解説と写真だけ掲載しておく。
神戸市の水源地である旨。管轄が宝塚警察署なのは波豆地区が宝塚市内にあるため。ちなみにダムサイトや水源地の南側は神戸市北区になる。このあたりは山の中なので市境が入り組んでいる。
波豆 11:14(阪急バス:25系統)11:35 三田駅(北口)
滞在30分は短すぎる。しかし全体のスケジュールとバスの本数を考えればベストの時間でもあるのが悩ましい。というのは以下のバスの時刻表を見てもらえればわかると思う。
波豆から乗るのは25系統の三田行き。さきほど市境が入り組んでいると書いたが、水源地のすぐ西は三田市だ。神社前を北摂里山街道と名付けられた県道が東西に走っており、これに沿って三田市街へ向かう。
西谷地区の東部を起点とするバスに乗り込んだのは私一人。この便の最初の乗客でもあった。本数の少なさもむべなるかな。(波豆は25系統の起点ではないため、やってきたバスを撮影する時間はなかった。)
里山街道の名の通り、道路はなだらかな上り下りで丘陵地を乗り越えて複数の集落を貫いていく。
バス停はあるもののいずれも乗客なし。2人目の乗客は大きめの集落(住宅街と呼べる規模)に入ってからだ。他のバス会社(神姫バス)の路線も重複して走る区間なので特にこの便でなければいけないというわけではないだろう。そういう意味では純粋な乗客は僕一人であったのかもしれない。
そんな路線であるから阪急バス運行便の廃止が予告されてしまったわけで……。
この報道は帰ってから記事にしようと調べている最中に知ったのであるが、結果として意図せぬ乗り納めのようになってしまった。同じ改正で神姫バスの三田~波豆系統も廃止された、加えて宝塚から波豆へ向かう系統も廃止となった。そのため現在波豆へは武田尾駅からしか行けない。
阪急バス公式の案内PDFはこちら⇒https://www.hankyubus.co.jp/news/images/210301t.pdf
SANTA駅と化した三田駅。12月限定の装い。
折り返しの列車は各車両の三田方だけドア扱い中。
新開地行きに乗って有馬口駅へ向かう。ここらは神鉄の末端区間で乗客も少ない。
三田方面から有馬温泉行きに乗り換えたのは僕も含めて3人だけ。さらに数分待って神戸方面からの接続を受ける。こちらからの乗り換え客は10人ほど。コロナ情勢の平日とはいえ流動の差が出ている。
乗車口案内には温泉マーク。
関西の名湯、有馬温泉を単なる乗り換え場所として利用する。この旅の主旨がもっともよく表れている場面だと思う。
余談。
滞在10分ちょっとと時間に余裕があったのでバスターミナルを見てきた。梅田から直通する阪急高速バスはここが始終点となる。元々こちらのターミナルには路線バスの大半も乗り入れていたが、系統の改廃や周辺道路の整備で一部の便だけが立ち寄る形になった。
現在の路線バスと阪急バス以外の高速バス(JR運行便)は、バスターミナルより少し川沿いに下った太閤橋を発着している。太閤橋の乗り場も有馬温泉という名ではあるが、申し訳程度のトイレがあるだけの観光地らしくない装いをしている。冬場は吹きさらしのもとで待つことになる。
さて、その太閤橋から乗り込んだのは三宮へ向かう阪急バスの6系統。神姫バスとの共同運行路線だ。
地元のお年寄りが大勢乗り込んできて車内は混雑している。そうした状態で有馬の町を出て峠を越え、箕谷川沿いの谷を下っていく。谷沿いと言ってもそこは神戸市、あちこちに切り開かれた住宅地があり、バスが走る道も幅が広く交通量も豊富だ。川の向こうにはときどき神鉄の車両が走っているのが見える。この系統はその区間の大半が神戸電鉄線と重なっているが、本数的にも乗り合わせた客層的にも競合しているというよりも住み分けているように感じた。
バスは谷上で長く付き添った神戸電鉄線に別れを告げて新神戸トンネルへと入っていく。
谷上や新神戸トンネルについては以前にも訪れているので省略する。 ks2384ai.hatenablog.jp
新神戸(神戸市営地下鉄)三宮(阪急電鉄~神戸高速鉄道)高速神戸
北神急行電鉄がシールで隠されている。
バスで終点の三宮まで乗ってもよかったが、新神戸から三宮までの交通状況が読めず、この先の乗り継ぎに支障が出るといけないので、確実に時間の読める鉄道を選んだ。地下鉄で三宮へ出て阪急へ乗り換えて高速神戸まで移動し、そこから徒歩で神戸駅へ。
神戸駅南口 13:50(阪急バス:61系統)14:23 鈴蘭台
再び山を越える路線に乗る。鈴蘭台へ向かうだけなら高速神戸駅の隣にある新開地で神戸電鉄に乗り換えれば済む話だが、もとよりありきたりな経路を選択しない旅である。
