第8回テキレボにかかる上京記(2019年3月22日:3日目前半:坂と桜と柳の下で)
3月21日(木、祝)開催の『第8回Text-Revolutions』(以下、テキレボ)に参加するため、20日(水)から24日(日)まで の五日間ほど旅の空に出ていた。21日(2日目)のテキレボそのものについては、蒸奇都市倶楽部の売り子として参加していた ので、サークルとして書けることはそちらのイベントレポートに譲る。
今日の目玉は防衛省市ヶ谷地区の見学。長くなったので前半と後半に記事を分割している。見学のメインは後半なのでそちらをどうぞ。
3月22日(金)前半
4時25分起床。
打ち上げのあとの二次会がなかったので、無理なく起きられた。
今日の目玉は防衛省市ヶ谷地区の見学である。
市ヶ谷に在する防衛省(本省)では見学ツアーが実施されており、その午前の部に参加する手筈となっている。ちなみにツアーは基本的に平日身の開催だ。見学には身分証明書が必要で、運転免許証を持たない僕は今回の上京中ずっと個人番号カードを携えていた、という余談もある。
さておき見学の受け付け開始時間は9時過ぎ。それまでに寄りたい箇所を巡っていくのが午前の行程だ。
準備をして6時前に宿を出よう、としたところで、1階の談話室で酒を飲んでいたおじさんに捕まってしまう。酔っ払いにありがちな不明瞭な発言ながら、鍵をなくしたとか宿の連絡先が分からなくて苦労したとかいうことは辛うじて聞き取れるものの、その他はあまり要領を得ない。「警察はすぐ人を犯罪者扱いする」、「俺はOBに知り合いがいて世話したことがあるから怖くない」……、どこまでか本当かわからない与太とくだを巻いているわけで、僕としては早く宿を出たいので、腕時計を示して暗に時間が迫っていると告げると、「俺が好きに喋ってるだけだから出ていっていいよ」と口にして、それでもまだ何か喋りつづける。「出て行っていいよ」を真に受けていいのかどうか、酔っ払いが相手だと判断に困る。
もう一度腕時計を示す仕草をすると、「いいよ」というので、「それじゃ」とそそくさ宿の鍵を開けて出た。一応書いておくと、このとき腕時計はつけていない。
帰ってきたときにはなるべく鉢合わさないようにしなければ。
少々の急ぎ足で南千住を越えて三ノ輪橋へ向かう。
東京フリーきっぷ
本日は都区内の各所をあれこれ細々と移動する予定である。そこで効力を発揮するのが、昨日の朝に上野で買っておいた「東京フリーきっぷ」だ。
23区内のJRと都営地下鉄、都バス、都電、舎人ライナー、メトロ線が乗り放題で1590円。この価格はなかなかに高く、元を取るには存外に苦労する設定だ。なので最初は他のフリーきっぷの購入を検討していたのであるが、どれも一長一短であった。
特に都営・都バス・メトロの組み合わせが難関で、いずれか二つずつというものしかない。都営地下鉄と都バスの1日乗車券は600円。都営地下鉄と東京メトロの1日乗車券は900円で、併用すると1600円になってしまう。となると、消去法ではあるがJRも乗れる東京フリーきっぷは悪くない選択だ。それもこれも地下鉄の事業者が二つ(都営、東京メトロ)あるのが原因である。
東京フリーきっぷはそこそこ値が張るが、都区内のほぼすべてを効用範囲に収めているので、これで移動には困らない。せっかく色々と乗れる切符なのだから、まっすぐ市ヶ谷に行ってはもったいない。途上であれこれ乗って行きたい。こうした下心から、山谷にほど近い三ノ輪橋へ向かった。
東京最後の都電の始終着駅だ。
都電に乗って都心の外周をなぞる
駅に到着したのは次の電車の15分ほど前。
平日の早朝とあって近くの商店街の店はほとんど閉まっていて、三ノ輪橋駅も閑散としていた。駅の掃除をしたり花壇に水をやったりする人(職員か地元の有志かはわからぬ)がいるきりである。
しかし駅の周辺を見たり車止めを撮ったりして時間を潰し、列車の発時刻が迫ってくると駅に接続する生活道路の各所から勤め人が集まってきて、折り返し列車が到着するころには15人ぐらいになっていた。
6時22分に三ノ輪橋を出た後も各駅でこまめに人を拾っていき、町屋駅前や熊野前、王子駅前や大塚駅前など、各路線と接続する駅でそれらがどっと降ろす。こうした客の動きを見ていると、都心の外周部をなぞるように走る路線の性格が現れているようで面白い。
終点の早稲田には7時10分ごろの到着。降りたのはわずか10人足らずであった。
全区間を乗り通して約50分。かなりかかる。区間が長いというのもあるだろうが、乗っていてそれ以上に感じたのは、時間調整のための長めの停車が多々あった点だ。併用軌道の区間もあるから、そこのために余分に時間を見ているのであろうが、それでも発車までの時間待ちがかなりあったので、全体的に早着気味であったのだろうと思う。
乗り通していた身としては、なんだか物足りない部分もあったが、定刻通りという列車の使命を思えば、身勝手なのはこちらである。
早稲田大学を抜けて
都電の早稲田駅からちょっと歩いて地下鉄の早稲田駅へ向かう。
途中で早稲田大学の正門前を通るのであるが、まだ閉まっている時間であった。ここを通ったのは初めてであるが、門柱や大学名を書いたものがなかったので*1、これといって早稲田大学の前を通ったと示せるものはない。
というわけではない。
おそらく最も早稲田大学の前を通ってきたと示せるものが正門の向かいに建っている。
