蒸奇都市倶楽部での監修がしていること
私が監修として携わっている蒸奇都市倶楽部の新刊『鐵と金剛』が2021年から発売(頒布開始)となる。(記事を書いている12月末時点では事前通販型イベント『テキレボEX2』のみで取り扱い中。)
しれっと「監修」と書いたが、そもそも私が蒸奇都市倶楽部の監修として何を行っているのか。この記事ではそれを説明していこうと思う。(記事の公開にあたって蒸奇都市倶楽部の許可を得ています。)
蒸奇都市倶楽部の監修として関わる部分の基本的な工程を説明する。
1:原案者から大元となる原稿(以下「原案」)が上がってくる
2:「原案」を作品として読み、登場人物や場面構成、流れや重要そうな設定などの諸要素の抽出と洗い出し
3:原案者との対話
4:前段をもとに原案者が「原案」に手を入れ「監修稿」を仕上げる
5:監修が「監修稿」に目を通し、必要であれば原案がさらに手を入れていく
6:前段の工程を繰り返し「監修稿」の最終稿を仕上げ、編集に渡して校正へ
さて、こうした流れの中で、私は監修としてふたつの役割を自らに任じている。
(1)「原案」の良い部分をより良くする
(2)各設定の整理と整合性の把握
これらの点について以下で順に記していく。ちなみにこれらは『鐵と金剛』に限った取り組みではない。蒸奇都市倶楽部の監修として蒸奇都市倶楽部のどの作品に対してもこの二つの役割をもって臨んでいる。
(1)「原案」の良い部分をより良くする
監修の最大の役割でもある。
行程でいうと2と3にあたる部分で集中的に行う。
説明にあたってまず2の工程についてさらに詳しく述べていく。
私の姿勢とし、「原案」が上がってきてもいきなり監修として原案者とは話さない。必ず2の工程を挟むようにしている。というのは、原案者からの先入観を得ることなく「読者は『鐵と金剛』のどこを大事だと捉えるのか」を先行して体験することが極めて重要だと考えているからだ。ここで私がやっているのは、原案者が大事だと考えている部分と読者が大事だと捉えるであろう部分のずれの洗い出しだ。
たとえば原案者が作品のテーマとして「自然のすばらしさ」*1 と設定し、またそういった部分とは別にキャッチーな要素としてAという登場人物の魅力を全面的に推した作品を書いたとする。しかしこの作品を読んだある読者は、この作品のテーマは「人間は自然を壊す存在」だと読み取り、キャラクターとしてはBという登場人物を最も魅力的だと感じた。
と、こうしたずれをなるべく起こさせないように、原案者と話す前に世界で最初の読者として「原案」に目を通す。もし先に原案者と話してテーマや推したいキャラクターを聞いてしまっていたとしたら、それを意識して読んでしまう可能性を排除できないからだ。
もちろんここで抽出した内容を洗い出すのも忘れてはいけない。なぜそう感じたのかというのは大事だ。「本文が~という表現であるから、このように読み取れた」「ここの言葉の使い方から、この登場人物は悪意を持っていると感じた」といったように具体的に記述、説明できなければ言語芸術である小説の監修としては片手落ちだと私は考えている。
この洗い出しを経て初めて「原案」について3の工程で原案者との対話に入る。
この段階で2の工程で抽出した内容が原案者の意図に沿うものなのか、想定していないような読み方なのか、まったく別の観点でとらえてしまっているのかなど、ずれがないかの確認を取り合っていく。
この工程で行うのは、監修として手を入れる部分への提案とその承認である。
手を入れる部分への提案というのは、「『人間が自然を壊す』と取らせたくないのであれば、ここに新しい章や段落を設けて補強するのはどうだろうか」とか、「この登場人物はこの場面ではなく、別の場面に配置してはどうか」といった大きな変更を含むものだ。
大きく手を入れる部分はこの段階で先にすべて洗い出して挙げておく。後になればなるほど、内容が固まったものの修正に骨が折れるからだ。個別の文章や表現などの細かい書き換えは以降の逐次の段階でも対応できるので、ここではあまり触れない。
承認においては、原案者にそれぞれの提案を了とするか否とするかを判断してもらう。否であればどういった形であればよいのかをお互い徹底的に詰めていく。もちろん元のまま残る部分もある。
