雑考閑記

雑考閑記

雑な考えを閑な時に記す

それでも上京したやつの話(2019年10月11日:1日目:グランクラス・リベンジ)

 イベントはなくなったのに東京へ行った男の話の1日目。

 

 

 

10月11日(金)曇り

いつもの始発で

 涼しいが無風なので歩くと汗ばむ気温。せめて風があればと思う。

 例によって始発で大阪を出る。今回は特急を使うのでわざわざ前夜の最終で大阪に出て、インターネットカフェで始発を待たなくてもよいのであるが、気分的にイベントに参加するためにもそうした。

 これに関して、僕はなくなった部分だけを空白にしておけばよいと思っていて、中止によって出発時間やらの細部を組み替えたくなかったのである。今回の行動自体がそういう性格の下で行われている。
 これに限らない。途中で何かが抜け落ちたとしても、可能な限り当初の予定に沿って動いていく。そういう性格なのだ。臨機応変ができないというか、臨機応変に動く場合は「臨機応変に動く」こと自体を予定に組んでいる。本末転倒、まったく機に応じて動いていない。

 閑話休題、自分の話などより先へ進む。

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 空が薄紫に明るくなってきたのは5時30分ごろ。春の上京時と同じだ。あの時は3月下旬でいまは10月上旬、半年ほどでちょうど似た時分の日の出時刻なのであろう。ただし半年前と違って今日は大いに曇っている。そんななか辛うじて太陽を確認できたので撮影した一枚。

 

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 米原にて、3月の上京時も同じ並びを見ている。

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  いつもならばこの手前の新快速|浜松行き*1 に乗るのであるが、今回は見送って奥の列車に乗る。といってもあれはまだ回送。


北陸経由

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 関西コミティア参加時に大阪駅で買った今回の切符。

 券面表示の通り、関西から上京するにあたって北陸(新幹線)を経由する。そのためまずは金沢を目指す。前回の帰りで乗った北陸新幹線で盛大にやらかしたので、それを挽回するためだ。*2

ks2384ai.hatenablog.jp

  大阪から金沢ならば「サンダーバード」で一本であるが、今回は米原に出て「しらさぎ」で向かう。米原北陸本線の起点だ。ここから本格的に旅を始めるのは、北陸の名を冠する新幹線への雪辱を期するにあたっての儀式のようなものだった。
 折しも台風が接近しつつある中で、空の大半は雲に覆われている。冬の日本海を思わせるような鈍い色の空で、いざ北陸へという気分も高まる。

 1時間ほど余裕があるので改札を出て駅舎をぶらぶら。改札前では警察が着ぐるみ連れてキャンペーンを展開していた。旅人の私にも丁寧にクリアファイルを配ってくださる。

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 米原駅の東西自由通路には地元の広告や湖北の観光ポスターが多く張り出されていて地域感があった。

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 西口と東口。

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 東口で見かけた奇妙なバス時刻表。時刻の面が逆じゃなかろうか? なんで道路の方を向いて……。

 

 駅に戻る。
 朝の通勤通学にかかる時間帯で、京都大阪方面への快速や新快速はかなりの乗車率で発車していく。一方で岐阜名古屋方面の列車は空いていた。18きっぷの期間中ならば関西方面からの乗り継ぎで混雑しているのであるが、*3 いまは期間外なので空いている。こちらが本来の関ケ原越えの乗車率なのだろう。

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 そうした中、米原始発の「しらさぎ」51号が留置線より到着。*4 発車の10分前にはホームに据え付けられるので比較的に早い方だ。「サンダーバード」なんか始発の大阪駅でさえ5分前とかにホームに来るからな。始発駅なのに停車時間が短いのは慌ただしくて好きではない。

 この日の「しらさぎ」51号はW05編成。通常6両のところを9両に増結していたが、付属編成の編成番号は確認していない。

 

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 車両はぼろぼろ。この編成はいずれも95年製造の車両で組まれているから、まもなく25年となる。適宜に検査入場で塗装されるとはいえ、さすがに経年による痛みは隠せない。「サンダーバード」編成は順次リニューアルされているが、こちらは北陸新幹線敦賀開業までだましだまし使うのだろう。

