雑考閑記

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雑な考えを閑な時に記す

第8回テキレボにかかる上京記(2019年3月23日:4日目前半:乗るぜ機関車)

 3月21日(木、祝)開催の『第8回Text-Revolutions』(以下、テキレボ)に参加するため、20日(水)から24日(日)まで の五日間ほど旅の空に出ていた。21日(2日目)のテキレボそのものについては、蒸奇都市倶楽部の売り子として参加していたので、サークルとして書けることはそちらのイベントレポートに譲る。

 

steamengine1901.blog.fc2.com


 今日の目玉は蒸気機関車

 前半は往路、後半は復路。

 写真多め。

後半

ks2384ai.hatenablog.jp

 

 

 

 

3月23日(土)前半

高崎まで

 曇り。
 早朝から上野へ出て、高崎線でひたすら北上。

 今日は高崎と水上を蒸気機関車牽引の「SLぐんま みなかみ」号で往復する。ここ数日からすればしごく単純な予定だ。ただ乗ることのみを目的とした一日だ。
 こうした行程を組んだ動機は半ば以上が乗車趣味によるものだが、蒸奇都市倶楽部に作品を書かせてもらっている人間としての思惑もある。その思惑は発車後に記すとして、いまは上州路を北上する。

 

 上下線が離れて烏川にさしかかると、上州までやって来たという思いが強くなる。

 

乗車前あれこれ


 高崎8時51分着。
 目的の「SLぐんま みなかみ」号(以下「みなかみ号」)の発車は9時56分となっている。(以下、蒸気機関車だけを指す場合は主に機関車、列車を指す場合は「みなかみ号」または汽車と表記する。)
 もっと後に上野方面からやってくる接続の良い列車もある中、1時間も前の到着では早すぎると思う方もおられるだろう。しかし、こと「みなかみ号」に限っては接続が良い列車を選んでいてはもったいないと言わざるを得ない。発車前から楽しんでこそだ。

 列車を降りて、改札ではなく歩廊の端へ向かう。

 目当ては駅から見える留置線(車庫)の機関車だ。すでに先客がちらほらいてカメラを構えている。おそらく撮影専門(SLに乗らない人)もいるだろうが、これから乗るであろう子供連れも多い。発車1時間前にして汽車旅はすでに始まっているのだ。
「みなかみ号」は全車指定席で、今日は満員との放送が構内に流れている。

 

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 広い構内の向こう側に機関車が客車を従え、煙を吐いて駐機していた。とっくに火が入っていて*1、定刻に備えて待機しているわけだ。

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お隣の上信電鉄のホームには試運転中の新型の姿が。もとJRの107系で、2017年9月の引退まで高崎地区で活躍していた。 写真の編成は撮影日(23日)より5日後の28日から営業を開始したようだ。
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 9時30分ごろから動きがある。

 汽車が歩廊へ据え付けるために留置線から動き出す。撮影班も慌ただしくなる。
「みなかみ号」は高崎駅2番線に9時38分ごろ入線した。横を通り過ぎた汽車を追いかけて歩廊の中ほどへ。

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「SLぐんま みなかみ」の発車標。
「みなかみ号」とは

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  さて、これより乗車する「SLぐんま みなかみ」号(以下、「みなかみ号」)について軽く触れておく。

 「みなかみ号」は高崎から上越線を北上し、谷川岳の玄関口となる水上までおよそ2時間をかけて走る。種別は快速でいくらかの駅を通過する。もっともこの区間は普通だと約1時間で走りきるので、汽車と電車の速度差がわかると思う。*2ただ、時間差は機関車の最高速度が時速60kmに制限されているのも大きい。機関車のスペック上の最高速度はもっと出る。しかし戦前生まれの古い車両なので速く走ると故障の恐れがあるため、低く抑えられているのだ。

 

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 牽引車はD51 498。

 水上まで行って転車台で反転して戻ってくる今日のお供だ。最高速度は時速85kmであるが、先述の理由により時速60kmに抑えられている。

 デゴイチといえば、多くの人が耳にしたことがあるのではないかと思う。足かけ14年の製造両数は1115両で、一形式としての製造数が最も多い機関車だ。

 

 ヘッドマークに「30th」とあるが、これは D51 498 が本線に復活してから30周年の意。1972年に一度引退した498号機であるが、フジテレビ開局30周年企画となる「オリエント・エクスプレス'88」牽引によって現役への復帰を果たしている。
 それにしても日本のテレビ局がパリ~香港(シベリア鉄道経由)、さらには日本国内各地で客車を走らせるというのも、今からすると隔世の感がある。昭和の終わりごろ、テレビが強い時代であった。

