雑考閑記

雑考閑記

雑な考えを閑な時に記す

資格がないという自覚は持ちたい

「実はぼく『文学フリマ』の参加資格を持っていないんです」

 

 これは僕が『文学フリマ』に参加されている方と話すときの定番のひとつだ。

 こう言うのにはむろん理由があって、それは文学フリマ公式の〈文学〉の定義、

文学フリマでの〈文学〉
「自分が〈文学〉と信じるもの」が文学フリマでの〈文学〉の定義です。
既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず〈文学〉を発表でき、作り手や読者が直接コミュニケートできる「場」を提供するため、プロ・アマなどの垣根も取り払って、すべての人が〈文学〉の担い手となれるイベントとして構想されました。

 『文学フリマとは | 文学フリマ』内「文学フリマでの〈文学〉 」より引用

 に依っているわけだ。また加えて、

また、「文学フリマ」は「文学作品の展示即売会」ですが、そこでの〈文学〉の定義は参加者各自に委ねることとします。

同ページ「文学フリマの理念と目的」より引用

 とも言っている。そしてこの『理念と目的』の冒頭でこのように述べている。

文学フリマ」は既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず〈文学〉を発表できる「場」を提供すること、作り手や読者が直接コミュニケートできる「場」をつくることを目的としたイベントです。

その意味するところは、〈文学〉を閉鎖的な営為の中から解き放つことであり、すべての人に〈文学〉の担い手となってもらうことでもあります。

 参加者の視点に立てば『文学フリマ』という場の第一義とは、各自が自らの〈文学〉観に基づく作品を発表*1する場である。

 

 そんな場において参加資格がないという私はなんなのか。

 これについて現時点での分析めいたものを残しておく。

 例によって自分のことだけを述べた記事である。

 

 まずこの記事は前回に述べた内容を下敷きにしている。

ks2384ai.hatenablog.jp

 

 

〈文学〉なき私

文学フリマ」における〈文学〉というものが『自分が〈文学〉と信じるもの』であるうえ、『そこでの〈文学〉の定義は参加者各自に委ね』られるものである以上、その場に参加している私にもなにしかしらの〈文学〉観が内在していなければならぬはずである。

 しかし、冒頭に述べたようなことを口にする時点で、私には自分の〈文学〉というものがまるでつかめていない。

 

 つまり信じる、信じない以前の問題であり、畢竟するに僕は〈文学〉というものが何かずっとわからぬままにものを書いてあの場に出ているのだ。

(そしてこれも方々で言っていることだが*2 )文学や小説というものが分からぬでも何かしら作品だか小説だかは書けてしまうから、僕は『文学フリマ』に何食わぬ顔でサークル参加している。

 なので僕が『文学フリマ』に卸している*3 作品が〈文学〉に該当するかと問われれば、まあ当てはまらないだろう。作者自身「これが〈文学〉だ」と言えるものがない中で作られた作品にどうして〈文学〉を込められよう。

 

文学フリマ』に参加しはじめて十数年経つものの、自分がいまだ『文学フリマ』という場にしっかり立てたという感覚を抱けないのは、全てここに由来している。

 

〈文学〉とは

 まあ「文学フリマ」云々は話の枕でさして重要ではない。

 わたしにとって大事なのは〈文学〉とは何かという部分だ。

 

 文学、現代日本では『小説』こそ文学の中心ですよみたいな顔をしているが、ご存じのようにそれは近代以降のことだ。文学史で学ぶ文学には口伝があり和歌があり、説話や軍記があり、各種の草子もあった。といってここで日本文学史は掘り下げないが、いずれにせよ文学≒小説の面目が成り立つのはせいぜい明治以降。*4

 

〈文学〉とは文学史的には時代によって変遷しうる広範なものである。

 小説とはそうした多様な〈文学〉の一形態にすぎない。

 

