雑考閑記

雑考閑記

雑な考えを閑な時に記す

それでも上京したやつの話(2019年10月13日:3日目:台風一過)

 イベントはなくなったのに東京へ行った男の話の3日目。
 台風が去り、さっそく行動を開始する。

 

10月13日(日)快晴(憎いくらいに)

  • 朝の散歩(1回目)
    • 日常へ回帰する河畔
  • 朝の散歩(仕切り直し)
    • 「う」の字に見る水陸運
  • 天気はまさに台風一過
  • 再開のメトロ
  • 浅草に出よう、思いつきで
    • 墨田川橋梁の将来
    • 嗚呼、台東館
    • 浅草は人だかり
    • 都バスは所要時間が読めない
  • 台東区下町風俗資料館』へ
    • 上野駅にて
    • バッハでコーヒーを
  • 本格的に出発
    • だけどやっぱり寄り道、王子へ
    • 扇屋――王子の玉子
  • いよいよ本来の目的地へ
    • 都バス上位路線
    • 荒川の水
    • 途中で降りるけど寄り道はしない
  • ケチが回転すしを食うとこう考える

 

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上京余滴『台東区立下町風俗資料館』

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 不忍池の南東、かの上野オークラ劇場の裏側にある。
 かねてより機会があれば行こうと思っていた所だ。

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 その名の通り明治期から昭和中期ごろまでの東京下町の資料を集めた博物館である、まんま。同様の主旨の博物館としては両国の「東京都江戸東京博物館」があるが、*1 今回は交通の関係でこちらに。あちらはまた今度。

 

 さて、僕は明治~戦前昭和は僕の好みである。蒸奇都市倶楽部の作品も概ねこれらの時代をモデルとしている。*2 今回こちらを訪れたのは、今後の描写などに活かせる可能性があるかも、そこまでいかずとも資するところあるかも、という思いからである。そういう意味では半分は趣味、半分は取材といってもよい。

 入場料は300円。*3

 

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 この博物館の大きな特徴はほぼ全ての展示品で撮影が可能なことだ。

 

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 特に入ってすぐにある、下町の長屋を再現した一角を撮影できるのは嬉しい。また展示物も大半は触れるようになっており、これもありがたい。質感や重さなんかは手に取らないとわからないからね。同じように再現された長屋や居間、銭湯の入り口部分は靴を脱いで上がれる。

 

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 大八車と表店。

 

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 鼻緒の店。

 

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 薪と釜と火吹き竹。

 

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 洗い場。ポンプ井戸とたわし、石鹸。石鹸は貝殻の上に置いてある。角のぎざぎざが水切りなんかによかったのだとか。

 

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 板で覆った下水、いやドブ。歩くと軋んだり、べこっ、べこっと音がしたり。*4

 

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 洗濯物と干し柿とほおずき。台東区は浅草の「ほおずき市」で有名。関西ではほとんど聞かない。

 

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 駄菓子屋。

 

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 食器や料理器具、家具に調度品。

 

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 裏路地側。右の手ぬぐいの奥がお手洗い。左の日めくりカレンダーにはさっきの表店の店名が入っていて芸が細かい。

 

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 ふすま。破れや穴を隠す素朴な桜の張り紙もすっかり見なくなった。といっても消えわけではなく、いまはホームセンターなどで壁紙上のもっと手軽で大きなものが売っている。

 

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 居間から表を見る。

 

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 路地裏のお稲荷さん。油揚げがそなえてある。

 

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 銅壷屋。流しではなく、右奥に工房を構えている。

 

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 長火鉢と猫板。前に猫板って書いたら「なんだそれ」と言われた。同じサークル内ですらこれである。

 

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 明かり取り。もちろん木製。

 

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 おみくじ引いたら42番。

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 用意されている。ファイルにはすべての番号の札と読み下しが乗っている。

 

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 路地裏に回り込んで二階へ。

 

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 二階の玩具コーナー。実際に遊べる。途中から海外の団体が来て夢中になっていた。

 

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 十六むさし。実物を見るのは初めて。パックマンみたいなルールの日本のボードゲーム

 

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おにんぎょうさん

 

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そぼくなおにんぎょうさん

 

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 R-1ロボット。もう少しぶれずに撮れないのか。

 

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 クレージーキャッツひかり。『ハナ肇と』が付かない時期は短かったはずだが、これは単に『ハナ肇と』の部分が省かれているケースだろう。昭和40年代なので『ハナ肇とクレージーキャッツ』のはずだ。

 

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 黒で引いた棒線の上、谷啓のサイン部分。

 

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 明治期のめんこ。

 

 

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 この日もっとも興奮した十二階こと凌雲閣の模型。

 

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 見上げる。

 

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 屋上部。

 

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 往時の写真。

 

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 六区のありし日。幟がはためいて賑々しい。

 

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 左の端に「十二階」の表記とイラスト。そのちょっと上に「花やしき」。この場所は半年前の3月に訪れている。

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 そしてもう一つ、個人的に浅草で忘れてはならないのがパノラマ。