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 炭水車にも30周年記念の飾りがついていた。私としては通常の車体を収めたかったのだが、言っても詮無きこと。

 

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 客車はレトロ客車(※水上駅にて)。

 JR東日本の高崎支社ホームページなどでは、一般向けにレトロ客車と表記されているが、僕みたいな人間は旧型客車、旧客の呼称を聞き慣れている。

 いずれにせよレトロ客車、旧型客車とはなんぞやと、そこを書いておかないとわかりづらいと思う。

 

 といって私も車両は門外漢、専門的な話は避けたいのでかなり大雑把に記す。
 概して1960年ごろより前の客車が旧客に分類される。少し詳しく書くと、編成を1両単位で組める車両が該当するはず、だ。旧型客車というのも便宜的な呼び方で、「旧」がつく通りレトロニムにすぎず、正式な分類があるわけではない。

 

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 こげ茶色(ぶどう色2号)の車体が特徴的。昔の車両はだいたいこんな暗い色をしている。煤で汚れるから目立たないように、というのが大きな理由。

 

 余談であるが、JR西日本山口県で運行する「SLやまぐち」号(新山口~津和野)の客車35系も旧客によく似た形式である。というのは当然の話で、やまぐち号の35系客車で特筆されるべきは、わざわざ旧型客車に似せて2017年に新製したという点にあるからだ。

www.c571.jp

 

「SLやまぐち号」35系客車は「ココがすごい!」鉄道ライター4人に聞いてみた | マイナビニュース

 

 製造発表時や車両落成時はかなり話題になった車両である。
 かように旧客の擬古車両を走らせるその力の入れようからも、蒸気機関車の動態保存*3 のみならず、それにまつわる部分もしっかりアトラクション(乗って楽しい列車)として機能させようという意気込みがうかがえる。
 むろんそれは本物の旧客を使用している「みなかみ号」も同じだ。

 
 ところで「みなかみ号」は12系客車で牽かれる日もある。旧型客車を「旧型」にした「新型」客車のひとつである。*4

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左奥に停車しているのが12系

 12系を見て「あ、ブルートレインだ」と思う人もいるかもしれないが、これがなかなか難しいところ。というのも、12系は青い車体だが寝台車ではなく座席車なので、ブルートレイン(≒寝台列車)とは呼ばない人もいるからだ。

 ただ、ブルートレインという言葉も旧客と同様、明確な分類や定義はなく、そこらは各人次第である。
 だいたい「スチームパンク」という区分もそうであるが、こうした趣味的分野における区分の定義はあいまいなものが多い。だから蒸奇都市倶楽部の作品を「スチームパンク“風”」としたり、説明のための説明を挟んだりと、僕の歯切れが悪くなる。趣味というものは、知れば知るほど知識の乏しさと定義の困難さを思い知る道だ。

 

 閑話休題

 

「みなかみ号」は主に土曜日に運転され、そのうち旧客牽引の週が月に2~3回ほど、12系牽引の週が月に1~2回ほどで、あわせてほぼ毎週の運転となっている。

 

 ところでこの「みなかみ号」、ちょっと前までは旧客が牽引される日は「SLレトロみなかみ」号、12系が牽引される日は「SLみなかみ」号とそれぞれの客車に合わせてわかりやすく名乗っていた。ところが2018年10月から、牽引する客車の種類にかかわらず「SLぐんま みなかみ」号に統一されて分かりづらくなってしまった。
 なので目当ての車両がある場合は、運転日にどちらが牽引されるのか公式などで調べておくといい。上述したとおり、旧客での運転日が多いので、むしろ12系の方を狙わないと難しいかもしれない。

 

 また「みなかみ号」とは別に、高崎から信越本線の横川という駅まで同様の列車「SLぐんま よこかわ」号が走っている。こちらは概ね日曜日の運転だ。「みなかみ号」と合わせて毎週土日は高崎駅に機関車が発着している。
 もっとも「よこかわ号」は片道約1時間。そのうえ横川駅には転車台がないので往復いずれかは電気機関車ディーゼル機関車による牽引と、「みなかみ号」に比較すると物足りなさはいなめない。
 私はこちらの「よこかわ号」(の前身「SLレトロ碓氷」号)にも一応乗ったことがある。少し苦い思い出とともに。それは前半の最後に書く。

 

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 白熱灯風のLED。なるだけ当時のままに保たれている。扇風機はJR東日本の銘が入っているので、民営化後に手が入ったのがわかる。

 

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 一方の温度計はJNR(日本国有鉄道)マーク入りで、国鉄時代から手が入っていないのがわかる。

