雑考閑記

雑考閑記

雑な考えを閑な時に記す

流行が流行であるうちは

 雑談におけるコミュニケーションツールのひとつでしかない。

 だから実際に流行っているものが好きかどうかはおそらく二の次だ。大事なのはそれが会話の糸口になるという点にある。流行は雑談における共通の話題としての起点でしかない。

 流行している対象を自分が「好き」か「興味がない」*1 かのみで判断してしまい、「そうでない」なら一切触れないというのは、コミュニケーションツールとしての利点をみすみす見逃してしまっていてもったいないな、と最近思うようになった。

 

 流行がコミュニケーションツールとはどういう意味か。タピオカドリンク*2 を例にあまり中身のないやり取りを挙げる。

 以下、AとBは会話をする顔見知り程度の仲とする。

 

A「タピオカ流行ってるよね、飲んだ?」

B「うん、僕は××って店のを飲んだよ」

A「ほんと? その店気になってたんだ。美味しかった?」

B「ちょっと僕の口には合わなかったかな。でも買うのにかなり並んでたから美味しいんじゃないかな」

A「私は〇〇で飲んだんだけど、それなら次はそこのを買おうかな。〇〇のもめっちゃ美味しかったから挑戦してみたら? 合うかもよ」

B「うん、そうしてみる」

 

 勧められたBは「そうしてみる」といったものの、このあと実際に〇〇で飲むとは限らない。社交辞令であるかもしれないからだ。またそれ以前の段階として、この会話はBが××という店に行っていなくても成立する。店の情報をネットなんかで軽く見たことがあって、それを思い出しながら応じただけかもしれないのだ。もっと言ってしまえば、本当はタピオカドリンクすらどうでもいいと考えているかもしれず、その場の話として無理のない範囲で乗ってみただけの可能性もある。(『そこまでして話を合わせなくてもいいだろう』と思う人もいるだろう。それはあまりよくないのでは? という例をあとで掲げる。)

 

 ただしいずれにせよ、さしあたりの会話になった時点でコミュニケーションのツールとして流行が機能したのではないだろうか。

 私は「あまり中身のないやり取り」と書いたが、こうした類のコミュニケーションはそもそも充実した中身はあまり求められていない。充実した会話はこうした他愛ないやり取りの次の段階に置かれるものだからだ(例示したような軽い会話を何度か経て仲良くなってから行うべきものであろう)。会話は講演や授業ではない。顔見知り程度の仲の人間との会話に充実した内容を求めるのは、おそらく距離のはかり方を誤っている。

 

 冒頭に会話の糸口と書いたのはそのことを指している。同時にこれはひとつの試金石でもある。この人とはコミュニケーションをとれるだろうか、他愛ない話ができるだろうかと、意識的にせよ無意識的にせよはかっているわけだ。

 基本的にはそうした場数をなんどか踏みながら、流行性に囚われない互いの好みなんかを把握して、仲を深めていくのだろう。

 

 初対面で意気投合するような場合もむろんある。

 しかしそれはどんぴしゃりで好きなものや出身地など、共通の話題を得られた例だ。趣味の集まりなんかで初対面の相手とも仲良くなれるのはこの作用が大きい。もとより同好の士、流行の話題を挟んでこわごわと距離をはかる手間が省かれているからだ。

 

 

 さて、仮にBが流行をコミュニケーションと捉えておらず、流行っている対象を「好き」か「興味がない」かのみで判断する人間だったとしよう。そうして今回その判断が「興味がない」に触れていた場合に先の例を持ち出してみる。

 

A「タピオカミルクティ流行ってるよね、飲んだ?」

B「タピオカに興味ないからなあ」

 

 コミュニケーションは不成立と考えていいだろう。

 会話の糸口をバッサリ裁たれては取り付く島もない。

 これはBが『そこまでして話を合わせなくてもいいだろう』と思っている人の場合も同じような経過をたどるのではないか。「流行ってるみたいだね。でも飲んだことない」で少し話が長引く程度であろう。

 ただしBが意欲的ならば、「流行ってるみたいだね。僕は飲んだことないけれど、ちょっと気になってたんだ。美味しいお店ある?」と返して会話を続ける形は大いにあり得る。まあ、話を合わせなくてもいいと思っているタイプがそんな返しをするかは怪しいが。