 というのは知識として理解している。そしてこの定義の広さに大いに甘えてしまえば、こうした自問自答の文章すら〈文学〉に含めてしまえるのではないかとも思えてくる。

 しかし僕にかけられている呪縛が、そんなものは妥協だ逃げだと笑う。

 この呪縛は僕がなにかしらの小説を書こうとする時、小説について考える時、あるいは広範に〈文学〉というものを考えようとする時などに常につきまとう。

 

〈文学〉という呪縛

 ここに「純文学」という小説の形態がある。

「純」というその呼び名から、〈文学〉における何かしらの混じり気のなさ、妥協のなさを感じさせる(少なくとも僕はそう感じて気後れしてしまう)。あるいはそこに文壇であるとか権威であるとかを匂わせる*5

 私は現代における純文学の在り方や文壇がどうだという状況はまるで知らぬが、しかし元々いた畑と恩師との関係もあって、「〈文学〉と言えば純文学」という意識が、いや、もっと言えば「純文学にあらずんば〈文学〉にあらず」という固定観念が強く印されている。そして特に断りなく〈文学〉と言われたら僕はそれを「純文学」だと捉えてしまう程度には教育されてしまっている。

 

 純文学でなければ〈文学〉ではない。

 

 この焼き印こそ私の呪縛の正体であり、この問題の起点でもある。

 つまるところ僕にとって「〈文学〉とは何か」という問いは、「純文学とはいかなるものか」という自問に等しい。

 そしてここから生じたのが「純文学を書いていない俺は〈文学〉をやっているとは言えない」という劣等感だ。

 

 この呪縛と劣等感は僕が大衆小説的なもの*6 を書こうとする際にも「逃げている」とか「お前のそれは文学ではない」とか、そんなことを言ってくる。(こういうことを考えてしまう時点で「純文学以外の小説は文学にあらず」という意識が根付いている証拠だ。)

 そしてこれは、私が前の記事で頑なに『小説』と言い続けた理由にも絡む。人によってはあの記事の「小説」「小説観」は、そのまま「文学」「文学観」に置き換えても差し支えはないだろう。

 だが、私ではだめなのだ。私は「小説」と「文学」を切り分けることで辛うじて「これは〈文学〉ではないから、小説だから」と自分に言い聞かせ、精神衛生上の自衛を図っている。

 

小説と文学

 自衛にあたって「小説」と「文学」を分けるには、「小説」と「文学」(もっといえば「純文学」)の差異を求めなければならない。単なる言葉の置き換えならば分ける意味はないからだ。といって完全に切り離すのも分野上不可能であるし、それができていればこんなに悩んではいない。

 つまり〈文学〉と「純文学」と「小説」を異なるものと位置づけながらも、近い座標には置かねばならないわけだ。

 で、現在の僕なりの結論から書く。

 

 おそらく「純文学でなければ〈文学〉ではない」という言説は、

1:「純文学」を小説内の一区分と措定したうえで「現在における主な文学形態は小説」という近代的な図式で見た場合

2:「純文学」を「媒体に囚われない純的な文学」と定義する場合

 この二つの上で成り立つのではないだろうか。

 

「2」は文学史的な広範な〈文学〉に基づくものだ。〈文学〉が多様なものであったという前提に立ったうえで、これらの〈文学〉の中に「純粋」的な要素を見出そうとする姿勢を指す。いわば純文学を文学史上から通史的に見出そうというものだが、その時点でひとまず僕の焦点からは外れる。(文学史的に述べるのならば、「純文学でなければ〈文学〉ではない」というのは近視眼的な言い分になるかもしれないが、俺の問題点はそこではないよ、と。)

 

 小説を書く僕は必然的に「1」の見方を採っているし、その見方が成った時点で『〈文学〉の中に「小説」という形態があり、そのうちの一部が「純文学」という区分である』という整理も一応は済んでいるわけだ。

 そして僕はその「小説」の区分の内で「純文学」ではなく「大衆小説」というものを志向して書こうとする場合が多い。(これが「〈文学〉ではないから、小説だから」という自衛である点はすでに述べた。)