大隈講堂(大隈記念講堂)。時計塔を持つ折衷的な様式の戦前(昭和2年竣工)の建築物だ。
ただ、正門が閉まっているのでキャンパス内の建物が写せないのは変わらず、先へ進む。
そうして早稲田から地下鉄東西線で一駅。
聖地巡礼的な
神楽坂駅に到着。
これより飯田橋に向けて神楽坂を下っていく。いわゆる聖地巡礼的なあれ。
何のことだか、という人に説明をしておくと、僕は蒸奇都市倶楽部というサークルにいくつか作品を書いていて、その中に神楽坂と名乗る二人組の登場人物がいる。
その神楽坂である。
とは書いたものの、なぜその人物が神楽坂を名乗っているのかは僕にもわからない。
原案者の人見広介氏に名前と二つ名とちょっとした原案を提示された段階ですでに神楽坂だった。なので現行の神楽坂というキャラクターの設定のほとんどは僕が考えたけれども、姓名については最初から決定していた。
もっとも神楽坂という姓に意味があるような人物設定や作品の性格ではないので、深い意図はないだろう。人見氏としては単に現実の地名と被ったというだけで、ここに由来があるとか関連しているわけでないのは断言できる。
いずれにせよ、僕の性分として、現実の地名と被ったのならば訪れたくなってしまうもので、今回こうした訪問となった。
東西線の神楽坂駅から飯田橋駅にかけてはまさに神楽坂エリアで、あれもこれもそれも神楽坂である。
さて、件の蒸奇都市倶楽部の神楽坂という人物は二人組で、それぞれ坂上、坂下と名乗っている。これは原案にはなかったもので、神楽坂という地名から得た僕の考案である。その神楽坂上と神楽坂下の交差点名もそれぞればっちり収めてきた。
市谷匠と小鳥遊
神楽坂という人物に関連して僕が考案したキャラクターに、市谷匠(いちがや たくみ)という少年と、小鳥遊(たかなし)という少女がいるが、この二人の名は神楽坂の近くにある町名から名づけた。
市谷鷹匠から鷹を抜くと市谷匠となり、鷹は無しになったので鷹無し、小鳥遊という言葉遊びで生まれた二人。ある程度のペアとして考案したキャラクラーなので、一つの町名を二人で分け合わせた。この町名を持ってきたのも、神楽坂からそう遠くない場所にあるからだ。
むろん神楽坂と同じように、あくまで名前の元ネタというだけで、彼らの名が現実の地名に由来しているというわけではない。そもそも蒸奇都市倶楽部の作品は現実を舞台としていないのだから。
と、同じ内容のことを新刊(2019年4月現在)『蒸奇都市倶楽部報 短編集「科学文明の海」』(A5判140ページ500円)にも書いてあるので、よろしければお手に取ってみてください。
蒸奇都市倶楽部が出展する各種の同人誌即売会で頒布しております。
まあ、現実との関連は何もない作品なので、牽強付会な宣伝に過ぎないが。
市谷鷹匠町の町域はとても狭く、丁目がない。しかもその町域の半分ぐらいをDNP(大日本印刷)の関連施設が占めているため、町内に住居表示(紫色のあれ)がなく、辛うじて私が見つけられたのは先に貼った町内掲示板を含めた三枚である(もう一つマンション名にも使われていたが、これを撮影するのは差し控えた)。
ん? 市谷鷹匠町2? 帰ってきてから気付いたけれど1もあるのか?
防衛省へ
時系列を戻す。神楽坂を下った先は飯田橋駅の牛込橋側。
法政大学やいくつかの出版社の最寄駅で、そちらの方に昔ちょっとしたご縁があって何度か通ったことがある。
外堀沿いの桜が満開となっていた。
開花したしないのニュースが二日前であったから、今年の桜の開花を東京で見届けたことになる。そういえば桜の標本木がある靖国神社は飯田橋から歩いていける距離だ。
もう何日かすれば外堀にも大勢の花見客が押しかけてくるのだろう。
今日は平日で、それも8時半すぎであるから、駅からはどんどんと通勤客が吐き出されて各所へ向かっていく。桜に目を留める呑気な人はどこにもいなかった。
飯田橋はカーブ上にあり見通しの悪い駅だが、現在そのホームを直線側にずらしてカーブを緩和する工事を行っている。
到着したのは9時ちょっと前で、正門の脇にすでに見学ツアー参加者らしき人々が7人ほど。僕もその中に加わって正門の様子をしばし眺める。
正門へは防衛省の職員が吸い込まれていく。正門前の衛視(警備員? 自衛官? 警察官?)は正門をくぐる車がどの方向からやってくるかを見極めて、よくとおる声で「右」などと喚呼し、そのたびに移動式の車止めを手にした係がきびきびと動き、車を停止させることなく対応している。多くの人が歩いて登庁している中、本省に車で乗り付けているのだから、それなりの立場の人が乗っているのだろう。
一方のツアー参加者はスマホをいじったり、僕みたいにあちこち見たり撮影したり、登庁職員とは比べ物にならない気楽さである。
受付時間が迫ってくると人がどんどん増えてくる。
最終的には30人ぐらいがツアーに参加していた。平日だからいても10人ぐらいだろうと思っていたので予想外である。老若男女さまざまな層からなっている。平日といっても、祝日と土曜日に挟まれた中日であるから多いのかもしれない。
少なくともみんな僕みたいなニートではないだろう。
ツアーを案内してくださる女性職員はバスガイドのような服装で、男性職員も黄色いジャンパーを着ていた。この方々もれっきとした防衛省の職員である。
長くなったので見学ツアーは後半へ。