 新幹線からの乗り換え客を受けて米原を出発、快速で湖北路を行く。晴れ間が差し出す。列車は台風から逃げるように北へ。なんなく近江塩津を通過し、あっという間に福井県敦賀へ。北陸線の特急はやはり速い。

 敦賀までの指定席の乗車率は4割ほど。みんな窓側に座れるぐらいだ。

 時間帯の関係で出張風のサラリーマンがほとんどである。現在はどうか知らないが、原発が多い関係で昔は大阪や名古屋方面から敦賀までの特急利用が多かったという。

 

北陸トンネルとデッドセクション

 敦賀を出発後に車掌から北陸トンネルに入る旨が告げられる。観光地でもなく、ましてや朝のビジネス利用の多い時間帯になぜと思われるかもしれないが、続く言葉を聞けば納得するだろう。「7分ほど携帯電話が通じなくなります」といった内容だ。
 北陸トンネルは福井県の南北を結ぶ重要な隧道で、総延長13.87㎞と北陸本線随一の長さを誇る。現在でもJR在来線の陸上トンネルとしては最長だそうだ。
 この約14kmのトンネル通過するにあたって、現代という事情を鑑みれば7分も通信機器が通じない旨は確かに事前に案内した方がよいのだろう。

 もっともこういう案内も北陸新幹線敦賀まで開業すれば聞けなくなると思われる。新幹線はトンネル内でも携帯電波が通じるように工事がなされているからだ。*5
 走り抜けるのに7分ほどかかる長大なトンネルで電波が通じず、その案内をあらかじめ行う光景もやがて過去になるのかと思うと寂しい。

 

 さてその北陸トンネルに入る手前に、電化区間の電源が直流から交流に切り替わる区間がある。
 鉄道の電化区間に交流と直流があることはここに長々と書かないが、両方を同じ架線には流せないので、その切り替わりとなる地点を挟んで電気が流れていない区間がある。これを死電区間デッドセクション)という。
 電気が流れていないので、交直に対応した古い車両がこの区間を走り抜ける際は夜でも車内の電気が消え、モーターも一時的に切れて静かになったものである。
 しかし『しらさぎ』に使用されている681系も含め、現役の電車は全て予備電源のおかげで車内の灯りが消えないため、ほとんどなんの変化も見せず走り抜けてしまう。

  それでもモーターは一時的に切れて静かになる。幸い僕が乗っていたのはモーター車であったから*6 、注意して耳を凝らしていたのでそれとなく静かになった気がした。しかしそれと知っていなければ客室にいたのでほとんどわからないだろう切り替えである。
 こういった死電区間での切り替わりもすっかり昔のものだ。

 

 北陸トンネルもあっという間に過ぎてしまう。昔はとても長く感じられたものの、一年が疾く過ぎるのと同じで、僕が年を取ったから短く感じられるのだろう。一年が早く感じられるのだから、それよりも短いトンネル通過など実に須臾の間である。

福井のそば

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 嶺北に入ると雲の隙間が目立ち、晴れと言っても差し支えない天候に。雲がなければ見事な秋晴れだったろう。時々さす日差しはまぶしくはないが、カーテンを閉める人が目立つ。ノートパソコンやタブレットの液晶画面に反射してしまうからだろう。こういった光景もまた、朝のビジネス列車としての性格を担っている北陸特急の一幕であるのだろう。
 一方で物見気分の僕はずっと車窓に目を凝らし、ときには反対側を見るためにデッキに立ったりしていた。

 福井を出た段階で座席は2割ほど。この先でどっと乗ってくることもなさそうだ。

 

 沿線の田んぼは3割くらいで稲刈りがすんでいた。残りも10月のうちに刈られるだろう。
 その田んぼに混じって背の低い白い花が目立つ。ソバの花だ。これも月末ごろになれば実をつけて収穫されるのだろう。
 福井県はそばの作付け面積および収穫量が毎年だいたい5位ぐらいのソバ王国である。元は水田が多かったが、減反政策による転作でソバへの転換が進んだという。特に嶺北北陸本線沿いの平野は近年作付けが伸びた地域を貫いている。そういう背景があるため、田に混じってソバ畑が広がっているのである。