ここでどれだけ腹を割って話せるかどうかで、作品の出来や全体の進捗に大きな影響が出てきてしまう。なので原案者との間に齟齬がないように作品の意図や狙いを細かく聞き出してつかんでいく。これに関しては、僕がもともと蒸奇都市倶楽部の人間なので互いに良い意味で遠慮せず話し合えるのが役立っていると思う。
作者の意図と読者の受け取りのずれについての余談。
こうしたずれは投げる側の制球の甘さから生じるものだと考えている。どれだけ速い球を投げる選手であっても、制球が甘いためにボールや暴投になってしまうようでは勿体ない。なので正確な投球ができるように監修として適宜に提案を行うのである。
もちろん作品をどう読むかは、最終的な受け取り手である読者に委ねられるべきである。しかしだからといって制球が甘くてもよいということは意味していない。制作側としては可能な限り正確性や意図の伝達が十分に行えるかを詰めていくべきであろう。
(2)各設定の整理と整合性の把握
本来的な意味での監修の役割かもしれない。
設定関連で監修が取り組むべきことは多岐にわたるのだが、大きくわけて三つの観点からの取り組みに振り分けられる。
〈1〉読者にわかりやすく
〈2〉内部で混乱しないために
〈3〉今後の展開を踏まえる
蒸奇都市倶楽部の作品はすべて同じ世界で繰り広げられている。
それ自体をサークルの作品の大きな魅力であると位置づけているが、作品が出れば出るたびに新しい設定はもちろんのこと、過去の設定と結びついたり積み増されたりもして複雑性が増していくのは否めない。
そのため〈1〉は非常に重要な方向性であり、目的のひとつでもある。この目的を叶えるため作品上において各設定が説明不足に陥っていないかや、難解な記述や表現で煙に巻くようになっていないかなどを判断している。またその段階で出すべきでない設定や、その作品内であまり有機的に機能しないような設定を引っ込める、削るといった判断も行う。
〈2〉の観点は〈1〉とほぼ同じだ。蒸奇都市倶楽部のメンバー内でも設定への理解度の違いが大きい部分があるので、認識の一致をはかる必要がある。そのため統一的な設定資料や、参考資料として読んでほしい本の共有化を進めている。もっとも参考資料を読むのは人によって難しい部分もあるので、俯瞰的に設定を把握している私が監修を勤めている面も多分にある。
〈3〉について、新規設定と既存設定との食い違いや、各設定のつながりに無理がないかなどに目を配っている。
特に大事なのは各設定が今後の作品展開を阻害しないかという点である。これは伏線の仕込みや演出の方法にも大きく影響を与えてくる部分で、最初に慎重に設定しておかないとあとで破綻しかねないようなものもある。監修としても細心の注意を払って努めている。
まとめ
いつもの癖で長々と語ったが、『「原案」をもっと良いものに仕上げる』のが監修の目的だと考えている。それ自体は内部の話なので読者にとって比較しようがない点は恐縮しきりである。
しかし、もしあなたに蒸奇都市倶楽部の作品を少しでも面白いと感じていただけたのならば、その一助になれた監修としては嬉しい限りである。
ちなみに『鐵と金剛』の監修手入れによるページ数の変遷をたどると以下のようになっています。
— 蒸奇都市倶楽部/テキレボEX2 (@steam_city_club) 2020年12月20日
原案原本:164
監修_1稿:414
監修_2稿:384
監修_3稿:388
最終確定:400
もっと良いものに仕上げようとした結果、ページ数は増えてしまったが。
いや、だからこそ監修としては『原案』の魅力を積み増せたと信じている。
監修となった経緯
最後に私が蒸奇都市倶楽部の監修となった経緯を説明しておく。
いまは個人サークル「売文舗シワ屋」店主を務める*2 私であるが、もともとは蒸奇都市倶楽部のメンバーであった。なぜ個人サークルの立ち上げと同時に蒸奇都市倶楽部のメンバーでなくなったのかは前にも述べているので、下記に以前の記事からの引用を掲げる。
これまでの同人活動は蒸奇都市倶楽部の雑務を主に、ちょくちょく個人名義で寄稿として活動していたが、前者への偏り著しく個人で書く際に「蒸奇都市倶楽部の」という影が付きまといそうなので、そこを少し緩和しようと思っての動き。 と言っても劇的に何か変わるものではなく、おそらく今後もそういった部分との均衡を加味してやっていくことになろうと思われる。まあ、今後は「売文舗 シワ屋のシワが蒸奇都市倶楽部に協力」という建前でやっていきます。