 

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 扉。昔は手動式で、客が自ら開閉して乗り降りした。なので扉が開きっぱなしで走ったり、走り始めた客車に飛び乗ったり(文字通りの駆け込み乗車)、駅に停車しきる前に飛び降りたりといった出来事が割と日常的にあったようだ。むろんそれで怪我した人も少なくはないと思われるが、まあのどかな時代である。
 今はさすがに電動式の錠(把手の周囲)がついていて駅でしか開かない。ただ、駅に着いて開ける時は手で開ける。

 

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 網棚。網目になっており、言葉の由来がよくわかる。

 

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 座席。ボックスシートと呼ばれる固定座席。意外とスプリングが効いていて、座面が硬い最近の車両に比しても座りやすかった。

 

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 影になっていてわかりにくいが、窓の下、床と壁が接するでっぱりが蒸気暖房の装置。*5

 中に蒸気管が通されており、機関車から送られてくる水蒸気が暖房に供されている。手を触れれば温かい。最初は効きが悪いが、車両が走り出すと温度も上がっていく。
 ちなみに古い車両なので冷房はない。いちおう扇風機がついているが、稼働しても気休め程度だろう。非冷房車が当たり前の時代、夏場には窓を全開にしていたものである。これは蒸気機関だからとかは関係がなく*6、車載できる冷房機器の関係である。東京オリンピックごろの写真なんかでは、山手線の電車も窓を全開にしている。

 

 往路の乗車車両は進行方向から2両目となる4号車。形式は「オハ47 2266」。車両の来歴は省く。歴史のある車両なので触れると長くなるし、車両史には興味がない。

 

発車

「みなかみ号」は定刻に発車。
 客車特有の、先頭側からがちゃんと牽かれる衝撃のあとにゆっくりと走り出す。
 発車してすぐに耳をつんざく汽笛の音が響いてきた。同時に黒い煙と、吐き出された(切られた)ドレンの蒸気が前から流れてくる。

 肌寒い日ではあったが、複数の団体が窓を開けている。

 蒸気機関車の煙と音を窓越しではなく、直に体感しようとの思いであろう。寒風が吹き込んでくるが誰も迷惑そうな顔をしていないのがいい。みんなSLの空気を許容し、汽車旅を満喫しているのがよくわかる。ただ表情に出していないだけかもしれないが。
 私も空気に乗じて窓を開ける。ほんのかすかに鼻の奥にたたずむような煤の香りが漂ってくる。これだ、これこれ、この臭気。癖になる。

 かすかに帝都に触れられた気がする。

蒸奇都市倶楽部に書く者として

 蒸奇都市倶楽部で曲がりなりにも「スチームパンク“風”」の作品を書かせてもらっている身としては、なによりも蒸気機関に触れたり、実地に体験してみたりするのが重要だと思っている。作品世界では蒸気機関が健在、のみならず、それによる大きな発展を遂げているのであるから、現実の我々は最低でも実物に接してみなければ、と。

 といって偉そうに書いたところで、これは取材と呼べるほど立派なものではなく、あくまで個人の旅への組み込みの域を出ない。しかし「スチームパンク」で描かれる蒸気機関に、少しでも触れんがための蒸気機関車および旧型客車による汽車旅には違いない。

 

 そう、客車も大事なのである。

 作品世界は戦前の大正、昭和を範のひとつとしている。それはまさに旧型客車ばかりが走っていた時代で、そこから着想を得ている作品世界の客車は旧型客車と同じような型であることは想像に難くない。蒸奇の世界の一般的な客車もおそらくはこういう型であるのだろうな、と、これもやはり身近なものとして感じようとする取り組みのひとつである。

 

 もっともこの体験をどこまで作品に活かせる、活かしきれるかはまた別だ。

 作品制作、もっといえば経験の伝達で大事なことのひとつは作者が身近に感じた要素をどれだけ上手く抽出して、作品に織り込めるかだ。そういう意味では、本質的にこれらの私の乗車体験は、将来的に読者の体験に付け替えられなければならないと考えている。理屈の上では。

 

 また、いかに空想に基づく作品であるとしても、その空想にだって発想の種や着想の材が存在しているわけで、まったくのゼロからの空想はただの妄想にすぎない、と私は思っている。作品として完成させるにあたって、元ネタやアイディアソースにいかに肉付けできるかが大事で*7、今回の乗車体験もその肉付けのひとつである。あるいはいずれこれ自体が着想の材となる可能性もある。

 