 

 しかし呪縛はなおもこう指摘してくる。

 

「近代以降の〈文学〉が小説に代表されるようになったのはひとえに『純文学』によってではないか?」

「お前の言う文学と純文学は等号で結び付けてもよいのではないか?」

「そこを避けて小説を書くのか?」*7

 

 うるせぇよ、と言えたら楽なんだけど言えないからいまこんなものを書いてるわけで。

 

 反論はある。

 私としては「〈文学〉の中の大衆小説」というミクロな視点で考えることで、「〈文学〉あるいは純文学とはいかなるものか」という問いの真正面に立たないようにしているのだ。

 これについて「〈文学〉に小説が含まれるのならば、小説について考えるということは多かれ少なかれ純文学について考えることでもあるのでは? 避けられてなくね?」と思う人もいるだろう。

 

 おっしゃる通りだ。

 

 しかしこの〈文学〉と小説、そして「純文学」と他の小説を切り分ける自衛策は必ずしも防戦のためのものでもない。(と自分に言い聞かせている。)

 幸い現在の私は「小説」については考えられる。

 そして微視的に「小説」を考えるということは、巨視的に通じている〈文学〉ひいては純文学について考えることにどこかで通じるはずだと信じている。というか、現在の状態ではおそらくこういう形で経由しなければ「純文学」へのアプローチをかけられない。*8

小説とは

 小説というものは考えることができるので、曲芸的に大衆小説の方向から純文学へのアプローチを試みている。

 そんな自分に対してさらに底意地の悪い問いかけが続く。

 

「お前は大衆小説を志向しているというが、そもそも純文学や文学がわからない身であろう。それなのに大衆小説がなんたるかということはわかるのか。純文学がわからないくせに大衆小説と純文学の区別はつくのか」

 

 この問いには正直に「分からない」と答えるしかない。

 だからこそ繰り返し「小説」について考えたい、考えねばならぬと言っているわけであるし、その過程として自己解体と自己言及を求めているわけである。

 

 そうした中でなんとなくこうなのではないかと掴みかけているものもある。

 小説というのはおそらく「人間を描く」ものではないだろうか、と。

 

 どちらかというとデータや根拠のみを求めてしまう人間であった私が、小説ないし芸術に惹かれるのもそこにあるのではないかと踏んでいる。そしてこれは人間という存在を僕なりにしっかり把握したいという欲求の表れであるかもしれない。

 しかし現状のこれをそのまま「純文学」に転用していいのかはまだまだわからない。

 

 大体こんなものに正答がないのは承知している。

 そして正答がないからこそ、その時点における自分なりの答えを導かなければならないとも思っているし、だからこそ生きている限り探り続け問い続け、もがき続けるのだろうと考えている。

 

 私が抱いているのは「劣等感」ではなく、「劣等コンプレックス」ではないかという気もしないではない。いずれにせよこの辺りの問題が僕の「承認欲求でものを書く」にも通じているのではないだろうか。最近はそんなふうに見当をつけているが、さてさて、どうなることか。

 

向き合わねばならぬという予感

 ここまで長々と書いてきた。

 それらはいっとき純文学を志し、がっぷり組み合ったものの、なにもつかめぬ無力感に打ちのめされ、しまいには背中を向けて敵前逃亡した敗残者の未練の煩悶。

 そう切り捨ててしまえばそれまでであるかもしれない。

 しかし私はまだ自分を切り捨てられるほどには自分を諦めていない。*9

 

 前回の記事で以下のようにも書いた。

 小説を書くための自己の省察は自己との対話によってのみなされるべきだと考える人もいるだろう。また、作品を書くこと自体が自己との対話であると考えている人もいるだろう。はたまた対話の結果として作品が出来上がるという人もいるかもしれない。

 自己との対話を徹底して行えなかったのも〈文学〉に背を向けた理由のひとつ。  だから今は他人を利用して再臨できないかと考えているわけである。

 