売文舗 シワ屋 - 雑考閑記
なので実態は以前とほとんど変わっていない。売り子もやるしサークル代表で支払いもする*3 し作品も書くしで、特に今年は半年以上ずっと『鐵と金剛』に監修として携わっていたので、ほんとに何も変わってないな。
そうそう、掛け持ちにしなかったのは「監修って肩書かっこいいよね。立場的に名乗れそうだから名乗ってしまおう」という面が強い。いや、ほんとに。
『抵抗都市』
抵抗都市
初出:『小説すばる』2018年10月号~2019年9月号
日露戦争に敗れた世界の日本のお話。
時代は第一次世界大戦の開戦から2年後、1916年。
ポーツマス講和条約により外交権と軍事権を取り上げられた日本は、都心部にロシアの総監府が置かれ軍も進駐してきている。小石川の東京砲兵工廠はプチロフ*1の東京工場となり、主要な道路はクロパトキン通り、マカロフ通りなどロシア風に改められている。
完全に占領されているわけではなく、日本政府も皇室も存続している。
そうした状態を作中、反露派や反帝派からは保護国、属国と言われ、政府や親露派はこれを「二帝同盟」と呼んで肯定している。日本はこの同盟に従い陸軍師団を欧州戦線に派兵している(ガリツィアでオーストリア軍と戦闘したとある)。
というのが大まかな背景設定。
わくわくしない?
僕はしたので読んだ。
以下、ネタばれ注意
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4か月だけのスタンプ-西日暮里
3月14日に山手線に高輪ゲートウェイ駅が開業した。
駅名決定から人、天候共に大荒れの開業日まで色々な話題を呼んだ同線の新駅であるが、その開業と同時にこれまで最も新しい駅であった西日暮里駅(年開業)は「二番目」に新しい駅になった。その西日暮里駅の駅スタンプが新駅開業の余波で秘かに新しくなったのも話題になった。
新型コロナ情勢でとうの昔のように感じられるが、まだ4か月前のことである。
しかしその4か月目にして西日暮里の自虐スタンプは早々と姿を消してしまうことになった。
西日暮里も対象に含まれており、7月7日を最後に取り換えられてしまった。
そのわずか4か月だけの西日暮里駅のスタンプの印影があるので記録も兼ねてここに載せておく。
この印影の真価は高輪ゲートウェイ駅と共に捺された時にあろう。
必要のついでに阪急のパタパタ確認
この記事の情報は2019年6月時点のものです。(2021年10月追記)
6月中旬に大阪へ行かねばならぬ用事があった。
そのついでに昨年10月1日に阪急電車が駅名を変更したことに伴う駅のパタパタこと反転フラップ式表示器の確認を行ってきた。
結果からいうと全てのパタパタが更新されて生き残っていた。
阪急電鉄のフラップ式表示器設置駅(2019年6月現在、シワが確認したもの)
駅名変更前に行った確認の記事はこちら↓
さっそく見て行こう。
京都線(富田、総持寺、相川)
富田。
総持寺。
富田、総持寺ともに普通のみ停車なのでシンプルな表示。
相川。
前二駅との違いは号線表示。
なんだけど、撮影時間帯は4号線は使わないので無表示だった。
相川の表示器には他の駅にはない設置年月日の札が。
しかし表記がかすれている。いつ設置されたのかは読み取れなかった。
宝塚線(石橋阪大前、雲雀丘花屋敷)
十三で乗り換えて駅名が変更になった石橋阪大前(旧駅名:石橋)で下車。
石橋阪大前にパタパタはないが、この駅から分岐する箕面線の表示幕を撮影しておくための寄り道。2019年10月の駅名改称を受けた唯一の中間駅*1 であるというのも理由のひとつ。こういう機会でもないと降りるような駅ではないので。
しっかり変わっていた。
以前は画像のように屋根の上に乗っていたが、駅名変更に合わせ軒下に移動。
電車のマークも白だけでの表示に変わっている。
分岐する箕面線の幕も新駅名に変更済。
文字のサイズはすべて同じ。一体幕でもしっかり収まっている。
しかしここに「石橋 阪大前-箕面」と収まるのだろうか。「雲雀丘花屋敷」や「天神橋筋六丁目」みたいにサイズを変えて納めるのかな。「石橋阪大前-箕面」?