 北陸本線と福井のそばの関係が面白いので、もう少し突っ込んで紹介しておく。

 明治に北陸本線敦賀と福井間が開通した当時、今庄駅で販売されたそばが評判となった。先ほど7分で通過した北陸トンネルの開通前の話だ。旧線(山中越え)は現行線となる北陸トンネルのずっと北側を12本のトンネルと4つのスイッチバックでつないでいた。*7 峠を挟む長い区間なので前後の駅では機関車を増結して峠越えに対応していた。その南側が敦賀で、北が今庄といういまは山間の小さな駅だ。
 これらの駅では機関車を連結するために長時間の停車を余儀なくされたのであるが、そういった駅では駅弁や駅そばが重要な商品となる。その今庄駅で売られていた駅そばが客の評判となり、それらを伝手として福井のそばの美味さが全国に広がっていったのだという。
 福井駅などにある駅そばの店名は「今庄そば」となっているが、これを経営している豊岡商店のルーツはこの今庄にあるわけだ。北陸トンネルの開通で付け替えなどがなくなり客が減ったため、福井に引っ越して営業を続けている。

〈参考資料:『「ふくいそば」の話』福井県農林水産部福井米戦略課(福井そばルネッサンス推進実行委員会)(平成31年2月)〉『「ふくいそば」の話』(PDF)

 余談に余談を重ねる。食の関係で言えば「食育」という言葉を初めて用いた石塚左玄福井藩の出身だ。食にまつわる福井県のは話であった。

 

 話と列車を先へ進めよう。
 福井以北では建設中の北陸新幹線の橋脚が特に目立ってくる。建設状況はまちまちだ。
しらさぎ」51号は同区間の「サンダーバード」に比べてこまめに停車を繰り返していく。一部の「サンダーバード」が金沢、福井、京都、新大阪、大阪と新大阪を除いて府県庁駅にのみ停まるのとは大違いだ。特に51号は下り「しらさぎ」の一本目ということもあってか、特急停車駅のほぼ全てに停まる。急行といったほうがよいかもしれない。
 北陸新幹線の白山車両基地を通過すると間もなく金沢となる。

 

金沢駅を見る

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 10時5分着。米原から2時間弱。
 次に乗る北陸新幹線の「はくたか」562号は11時56分発。約2時間後だ。
 これは新幹線開通後に通る久々の金沢なので少しゆっくりしようと考えての意図的なもので、乗り継ぎ列車を3本遅らせているからだ。*8

 

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 金沢駅では和倉温泉の方へ向かう観光列車『花嫁のれん』の発車を見送った→花嫁のれん│観光列車の旅時間:JRおでかけネット

 

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 現代の金沢駅の象徴といえばこのおもてなしドームと鼓門だろう。すでに15年近く経っているが、新幹線が通る県庁の駅として堂々とした威風ある構えを生み出している。

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 駅舎自体も高架駅として機能的なものとなっており、国鉄然とした旧駅舎の面影は完全にない。90年代初頭の金沢駅舎の写真と見比べてみると、30年以上の時間の隔たりを感じられるだろう。

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 西口も立派なものとなっている。かつてはいかにも駅裏といった感じのこじんまりしたものであったと記憶しているが。*9

 

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 西口の駅舎前の人工池では睡蓮が咲いていた。温帯睡蓮の花期は10月ごろまでだそうだ。

 

 

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みどりの窓口」にある北陸新幹線開通を祝う飾り皿。
 ちなみに窓口は台風が通過する翌日以降の問い合わせのためか大混雑しており、改札近くまで列が伸びていた。

 

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 金沢駅自由通路の柱には石川県域の伝統工芸品の案内と実物が収められている。ちょっとした振興展の装いで、じっくり眺めて過ごすだけで1時間はゆうに過ごせる。ことに沈金、象嵌、蒔絵の技巧のすばらしさには息をつくばかりだ。

 

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 ほとんどの観光客が気付いていないふうなのが実にもったいない。あれらの目はどこについていているのだろうか。そんな目で観る光りなど大したものではなかろう。