 ……逃げたものと本格的に向き合うには、このトラウマみたいなものをしっかり直視したうえで、そして可能ならばがっちり押さえつけたうえで、再びがっぷり正面から組み合うしかないんだろうな、ということを漠然と感じはじめている。

 純文学と小説を切り分けるのは必ずしも防戦のための自衛ではないと言いつつ、やはり「逃げ」が根底にあるのは否めないからだ。小手先の手段だよね、とか、向き合いたくないがための言い訳だよね、みたいな。

 そう感じてしまう時点で、現代の純文学作品にもっと取り組まなければならないなぁとは思っているのだろう。

 

 だいたい僕が読んだことのある純文学の(歴史的に新しい)作家が三島由紀夫福永武彦である。そこより前の作品や作家には今もちょくちょく手が伸びるが、そこから後は手つかずのままだ。つまり俺の中での純文学ってのが70年代で止まっている*10 。そら時代的にちょっと古いんじゃない? という感じである。

 文学に古いだの新しいだのは似つかわしくない気もするが、純文学をつかもうとする人間が現在のものをまったく読んだことがないというのは笑止であろう。

 

 僕が純文学に向き合う覚悟をどこで固められるか。

 それが今後の僕にとって重大な出来事となる気はしている。 

 と言うだけなら僕にもできるんですけどね。

 

最後に余談を三つ

(1)

 枕で「『文学フリマ』の参加資格」がないと言っているが、そもそも文学フリマの公式は参加資格そのものは語っていない。『「自分が〈文学〉と信じるもの」が文学フリマでの〈文学〉』で、その「〈文学〉を発表できる「場」を提供すること、作り手や読者が直接コミュニケートできる「場」をつくることを目的としたイベント』と言っているだけだ。

 まあ、〈文学〉を展示即売する場に自分の〈文学〉を持ってない奴が出て行っても何ができる、という話であるが。

 

(2)

 僕の日本文学史観は加藤周一の『日本文学史序説』の影響が大きいと思われるので、そこは割り引いて考えてほしい。しかしこの大著は読んで損はないはずなので、最後に広告付きで貼っておく。こんなところまで付き合ってくれた方へのお勧めとして。

 ……文学史上から「純文学」を見出すことは僕の焦点ではないと言ったものの、純文学とはなにかを考える上では、通史的に捉え直すのももしかすると必要なのかもしれないな。俺も読みなおそっか。

 

(3)

 いまだ〈文学〉をつかめないでいる僕だが、それでもやはり逃げる前には取り組んでいた過去があるわけで、その際に最も腰を据えて組み付いていたのが吉田健一だ。とりわけ『文学の楽しみ』『文学概論』の二冊は繰り返し開いた。

 吉田健一の文章はともかく組み付くのに苦労する。それがある程度までいくとそれなりに噛み砕ける(ような気がする)が、それらがさらに腑に落ちるようになるのに一手間も二手間もかかる。

 僕のころはハードカバーだったが今は文庫で出ているので気分的には楽に読め、いや、無理だな。ともかく濃密な時間を過ごせること請け合いだ。人によっては胃もたれを起こすかもしれないが。これも読みなおそっか俺。

 

   

 

*1:販売しろとも頒布しろとも言っていない。

*2:なんならひとつ前の記事でも触れている。

*3:あえてこう表現する。

*4:もちろん私は現代において詩歌は文学ではないということを言いたいのではない。

*5:その匂いを突き詰めると『文学フリマ』誕生の経緯となった「不良債権」問題に絡むのかもしれないがそこには触れない。これはあくまで僕の個人的な話だから。

*6:基本的に僕が書くのは大衆小説的な志向が強いのでこう書く。

*7:私が大衆小説を志向するようになったきっかけが「純文学から逃げた」結果であるのは事実である。

*8:それぐらい「純文学」への苦手意識が根付いている。

*9:それこそ未練であるかもしれないが。

*10:三島由紀夫は70年に自殺、福永武彦は79年に死去。