この予想は外れてしまった。
前面の新旧表示。
車両の形式が違うが同じようなものだろう。
急行停車駅の石橋阪大前も含めて対応済。
ちなみにもう一つ新しく対応したものがある。
こちらは旧表示。
見比べると「急行」が黒地橙文字から橙地黒文字に変わっている。
黒地はひとつ前の急行幕で、車両では90年半ばごろまで使われていたものだ。つまりそのころから駅名が変わっていなかったため、フラップ式の方では幕の色を変える更新を行わず、従前の古い表示のまま使い続けていたという事になる。
ちなみにこの画像ではたまたま映り込んでいた左後ろの車両が現行の橙地の急行幕を掲げている。奇しくも新旧の急行幕が一枚に収まる貴重な記録となった。
先着案内もしっかり対応済。
「大阪梅田」と「梅田」表示の共存。
車両についてはまだ未更新のものが何編成か走っているようだ。
これも運よくとらえることができた。
表示器には旧駅名表示が残っている。
駅名の変更以前からすでに走らなくなった種別や旧停車駅も残っているのは確認済だ。新表示の札も旧表示と取り換えたのではなく新規に追加したようである。実際、表示器が回転するとまだまだ空白の札が多く、枠にかなり余裕がある。つまりこの先もまだ現役でいられる……のか?
画像は旧表示なので急行の幕表示も古いやつ。
停車駅の新旧表示。
新表示は一行に収められているのに対し、旧表示は二行目にかかっている。
文字数が増えたのに一行に収めたのか……。
旧表示では急行幕も古いままなのはすでに述べた。
また、英訳を見比べると旧表示すべて大文字で、新表示は頭だけ大文字になっているのがわかると思う。種別幕、行先幕はこの英訳の表記によっても細かく新旧が分かれているのだが、僕はそこまで追求しない。
神戸線(岡本)
宝塚経由で岡本へ。
駅名表示にかかるのは上り線だけ。
記事の先着案内、連絡案内ともに対応済。
いつの間にか設定されなくなっていた直通特急の表示が残っていた。
おまけ1:新しい改札機
梅田の改札機が新型に変わっていた。
銀色なのも相まってぐっとスリムになった印象を受ける。
おまけ2:伊丹空港のパタパタは撤去
その際に空港のパタパタこと反転フラップ式表示器が撤去され、ディスプレイ式になっているのも確認してきた。昨年3月に訪れた時点では確かにパタパタだったのだが、その時やっていた空港のリニューアル工事を機にディスプレイに取り換えられたようだ。
以下、空港の写真はすべて昨年3月に撮影したもの。 ありし日の大阪国際空港の反転フラップ式表示器をどうぞ。(新しいディスプレイ式は撮り忘れていたけれど、今のところ面白みはないので別にいいだろう。)
全日空。
日航。
おまけついでの余談となるが、伊丹空港の正式名称はいまも大阪国際空港だ。*2 国際線の定期便発着を関空に譲った今も、である。
これは空港法によって名が定められているからだ。法律上の正式な名前や定めと、通称や名称、実態などにずれがあるという、よく見られる構図。
ターミナルビルは大阪国際空港。左側には縦書きで和泉、河内、摂津、山城、大和と一帯の旧国名が記されている。
実際に空港法では以下のように記されている。
「e-Gov法令検索 空港法」より引用(太字は引用者によるもの)
第四条第一項第五号にて大阪国際空港の名が、同第三項にて設置と管理は新関西国際空港株式会社であると定められている。ちなみに運営は関西エアポート*3 。
国際便がなくなったので正式な空港名から「国際」を外す向きもあったのだが、地元から変更を望まないという要望や、将来の定期国際便の復帰の芽を残したい思惑などからそのままとなった経緯がある。
ちなみに国際便はいまも不定期なものが大阪国際空港を発着する。
2019年6月末に大阪で行われたG20大阪サミットの際、米国のトランプ大統領が専用機エアフォースワンで乗り付けたのは記憶に新しい。
おまけ3:空港にある地図
旧国名で思い出した。
大阪国際空港のある場所には一帯が描かれた巨大な地図がある。地図や地理が好きな人は見て行って。めっちゃ時間潰せるから。
おまけ4:ダイエー帝国の落日
乗り換えのため塚口で降りた際に見つけたかつてのスーパー業界の雄、旧ダイエーの名残り。
その昔はダイエー帝国と呼ばれたとかなんとか。
いまはイオン傘下であるが、ダイエーはブランドとして存続している。
ダイエーとこの記事には面白い関連がある。
冒頭に掲げた記事内の同人イベント「HUB a NICE D!」が行われる英国風パブ「HUB」は元はダイエーの子会社だったというのだ。しかもその一号店が開かれたのが三宮だという。昨夏のイベントで参加した場所とはおそらく違うだろうが、奇妙な縁ではある。
銭葵と春もみじ
梅雨に入る少し前、まだ好天続きであったころにゼニアオイが美しかったので。
……ゼニアオイだよね、これ?