 

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 鉄道駅に到着時刻を記した時刻表が別にあると、地方へ来たなという感じがする。

グランクラス

 金沢駅での自由時間は少なく見積もっても1時間半あると思っていたのであるが、友人への土産を買って駅のあれこれを見ているだけでもう11時15分となってしまった。
 少し早いが新幹線ホームへ上がる。金沢(駅)滞在は体感では1時間にも満たなかった。

 次に乗る「はくたか」562号は金沢での折り返しがちょっと面白い。時刻表ではこの11時56分発の列車の入線時刻が11時6分となっている。つまり50分も前にホームに据え付けられるのである。
 金沢は終点でそのまま車両基地まで線路がつながっているため、ほとんどの到着列車は回送で出入りする。またそうでない列車も、もっと短い時間で清掃を終えて折り返す。しかしどういうわけかこの列車だけが50分もホームに在線しているのである。*10 多くても1時間に4本の現行ダイヤではそれだけ余裕があるということだろうか。
 といっても他の新幹線同様すぐ車内に入れるのではなく、清掃を終えてからとなる。11時15分ごろに上がってもまだ清掃中であったので一度階下の待合室へ降りる。

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 ここ、新幹線の改札内待合室にも伝統工芸品が納められている。見て過ごせば30分はあっという間だ。

 

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 11時40分ごろ、清掃が終わり車内へ入れるようになっていた。
 発車20分以上前に車内に入れると始発駅から乗る楽しみというか、価値というか、余裕があって落ち着けるのでとてもよい。逼迫した東京駅の余裕のなさ(折り返し12分で、発車2~3分前に乗車)は仕方ないにしても、余裕がある駅では早めに据え付けてほしいと思う。

 

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 さて、半年ぶりにグランクラスに乗り込む。
 前は金沢に着いた時は嘔吐感にさいなまれ這う這うの体で一切余裕もなかったが、今日はのんびりとできる。

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 撮影自体は前回に済ませているので手短にすませて車内やホームを散策する。

 

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グランクラス利用者に備え付けられた各紙。スポーツ紙を除きいずれも一面で強大な台風の襲来を報じていたと記憶している。前も書いたが北陸新幹線という土地柄、ブロック紙北國新聞があるのが嬉しい。

 

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 柱の上部とホームドアは金色で、これは金沢の金箔を表している。金沢は日本での金箔生産量の99%以上を占めるともいわれる。先の工芸品に金が多いのもそのためである。

 柱の麓に置かれているのは清掃用具入れ。

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 北陸新幹線用のE7/W7系車両を模していてかわいい。むろんこの車両に巻かれている金帯も金沢の金箔をイメージしたものだ。

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 普通車の荷棚や扉の金色もそれである。

 

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 ホームドアの車両案内は車体の帯を表している。きっと多くの人は気づかずに通り過ぎてしまうだろうけれど、こういう部分のデザインまで凝ってあるのを見つけるのは楽しい。

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 この日の「はくたか」562号はF16編成。後日談になるが、このF16編成は2日後には長野の車両基地千曲川の堤防決壊によって浸水してしまう。

 

雪辱

 11時56分、定刻発車
 グランクラスへの雪辱を果たす時が来た。今回は絶対にアルコールは頼まない。出発後にすぐアテンダントがおしぼりと飲み物の注文、軽食がいるかどうかを聞きに回ってくる。むろん飲食はするのであるが、グランクラスの机は展開すると席を抜けられない構造をしている。*11

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 次の新高岡の発車後に持ってきてくれるようにお願いしてお手洗いに立つ。この車両のお手洗いを酔っていない状態で利用するのは初めてだ。

 