 

 いずれにせよ、コミュニケーション不成立という状態がことごとく続くと、次第にはさしさわりのない天気の話なんかするようになるか、話しかけられなくなってAB間の会話自体が途絶えてしまうだろう。*3

 ともすれば天気の話はダメな会話例のように言われるが、あれは天気の話がダメなのではなく、天気のことしかないような話題の乏しさがダメだと言っているに過ぎない。たとえ切り出しが天気であっても、

B「Aさんと前に話したときはかなり暑かったけど、今日はだいぶ涼しいね。そういえばタピオカミルクティーってホットはあるの? 美味しい?」

 みたいにつなげられるのならば、じゅうぶん会話は成立するだろう。

 

 結局のところは会話や雑談をどのようなものと位置付けているか、ということなのかもしれない。

 

 

 会話はトレーディングカードゲームのようなものだ。

 そのたとえでいうと天気の話はバニラ*4 にあたろう。それだけで組まれたデッキで人と渡り合うのはほぼ不可能だ。というかゲームが成立する要件(デッキの最低枚数)を満たしているかも怪しい。

 人と会話するためにタピオカなり、そのほかの話題なりのカードを取り揃えてデッキを構築する。ただし「流行」という種類のカードは特徴こそあれどあまり強くはない。主力をひくまでのつなぎでしかないだろう。では会話デッキの主力となるのはなにかといえば、結局のところそれは自分が得意とする話題になるだろう。ただしカードゲームがそうであるように、使い手のデッキにも相性があるので、その主力を使うのか軽く流してしまうのかの判断は各々に委ねられる。

 

 

 人間別に必要以上の会話やカードゲームなんてしなくても死にはしない。

 死にはしないが、それだけ人との交流が減ってしまい、レートのようなものも下がってしまう、かもしれない。

 その例として昔の僕を出そう。

 昔の彼は(いまよりも)流行をコミュニケーションツールだと捉えていなかった。当然ながら流行には興味を示さない。それどころか思春期特有の万能感を抱いている時期がとても長かったので、流行に流されるやつはバカだ無能だと見下していた。*5

 家では「飯」「風呂」「寝る」でいつの時代の人間だよという口数の少なさ。

 こんな人間が(見下している)他人と会話なんてできようはずがない。

 そうしてほとんど人と話さなくなり(というか話しかけられなくなり)、結果として会話が貧困化した。

 つまるところデッキも貧弱となる。天気の話しかない。準備もなしに主力カードを出して負ける(そもそも人との会話で戦力を磨いてこなかったので、主力といえどその能力は推して知るべし)。もっとひどいときにはそもそもゲームに参加すらしていない。無言を貫くか無視するかしかできなかった。

 

 会話というのは大事だ。

 人生の節目にはたいがい面接という関門がある。

 もちろん会話を磨いていない人間は質問に淡々ぼそぼそと答えるだけ。

 通るとお思いか?

 

 という具合である。

 主語を大きくしないためにある個人に焦点をあわせたが、そいつの経験から踏まえると流行といえども、やはりバカにはできない。ころころ流されてしまうのは軽薄ではあるが、あまり「興味がない」ものでも流れをそれなりに把握しておけば、いろいろな人に対応できる弾力的なデッキが構築できるのではないだろうか。*6

 

 という、会話テクニックの初歩の初歩に気付いたのはここ数年ですよ、遅すぎたなおっさんというお話。

 

 

 

*1:=嫌い、ではない。この点は大事だ

*2:すっかり下火となった。

*3:Bが会話を望んでいないのならば、それはそれで成功だろう。ただしそのケースはこの記事の本旨ではないので無視する。

*4:なんの効果や特徴もない基本的なカードのこと。

*5:上の段でカードゲームを例に出しているが、僕はカードゲームをやったことがない。僕の世代で「流行」したからだ。カードを必死こいて集めても流行はやがて廃れる。ケチなのも相まって、散財する同級生をもちろん見下していた。

*6:冒頭に書いたように、「興味がない」=「嫌い」ではない。嫌いなものまで把握しなくてもよい