空き地の砂利に咲いている。
このまま一気に夏に突入するのではないかと思われる烈日のもと、働きバチが蜜集めに精を出していた。(写真ではぼけてしまっている。)
花に止まった瞬間にカメラを向けるのだが、向こうもこちらの視線に気づいているのかすぐ飛びたち、上手く収まってくれなかった。
少し行くと小川があって、一本だけ春もみじが植わっている。
春もみじ。春から紅葉している楓のことだ。
ノムラモミジかな?
見上げると葉が集まっているので上手く紅をとらえきれなかった。
上手く鮮紅をとらえられた。
流行が流行であるうちは
雑談におけるコミュニケーションツールのひとつでしかない。
だから実際に流行っているものが好きかどうかはおそらく二の次だ。大事なのはそれが会話の糸口になるという点にある。流行は雑談における共通の話題としての起点でしかない。
流行している対象を自分が「好き」か「興味がない」*1 かのみで判断してしまい、「そうでない」なら一切触れないというのは、コミュニケーションツールとしての利点をみすみす見逃してしまっていてもったいないな、と最近思うようになった。
流行がコミュニケーションツールとはどういう意味か。タピオカドリンク*2 を例にあまり中身のないやり取りを挙げる。
以下、AとBは会話をする顔見知り程度の仲とする。
A「タピオカ流行ってるよね、飲んだ?」
B「うん、僕は××って店のを飲んだよ」
A「ほんと? その店気になってたんだ。美味しかった?」
B「ちょっと僕の口には合わなかったかな。でも買うのにかなり並んでたから美味しいんじゃないかな」
A「私は〇〇で飲んだんだけど、それなら次はそこのを買おうかな。〇〇のもめっちゃ美味しかったから挑戦してみたら? 合うかもよ」
B「うん、そうしてみる」
勧められたBは「そうしてみる」といったものの、このあと実際に〇〇で飲むとは限らない。社交辞令であるかもしれないからだ。またそれ以前の段階として、この会話はBが××という店に行っていなくても成立する。店の情報をネットなんかで軽く見たことがあって、それを思い出しながら応じただけかもしれないのだ。もっと言ってしまえば、本当はタピオカドリンクすらどうでもいいと考えているかもしれず、その場の話として無理のない範囲で乗ってみただけの可能性もある。(『そこまでして話を合わせなくてもいいだろう』と思う人もいるだろう。それはあまりよくないのでは? という例をあとで掲げる。)
ただしいずれにせよ、さしあたりの会話になった時点でコミュニケーションのツールとして流行が機能したのではないだろうか。
私は「あまり中身のないやり取り」と書いたが、こうした類のコミュニケーションはそもそも充実した中身はあまり求められていない。充実した会話はこうした他愛ないやり取りの次の段階に置かれるものだからだ(例示したような軽い会話を何度か経て仲良くなってから行うべきものであろう)。会話は講演や授業ではない。顔見知り程度の仲の人間との会話に充実した内容を求めるのは、おそらく距離のはかり方を誤っている。
冒頭に会話の糸口と書いたのはそのことを指している。同時にこれはひとつの試金石でもある。この人とはコミュニケーションをとれるだろうか、他愛ない話ができるだろうかと、意識的にせよ無意識的にせよはかっているわけだ。
基本的にはそうした場数をなんどか踏みながら、流行性に囚われない互いの好みなんかを把握して、仲を深めていくのだろう。
初対面で意気投合するような場合もむろんある。
しかしそれはどんぴしゃりで好きなものや出身地など、共通の話題を得られた例だ。趣味の集まりなんかで初対面の相手とも仲良くなれるのはこの作用が大きい。もとより同好の士、流行の話題を挟んでこわごわと距離をはかる手間が省かれているからだ。
さて、仮にBが流行をコミュニケーションと捉えておらず、流行っている対象を「好き」か「興味がない」かのみで判断する人間だったとしよう。そうして今回その判断が「興味がない」に触れていた場合に先の例を持ち出してみる。