神戸において山へ向かったり越えたりする系統が多いのは山を切り開いた住宅地を点綴するためだが、そんな中にあってこの61系統は、(地図を見る上では)純粋な山越えの区間が多いように見える。しかし本当に山越えらしい山越えをするのか、それが気になって今回こうして組み込んでみた次第だ。
神戸駅を出たバスは一直線に山へ向けて走っていく。
そして平野の交差点を直進しほどなく天王谷川と出会うとそのまま山へ入る。祇園神社を境にこれまで広がっていた住宅地は急に尽き、ここまで走ってきた国道428号線に別れを告げて狭い道へ入っていく。おそらく旧道だろう。ぐんぐんと高度を上げていく二車線の国道に比し、バス一台でいっぱいいっぱいの我らの道は川に沿い何度も蛇行を繰り返す。道と川、山に挟まれたわずかな土地があれば家が詰まり、そんな土地さえないところでは心もとないガードレールと檻のような落石防止ネットがバスを見つめる狭隘な谷だ。この旧道部分は有馬街道*12の天王谷越えと呼ばれた区間だ。やがて現道に合流し*13 さらに谷を進んでいく。
と、左手に天王ダムの堤体が見え、撮影する間もなくトンネルに突入する。
それほど長くないトンネルを抜けると左手にはすでに切り開かれた住宅街が並んでいた。その住宅街との間に細い川が流れていて、これがさっきまで谷を形作っていた天王谷川である。谷間であれほど幅を利かせていた川の、新興住宅地に出た後のなんとか細いことか。
天王ダムは洪水の調節を目的とする治水ダムだ。普段は川の水をそのまま流しており、大量の水が押し寄せた時にここで一時的に滞留させてあの狭い谷を守っているのだ。それはもっと言えば谷の先に広がる神戸の街を土砂災害から守るということでもある。
バスは住宅街に入り数分ほどで鈴蘭台駅に到着した。
鈴蘭台駅
古くから開けた北区の住宅街の中心であり、神戸電鉄の要衝である。神戸電鉄はY字型に路線を持っているが、そのY時の股にあるのがこの駅だ。ここで三田、有馬方面と三木・粟生方面に分かれる。
僕が鈴蘭台の駅に持っていた印象は規模の割にこじんまりした古臭い駅舎、というものであったが、それはもう昔の話。いまは橋上駅舎に生まれ変わり、再開発によって新しく建てられた「BELLST鈴蘭台」*14 という商業ビルに直結している。北区の区役所もこのビルの上階に入っているので、役所と同居する駅でもある。
ところで鈴蘭台駅で有名なものと言えばこれ。
分岐器と踏切の複雑な絡み合い。
地形の制約上こうした特殊な形に設けなければならなかったのであろうが、その特異な形が僕みたいな人間を惹きつけて止まない。
字数があまりにも増えたため後の行程は後半に譲る。
反対側。
*1:「乗り鉄」という言葉もここ数年ですっかり人口に膾炙した。
*2:このうち江坂より北(大阪市外)は北大阪急行という三セクの路線となっているが、運行は大阪メトロ(旧大阪市営交通)御堂筋線と一体化しており、実態としては御堂筋線と考えて差し支えない。
*3:正確に言えば万博の開催期間中の千里中央駅は現在の位置より手前に仮設駅として設けられていた。線路そのものが駅の手前で折れて会場方面へ伸びていたためだ。現在その区間は廃止となっているが、地下や地上の一部に当時の名残りをみることができる。
*4:新しい町と森にある町をかけて「しんまち」。これは愛称で正式には水と緑の健康都市。バブル期に計画、開発され00年代に一応の街びらきを見たという、バブル時代の計画によく見られる事例。
*5:この日はこの後も滞在時間の短さをあれこれ実感する一日となる。
*6:同名の駅が千葉県にもある。
*7:猪などどこでも食べられるじゃないかと思う人もいるかもしれないが、丹波篠山の猪肉は伊豆の天城、奥美濃の郡上に並ぶ三大産地として古くから知られていたという。
*8:先ほどの光風台の系統と番号が被るが、これは管轄する営業所が違うため。
*9:同じ乗り場から出る有馬温泉行きは平日は夜に1日三本。土休日も日中の便は冬期運休となる。以前のダイヤ改正で大幅に減便された結果だ。もっとも有馬温泉行きは経由地が二つあって、こちらは山間部を通るもの。名塩ニュータウンや北六甲台などの住宅街を経由する系統は平日も土休日も1時間に1本は確保されている。
*10:後述するが宝塚から西谷地区へ向かう便は2021年4月1日のダイヤ改正で全廃。
*11:もちろん現在の湖面へ向かう石段は後付けだ。本来は鳥居からまっすぐ階段が続いていたらしい。
*12:有馬温泉へ向かうことに由来するが、同温泉を目的にする街道が複数あるため神戸付近には「有馬街道」がいくつか存在している。
*13:旧道を拡幅したと言った方が正しいかもしれない。
*14:ベルスト鈴蘭台。「BELLST」というのは鈴蘭台の鈴「bell」と、駅「station」、再開発による出発「start」の頭「st」からきている。