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 14分後に新高岡を発車すると注文通りに軽食が運ばれてくるが、しまったと感じた。持ってきてもらうのは糸魚川を出た後でもよかったかもしれない、と。というのも、僕が座っているのは1-2配置の一人側となるA席で、地形で言えば日本海側を向いている。しかし北陸新幹線で海が見られるのは、糸魚川前後のわずかな区間だけだ。一方の内陸側は糸魚川のあたりまでは雄大立山連峰が眺められる。今日は曇っているが、それでもあの急峻な麓の方は見られるだろう。
 叶うならばデッキに立ってそちらを眺めたい。だけど僕はすでに机によって座席に閉じ込められてしまっている。グランクラスは確かに豪華だが、前の座席の背中から降りてくる机もない。バックシェル型だからそれぐらい作れるだろうに、と素人は思うが、とにもかくにも駅弁や軽食を置ける大きな机は目の前のものだけだ。一時的に置ける場所は床しかない。
 富山県を通るからには巍々とそびえる立山連邦を見たい……。どうすれば。

 そんなこんなで悩んでいる間に富山駅を出発していた。

 

 結局わたしは富山~黒部宇奈月温泉間の眺望を諦めて先に食べることした。食べ物を一時的に床に置くのは気が引けたし、どんくさい僕の事だからこぼしかねない。そんな失態を演じたくもない。のんびりとは過ごせたものの、なんだか慌ただしくもある奇妙な過ごし方であった。
 速達タイプの『かがやき』と異なり、『はくたか』は長野以北はほぼ各駅に停まるので、長野までは約10~15分ほどの間隔で停車する。持ってきてもらうタイミングは重要だと痛感した。

グランクラスで提供される軽食は路線(東北新幹線北陸新幹線)と上下(東京行、東京発)で内容が違っている。この日の北陸新幹線上りの内容は献立の通りだ。

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穴子天丼
紅葉麩含め煮
刻み紅生姜
ぶなしめじ当座煮
隠元豆煮浸し
だし巻き卵
玉ねぎ酢醤油
白飯(長野県産「風さやか」)

 美味しい。
 量は多くないので黒部宇奈月温泉を出るころには食べ終えていた。容器を引き取ってもらいすぐデッキへ向かう。かろうじて内陸側を見通せた。

 

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 後立山連峰を望む。雲の直下(ぎりぎり雲がかかっていない)にそびえているのは朝日岳だと思う。

 

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 姫川の上から。糸魚川では日本海が間近に迫る。曇ってはいるが荒れてはいない。

 

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 糸魚川から南方を眺める。山地は頸城アルプスと呼ばれ、妙高山に続く。糸魚川を過ぎるとしばらくは内陸を走り、上越妙高の近辺を除いて長野まで長いトンネルも増える。

 

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 ここでおやつとする。金沢で仕入れたあんころ餅だ。金沢のあたりでは夏の土用入りに食べるので土用餅といったりもする。金箔乗せや白あんなどいくらか種類があったが、竹皮に包まれた素朴なものを選んだ。日持ちしないのが昔風でよい。製造元の圓八は江戸期の元文2年(1737年)創業という老舗で、その昔は石川の松任駅で立ち売りもしていたという。

TOPページ あんころの圓八オフィシャルサイト

 創業以来のあんころ餅はしっとりした抜かりない味であった。美味しい。

 

 のんびりと過ごしていると千曲川を渡って善光寺平に出てほどなく長野となる。台風が迫る善光寺平は曇ってはいるものの、雨も降っていなかった。数日後に堤防が決壊するほどの被害が出るなど誰にも予想できなかっただろう。

 長野までで約1時間20分、すでに東京までの3分の1を来た。長野を出た『はくたか』は各駅停車の任を『あさま』(東京~長野の区間便)に譲って快速で飛ばす。この後は高崎、大宮、上野と関東の主要駅のみに停まる。

 

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 佐久平から望む浅間山は今日も雲に覆われていた。半年前あれほどの晴れ間で全容を見られたのはやはり奇跡であったのかもしれない。そして4日後のレポートで触れるが、東京からの帰りでは台風の影響で下をくぐっている道路(中部横断自動車道)を通ることとなる。この時点ではそんなこと予期してもいなかった。

 

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 上州の赤城山も、榛名も妙義も雲の向こうだった。

 

 高崎14時定刻。3分の2を来て東京まではあと1時間足らず。

 繰り返し書くが、本当にあっという間だ。新幹線ということを差し引いても早すぎる。というか3時間では短すぎる。今回の一連の上京で最も深く感じたのは、体感時間がどんどん短くなっていっているということだった。それだけ年を取ったのと、乗車マニアなので乗車時間そのものが楽しくて短く感じられるのの合わせ技なのだろう。国内でもシベリア鉄道のように一週間ぐらい乗っていたいものである。