A「タピオカミルクティ流行ってるよね、飲んだ?」
B「タピオカに興味ないからなあ」
コミュニケーションは不成立と考えていいだろう。
会話の糸口をバッサリ裁たれては取り付く島もない。
これはBが『そこまでして話を合わせなくてもいいだろう』と思っている人の場合も同じような経過をたどるのではないか。「流行ってるみたいだね。でも飲んだことない」で少し話が長引く程度であろう。
ただしBが意欲的ならば、「流行ってるみたいだね。僕は飲んだことないけれど、ちょっと気になってたんだ。美味しいお店ある?」と返して会話を続ける形は大いにあり得る。まあ、話を合わせなくてもいいと思っているタイプがそんな返しをするかは怪しいが。
いずれにせよ、コミュニケーション不成立という状態がことごとく続くと、次第にはさしさわりのない天気の話なんかするようになるか、話しかけられなくなってAB間の会話自体が途絶えてしまうだろう。*3
ともすれば天気の話はダメな会話例のように言われるが、あれは天気の話がダメなのではなく、天気のことしかないような話題の乏しさがダメだと言っているに過ぎない。たとえ切り出しが天気であっても、
B「Aさんと前に話したときはかなり暑かったけど、今日はだいぶ涼しいね。そういえばタピオカミルクティーってホットはあるの? 美味しい?」
みたいにつなげられるのならば、じゅうぶん会話は成立するだろう。
結局のところは会話や雑談をどのようなものと位置付けているか、ということなのかもしれない。
会話はトレーディングカードゲームのようなものだ。
そのたとえでいうと天気の話はバニラ*4 にあたろう。それだけで組まれたデッキで人と渡り合うのはほぼ不可能だ。というかゲームが成立する要件(デッキの最低枚数)を満たしているかも怪しい。
人と会話するためにタピオカなり、そのほかの話題なりのカードを取り揃えてデッキを構築する。ただし「流行」という種類のカードは特徴こそあれどあまり強くはない。主力をひくまでのつなぎでしかないだろう。では会話デッキの主力となるのはなにかといえば、結局のところそれは自分が得意とする話題になるだろう。ただしカードゲームがそうであるように、使い手のデッキにも相性があるので、その主力を使うのか軽く流してしまうのかの判断は各々に委ねられる。
人間別に必要以上の会話やカードゲームなんてしなくても死にはしない。
死にはしないが、それだけ人との交流が減ってしまい、レートのようなものも下がってしまう、かもしれない。
その例として昔の僕を出そう。
昔の彼は(いまよりも)流行をコミュニケーションツールだと捉えていなかった。当然ながら流行には興味を示さない。それどころか思春期特有の万能感を抱いている時期がとても長かったので、流行に流されるやつはバカだ無能だと見下していた。*5
家では「飯」「風呂」「寝る」でいつの時代の人間だよという口数の少なさ。
こんな人間が(見下している)他人と会話なんてできようはずがない。
そうしてほとんど人と話さなくなり(というか話しかけられなくなり)、結果として会話が貧困化した。
つまるところデッキも貧弱となる。天気の話しかない。準備もなしに主力カードを出して負ける(そもそも人との会話で戦力を磨いてこなかったので、主力といえどその能力は推して知るべし)。もっとひどいときにはそもそもゲームに参加すらしていない。無言を貫くか無視するかしかできなかった。
会話というのは大事だ。
人生の節目にはたいがい面接という関門がある。
もちろん会話を磨いていない人間は質問に淡々ぼそぼそと答えるだけ。
通るとお思いか?
という具合である。
主語を大きくしないためにある個人に焦点をあわせたが、そいつの経験から踏まえると流行といえども、やはりバカにはできない。ころころ流されてしまうのは軽薄ではあるが、あまり「興味がない」ものでも流れをそれなりに把握しておけば、いろいろな人に対応できる弾力的なデッキが構築できるのではないだろうか。*6
という、会話テクニックの初歩の初歩に気付いたのはここ数年ですよ、遅すぎたなおっさんというお話。