 仮にこの経験がすぐ作品に反映されたり活きてこなくてもよいとも思っている。涵養するのが大事だと考えているからだ。

 どこかで生きてくる、そう信じて、少し日和見的に自論を閉じる。

 

 少し熱心に語りすぎた。

 以上の考えはあくまで私個人のもので、蒸奇都市倶楽部の総意ではないことを断っておく。現に人見くんは誘ってもこなかった。彼には彼の考えがある。そういうものだ。

 

古い車両だけに

 6~7分ほど快走したころだろうか、列車が速度を落として駅間で停車してしまった。機関車に不具合があるとの放送が流れる。

 僕は最初それを楽観的に聞いていた。三度の飯より列車に乗るのが好きな身なので、旧客に長く乗れるのならば故障でもなんでもよかったからだ。
 ただ、5分を過ぎても止まったままだと少しずつ不安が大きくなってきた。あまりに重篤な不具合だと運転が打ち切られる可能性が出てくる。そうなっては困る。
 楽観的な気持ちと悲観的な気持ちが入りまじりつつも、ぼんやりと上州の平野と山々を見つめていると、ほどなくして強い風の中を黒煙が流れてきた。やがて身を震わせる汽笛が鳴り響いて、車掌の案内とともに再び走り出した。

 よかった、このまま乗っていてもいいらしい。

 

 故障による遅れがあったので、最初の停車駅である新前橋の停車時間は縮められたが、その次の渋川からは予定通りの停車時間になった。

 

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 駅名標も機関車仕様に。

 渋川は伊香保温泉の玄関口となる駅だ。草津や万座、四万など名だたる温泉の玄関口となる駅を通る、吾妻線との分岐駅でもある。この路線には、八ッ場ダムの工事に伴い数年前(2014年)に一部の路線を新線に切り替えた区間もある。

 

 渋川では停車時間が20分とられている。なぜそんなに停まるのかというと、乗客たちのための撮影時間に充てるためである。5両の客車からわっとお客さんが出てきて、みなこぞって先頭へ集う。元気な歓声ゆえか子供連れが目立つが、よく見れば様々な年齢層の人が乗っている。ずいぶんと華やかで賑々しい汽車であるようだ。

 入れ代わり立ち代わりでそれぞれが撮りたいところでシャッターを切っていく。お父さんお母さんは子供を機関車の前に立たせての撮影が多い。菜っ葉服の乗務員と並んで記念撮影をする人も。一方、大人だけの団体は機関車そのものの撮影が多い。僕も熱心に機関車や床下の機器を資料として収めていく。

 

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 もとより曇りではあるが、太陽を包むほどの蒸気を噴き上げる。

 

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 ところどころに隠しきれない傷が。古豪といった趣。

 

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 汽車専用の6両編成時の停止位置目標。今日は5両編成なのでこの位置は来ない。

 

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 D51 498の銘板。鉄道省時代、兵庫県の鷹取工場で生まれた。来年には傘寿を迎える御年79歳。

 

渋川から雪国へ向かって

 20分があっという間に過ぎ、汽車は次の停車駅となる沼田へ向けて走り出す。
 渋川を出てほどなくして利根川を渡る。ここいらは関東平野の北西の端、利根川の上流域だ。赤城山榛名山の中ほどに位置している場所で、両山の主峰を軸とする歯車にたとえるならば、坂東太郎は二つの山の歯に挟み込まれるようにして流れている。

 ここから山地に分け入るため、勾配がきつくなっていく。山に差し掛かる前触れか、雲がどんどんと分厚く鈍い色になっていった。
 まるで空を煤煙に覆われた帝都の中を行くようだ。(あれもこれも無理やりスチームパンクにこじつけていく。)

 

 この先いくつかのトンネルがあるので、窓を閉めるようにとの放送が入る。開けっぱなしにしていると、洞内で行き場を失った排煙が容赦なく車内に侵入してくるからだ。機関車が当たり前だったころには、隧道に差し掛かると大慌てで窓を閉める光景がよく見られたという。

 蒸気機関車は力行時にもっとも石炭を食うから、三国山脈の岳麓へ向かって勾配を駆けあがる列車は必然的に多くの煙を吐き出す。

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 隧道内で天井を見ると、白熱灯風の照明がいい味を出していた。

  窓の外は利根川上流部の景色が展開されている。列車は段丘面上の田甫を見下ろしながら進む。利根川流域の沼田のあたり、特に片品川は河岸段丘のお手本のような地形を成しているところだ。地理の教科書でもここか伊那谷天竜川)が載っているのではないだろうか。
 集落や田畑のところどころに紅や白の梅が慎ましやかに咲いていた。東京はすでに桜で溢れんばかりとなっていたが、群馬の北の方はまだまだ春先なのである。