 

 関東に出た高崎で雨が激しく降りだす。走行する新幹線の窓を水滴が尾を引いて流れていく。が、水滴はやがて完全に振り払われてしまった。最初は降り止んだいるのかとも思ったが、新幹線が早いから水滴をすぐに振り切ってしまっているのだろう。と思っていたけれど、少ししてまた水滴が張り付きだす。ん? 早いから吹き飛んでいるのではなくて、雨が降ったり止んだりしていただけかもしれない。断続的に激しく降っているようだ。そしてもう大宮。

 

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 扉上部の案内板に明日の列車運休のニュースが流れている。東海道新幹線は全線で計画運休を決めたようだ。続いて車内放送で車掌が首都圏の計画運休について案内していく。概ね事前告知があった通り昼以降の運休だそうだ。こまめな情報の確認をしてくださいと言っている。それだけ情報をしっかり見てくれと、念を押していたのが印象的だった。
 首都圏は前回の計画運休で混乱を招いてしまったから、それを挽回したいのだろう。

 

 14時52分東京着。幸いに降ってはいなかった。

 

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 向かいのホームには修学旅行表示の団体臨時列車が。

 

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 おそらく今日が最終日でこれから新潟へ帰るのだろう。約1時間後にも仙台行きの団体がある。これも修学旅行だろうか。

新刊を納本

 東京へ着いたがすぐに宿へは向かわず、当初の予定を履行する。夕飯に駅弁を買ってから有楽町へ出て、有楽町線へ永田町へ。国立国会図書館へ納本に向かう。

 まっすぐ職員用の西口へ向かい、氏名と入館目的、時刻を記し許可証(バッジ)をもらって国内資料課へ赴く。前回も納本しているので戸惑いはしなかった。

 国内資料課には先客がいた。

 おじいさんが本を手にして、職員の方に「納本すればISBNが付与されるのか」といったことを聞いている。盗み聞きしたわけではないが、おじいさん後から来たこちらには気づきもせずに大声でしゃべっている。アマゾンで売るにはISBNがないとダメだと言われたとかなんとか。あのコードを付与するのは国会図書館ではないのだが……。
 職員のお姉さんも「ISBNは別の団体が付与するものですので」と返答するが、おじいさんなお食い下がるので明らかに困っている。

 軽く咳払いすると二人ともこちらに気づいてくれた。が、おじいさんすぐ振り向いてなおも問答を続ける。一方で職員のお姉さんがベルを鳴らしてくれたので、別の職員の方が来てくれて対応してくださった。
 カウンターは占領されているので、天板付きのファイルワゴンを引っ張ってきてくれた。これでようやく手続きに取り掛かれる。

 

 ここでちょっと自慢をさせてもらう。
「二冊ほど納本したいのですが」と新刊『暗翳の火床』と既刊『蒸気人間事件』を取り出すと、
職員のお兄さんが「それは市販の?」と言われた。「いえ、同人です」と僕は少しだけ鼻が高くなる一幕があった。

 

天板の上で住所氏名と書名を記す。複写式になっており、一枚目は図書館側が受け持つ側で個人情報や寄贈かどうかを記す。*12
「二冊別々の書名なのですが、どちらも書いた方がいいですか?」
「『等』という形で構いませんよ」
 そういわれて僕は内心ほっとした。『暗翳の火床』の「翳」の字をぶっつけ本番で書ける自信がとてもなかったからだ。

 

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 複写証書の二枚目は日付と氏名、書名と冊数だけとなる。
 これにより『暗翳の火床』と『蒸気人間事件』は国立国会図書館の所蔵物となったわけだ。過去に納本した冊子のようにそのうちデータベースに登録されるだろう。

ndlonline.ndl.go.jp

 納本手続はこれを書くだけなので5分もかからない。僕が資料課を後にする時もISBNおじいさんはまだ何か言っていた。

東京の地下鉄は存外不便

 あとは投宿するだけだ。雨が本格的に降りだす前には到着したい。
 が、永田町から浅草方面へどう出るか迷う。有楽町線は銀座のあたりで浅草へ向かう銀座線、浅草線の下を通るくせにまったく接続していない。赤坂見附まで歩いて銀座線で向かおうか。しかし大きな荷物を抱えているのでいつ降るかわからない地上を歩きたくはないし、銀座線は遠回りすぎるか。