 

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 もちろん浅草オペラの案内も。震災で壊滅的な被害を受けその灯火は消えてしまうが、浅草ではレビューやアチャラカなどの軽演劇、女剣劇といった大衆芸能としてつながっていく。

 

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 関東大震災で被害があった地域を示した地図。真ん中の宮城(きゅうじょう)より東(地図の下側)、日本橋一帯からの下町全域が真っ赤に塗られている。不忍池は赤い区域のぎりぎり外側に。しかしそこから荒川(現墨田川)方面、つまり浅草のあたりは真っ赤の中だ。

 

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 1915(大正4)年、震災前の東京市街全図の一部。

 震災前なのであちこちに江戸期以来の水路が張り巡らされているのがわかる。
 三方からの鉄道路線のうち左(南)が東京停車場。新橋から丸の内の現東京駅の位置まで開通している。右(北)が上野駅。線路はさらに南へ延びているがこれは貨物線。秋葉原の貨物駅まで伸びて神田川で水運に接続。上が万世橋駅。現在『mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋』はその遺構を活用している。駅前には「軍神」廣瀬中佐と、その部下の杉野兵曹長銅像が立っていた。*5

 

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 張り紙の西郷。

 

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 えらいカビジュアルチックな防空演習ポスター。1942(昭和17)年。

 

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 心臓防護板。

「慰問袋の防護板*6 が俺を守ってくれたぜ」

 

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 明治末ごろのお化粧心得。

 

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 浅草山谷の住居表示が書かれた地図。

 

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 テレビ受像機があるので、蒸奇都市倶楽部のモデルとしては現代に近すぎる。

 

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 興信所の土地別等級表。地価基準みたいなものだろう。

 

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 在りし日の東京点描。

 

 この後の用事が詰まっているので1時間40分ほどで会場を後にした。また機会があれば後の予定を空にして臨みたい。そして写真もぶれていないものとしたい。

 

*1:こちらは台東区立、あちらは都立。「東京江戸~」のほうが扱っている時代区分がほんの少し長い。

*2:といっても今のところ舞台になっているのは、満州の都市をモデルとした繁華街や商業区、高級住宅街がもっぱらだ。「下町」に当たる部分はまだほとんど描写されていないので、違和感があると思う。

*3:年間パスポートは600円=2回分。

*4:いまの金網式のでも音が鳴るよね。

*5:戦後に撤去。

*6:聖書、恋人のお守り、孫からのコイン、形見のペンダントetc

それでも上京したやつの話(2019年10月12日:2日目:宿籠り)

 イベントはなくなったのに東京へ行った男の話の2日目。

 台風の中、宿にほぼこもりきり。なので写真はない。

 

10月12日(土)曇りのち豪雨

  • 目的はなくとも
  • 贅沢な滞在
  • 猛烈な風と雨
    • 旅先での情報入手について
    • 山谷と荒川、墨田川の関係
  • テレビでも見て過ごす
  • 台風にエキサイティングする海外客
    • 雨の日の焼肉
  • 深夜にかけて台風の中で
    • アニメを見ようとするが続かない
  • 静かな夜に

 

本来はテキレボがあった日だ。(と書くとなんだか恨みがましく見えてしまうが、そのような意図はないと断っておく。)
中止について先に書いておくと、その決断は天候面だけを見ても本当に正解と言わざるを得ない。18時から22時ごろまで、つまりイベントが終わったちょっと後から打ち上げが終わるぐらいの時間帯の風雨の強さはそれほどに猛烈であった。
僕の常宿は会場から2km圏内、徒歩で30分ほどの位置にあるのでそれを強く実感した。

 

ともあれ時系列順に記録していく。

 

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『憑き物耳袋』

憑き物耳袋

倉光清六

河出書房新社(2008年8月30日)*1

 

 もとは喜田貞吉主筆とする『民族と歴史』*2 第八巻第一号(1922年7月)収録「憑物鄙話」。

憑き物耳袋

憑き物耳袋

 

 

 そのまんま憑き物についてのあれこれ雑考というか論考というか。改題後の「耳袋」は江戸期の珍談奇談集からであろう。
 なるほど、読み物としても面白く、類例や出典が豊富でしっかり蒐集された感のある誠実な論である。
 狐憑きなどというのは迷妄である明断する著者の態度は一貫している。

 かといってそうした迷妄の中で生きてきた時代や、そういうのを信じざる得なかった人々までも否定しているわけではなく、そうした事実があった(その中で生きた人々にとっては紛れもない現実であった)こと自体を記録として残そうというのが、著者の執筆の動機であることもはっきりと記されている。
 現代(もちろん執筆時点=大正時代)においても、地方ではまだそうした狐憑きなどの話が現実として生きてはいるが、いずれは消えていくであろう(もちろんそれに伴う差別や婚姻の忌避なども一緒に)という見方も著者は示している。

 ここに大正期の都会と地方の意識の差が現れているようで面白い。そうした当時のタイムカプセル的な部分がある。

 もちろん本論となる「憑き物」に関しても、色々と示唆に富む読み物であった。

 