 東京は地下鉄が入り組んでいる割には不便な区間が結構存在する。永田町から上野方面は皇居を貫けないからしかたないんだろう。それは差し置くとしても、同じ会社なのに長い地上乗り換えが堂々と存在していたり、地下乗り換えでもやたらと徒歩移動が長かったりそもそも駅名が違ったりして、乗り換えに時間を存外に食うのであまり使いたくはない。

 

 結局は有楽町線で飯田町へ向かい、大江戸線に乗り換えて蔵前へ出て、そこから南千住車庫へ向かう都バス東42甲系統に乗り継いだ。
 東42甲系統は東京~東神田~南千住を結ぶ路線で、上野(松坂屋)~南千住の上46系統とともに常宿の近くを通るのでよくお世話になっている。

 

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 17時ちょっと前に投宿。通りに面したいつもの部屋である。安心する。いつもこの部屋をお願いして通してもらっているので感謝している。

 荷を下ろして整理して近くのスーパーで追加の食料を買いに出かける。台風前であるが食料はかなり残っていた。あまり備えないのだろうか。台風の上陸が予想される明日12日は一日引きこもるつもりでカロリーの高いものを中心に買い足す。

宿でだらだら食う寝る

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 これが台風に備えて籠もる僕の食料だ!
 現地のスーパーシマダヤとまいばすけっとで買ったものは、すあま、ポテチ、シュークリーム、杏仁豆腐、2リットルの水2本となる。バナナとグミとブラックサンダー、ペッパーベーコン、他にカロリーメイト3本は持ち込み。鯛めしは東京駅で仕入れた。
 お菓子が多いのはいつものこと。旅先では羽目を外したくなる。

 風呂に入って寝間着に着替えてテレビをつけてくつろぐ。NHKはすでに台風特番の体制となっていた。

 

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 夕飯に鯛めし。東海軒の「元祖鯛めし」は静岡駅の駅弁。1897(明治30)年発売の超ロングセラー商品だ。

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 肝心の中身の写真はぶれたが、一面が鯛そぼろのかかった桜飯というシンプルなもので、駅弁として日持ちし、冷えて食べることを前提に作られているので米に弾力があってよい。鯛そぼろもある箸でつまみやすい程度の固さで、これが米の食感によく合う。美味しい!

 この後テレビをだらだら見ながらポテチとすあまをだらだら食べて、深夜になってだらだら眠ることにした。
 イベントも何もないので目覚ましもかけず安心して眠れる。

 

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*1:この日はG6+G7

*2:記事参照。ここに詳しくは書かないが、サービスのアルコールを飲みすぎて途中からずっとトイレで嘔吐していた。

*3:3月に乗った時も米原から満席であった。

*4:2枚目の写真時点では回送。北陸線ホームを空けるためいったん留置線に引き上げて、他の列車をやり過ごして戻ってくる

*5:いまでも一部区間は通じないが、解消も時間の問題だ。

*6:モハ681-6

*7:現在の北陸自動車道区間と一部で重複している。

*8:前回の帰りも同じぐらいの余裕を持たせていたが、そのすべてをトイレで過ごしてしまった。

*9:いまの青森駅西口のような、地方都市によくある大きな駅の裏口じみた雰囲気があった。

*10:ちなみに時刻表をたどれば、「はくたか」562号となる前は東京8時36分の「かがやき」505号で、さらにその前は長野6時42分発の「あさま」604号として運転されていたのがわかる。

*11:机付きチャイルドシートでもあるまいし、アルコールも提供する車両でなんで構造にしたのかはなはだ疑問だ。

*12:納入出版物代償金として基本的に小売価格の5割を国家予算から受け取ることもできる。