*1:奥付では8月13日は印刷日で30日が発行日。

*2:第9巻より『社会史研究』へ誌名変更

『オオカミの護符』『絶滅した日本のオオカミ』

オオカミの護符

小倉美惠子

新潮社(2011年12月15日)

オオカミの護符

オオカミの護符

 

(今は文庫版も出ている)

 

絶滅した日本のオオカミ――その歴史と生態学

ブレット・ウォーカー、浜健二(訳)

北海道大学出版(2009年12月25日)

絶滅した日本のオオカミ―その歴史と生態学

絶滅した日本のオオカミ―その歴史と生態学

 

 

オオカミの護符

 著者の実家にある真神の護符をきっかけに、御嶽講(武蔵)のつながりから武蔵の農家を訪ね歩き、自然と人の営みを探る。書名や書影には大口真神が示されているが、ニホンオオカミを求めたり、その生態を探るといったような本ではないのでその点は肩透かし。
 本書はお札(の発行元の社)をめぐる人々を追うドキュメンタリーのようなものである。(先に同名のドキュメンタリー映画があったようだ。)

 ニホンオオカミそのものの情報を求めていた僕からすると外れ。

 

絶滅した日本のオオカミ――その歴史と生態学

 僕が期待していた方向性としては大当たり。

 大陸から移ってきた狼がいかにしてニホンに住むオオカミとなったのか。誕生した経緯の考察から、古来の日本人のオオカミ観と変遷、たびたび起こる豺と狼との違いについて、彼らがいかにしてニホンオオカミとして定着したのか、そして彼らをめぐる環境の変化と現象、そして絶滅。

 著者は広範な文献を参照し、おおよその歴史をたどりながらニホンのオオカミが滅んだ要因を探っていく。なぜ彼らが姿を消したのか、狂犬病による駆除や山犬(豺ではなく、野生化した犬)との交雑など、その原因や要因らしきものを絞りこんでいき、最終的にはこれらの複合的な事象によって滅んだとされている。

 ニホンオオカミが吉野の山中で最後に捕縛されてからすでに110年以上。その捕縛にしたって、最後の一頭であったかは不明だ。ただ、それを最後にニホンオカミは捕まっていない。*1
 それらしき目撃情報や記録はあるが、信頼に足るものではなく、明治のころには絶滅したとされている。

 

 我々はつい「本当の原因」を求めがちで、しかもそれが何か一つの決定的な出来事によるものと考えがちである。しかし野生生物の絶滅というのは、たいていの場合おそらく複数の事象が絡み合って起こされるものなのだろう。*2

 ともかく、ニホンオオカミは同じく絶滅したカワウソに比べて、何かとロマンを重ねられがちな生き物である。その絶滅には間違いなく日本人が寄与しているにもかかわらず。

 

合わせて読んでほしい。

狼―その生態と歴史

狼―その生態と歴史

 

*1:環境省レッドリストで絶滅とされる条件のひとつは「過去長期間にわたり(例えば50年間前後)、信頼できる生息の情報が得られていない。」だ。

*2:だからこそ、人間が最後の一匹まで殺し尽くすケースは最悪のものだともいえる。

僕たちの言葉は同じなのか

 厳密に正しい日本語は存在しない、とようやく思えるようになった

 

 みんな自分が正しいと思う日本語を使っているだけ。

 その「正しい」に当てはまる人が割合として多いか少ないかが問題視され表面化しているのだろう。変わらないただしい言葉はないが、多数派が使う言葉はある。だから言葉の正誤は多数派の形成いかんで変わっていく。

 言葉は表記とコミュニケーションのふたつで成り立っているから、表記の正しさだけを求めるのはあまり意味がない。


 以下妄想。

 

 ただし現在はコミュニケーション不足な時代らしいので、前者だけがますます求められていき、同じ言葉を使っていても自分だけがなじんでいる言葉遣いやニュアンスの正しさばかり盲信して、相互不信になる。

 昔は下流階級と上流階級では言葉遣いが違ったというが、いまは言葉遣いが同じでも、意味合いの上では別ものを指すという、同じようなことが起こりつつあって、見えづらい分断が進んでいる。

 

 話は変わるがお金も似たものかもしれない。

 同じ額面でも安いと感じる人がいれば高いと感じる人がいる。10円を高いと感じる人はいまは少数派だろうけれど、分断が進めば高いと感じる人が増えるかもしれない(物価の変動もあるので一概には言えないけれど)。 

 

 コミュニケーションという点での言葉は、表記上は同じ内容でも口調やニュアンスで柔らかくなったり刺々しくなったりする。
 貨幣としてのお金は、額面は同じでも対価として得られるものによって高く感じたり安く感じられたりする。贅沢かどうかは、それを贅沢と感じる人が多いかどうかで決まる。

 だからこそ、数の多い少ないにかかわらず声を上げて、意味や価値の上での均衡というのを常に永遠に探りあっていかないといけないのではないかと思う。分断を進めないためにも。

 

 強引だな。