 

 列車は沼田へ。10分ほど停車時間が設けられている。

 ここは沼田口と呼ばれる尾瀬への群馬側の入り口で、登山口となる大清水や鳩待峠へのバスが出ている*8。シーズン時にはバスを乗り継いで日光へも抜けられる。

 何組かは沼田で降りるようだ。土曜日なのでどこかの温泉へ向かうのだろうか。旅の往路にSLを加えるとは、なかなか気の利いた計画である。

 

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 ドレン切り。大量の水蒸気が吐き出される。よく煙と勘違いされる。

 

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 投炭。機関助士の主なお仕事のひとつ。もうひとつの主な仕事は汽缶(ボイラー)への給水。どちらも重労働なのに加え、夏場は火室の火にさらされる過酷な環境。

 投炭は石炭の量と投げ入れるタイミング、さらに投げ入れる場所を見極めなければならないという、生き物の世話係のような仕事である。

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 投炭の結果。

 

 沼田の次の停車駅は後閑であるが、ここはすぐに発車する。左右の山々が徐々に線路に、いや利根川に迫ってくる。

 中流域より下では雄大な流れを形成する利根川であるが、渋川より北は山々のすぼまりに阻まれるようにして蛇行を繰り返す。線路はこれにへばりつくように沿って走り、山と川をどうしても避けられないところは隧道と鉄橋でやり過ごす。

 

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 谷川岳、かどうかは自信がない。なんにせよ上越国境となる三国山脈の雪嶺群。まだまだ雪解けは遠い。山の向こうは新潟だ。

水上にて

 12時3分、列車は定刻に水上へ。
 水上駅から谷川岳ロープウェイの麓側、土合口駅までバスが出ている。

 ここから先の湯檜曽と土合の駅は新潟方面へ向かう下り線のみトンネルの中にある。『雪国』の「国境の長いトンネル」だ。*9

 

 終点に着いた機関車は客車を切り離して転車台へ向かう。転車台は駅の外れにあって、広場として整備されている。
 その広場へ向かうには一度改札を出なければならない。機関車はすぐに切り離されて転車台へ向かうので、人々は間に合うようにやや速足気味に改札を抜けていく。広場までは普通に歩いて5分もかからないが、みな気持ちが急いているのか、良い場所を取ろうと競っているのか、列を形成してずんずん進んでいく。付近の温泉街の人々の歓迎など気にも留めない。

 

 水上駅まで来るとさすがに東京とは気温がまったく違い、かなり寒い。風も強く、煙や蒸気が出たそばから吹き散ってしまうほどだ。空はいまにも降り出しそうな曇り空だ。

転車台での方向転換

 転車台広場で水上駅における最大の演目である方向転換が始まった。

 

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逆機(バック)で転車台へ進入
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時計回りに回転
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反転して方向転換終了、とはならず
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更に一周

 反転するだけだから、本来は半回転でいいのだが、そこはアトラクションも兼ねている「みなかみ号」。一周半してしっかり機関車と転車台の運転を見せてくれる。

間近で機関車

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 反転して再びちょっとだけ移動、復路の運転まで広場にある留置線へ。

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 折り返しまで一休みする79歳。

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広場では歩廊からとはまた違った角度で機関車を見学できる

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 軌条間の溝はアッシュピット。足回りや床下点検のための通路であるが、機関車においてはもう一つ、アッシュ(灰や石炭の燃え殻など)を捨てる場所という重要な役目がある。

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 アッシュが排出されている。上の写真の溝の深さと比べてみると、量の多さがよくわかる。



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 広場には同型機の D51 745 が静態保存されている。

 車両は運転(定期的に手入れ)されていないとすぐに痛んでしまう。各地の公園に静態保存されている機関車はその保存が課題となっている。朽ち果てた機関車も少なくない中、ここのものは綺麗に保存されている方だ。

 余談だがこの745号機は高崎機関区の生え抜きという出自を持つ。

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 D51 745で撮影

 D51の動輪の直径は1.4m。蒸奇都市倶楽部の作品で言えば、南海楓の身長がおよそ152~5cmなのでD51の動輪直径よりちょっとだけ高い。

客車を間近で

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 切り離された客車は折り返しまで駅に留置される。

 

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 構内は閑散としており、人が少ない中で自由に撮影が可能だ。停車駅での撮影はどうしても人が入り込んでしまうので、ここで心置きなく撮影した。機関車よりむしろ客車に惹かれていた私としては嬉しい限り。

 

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 先ほどまでの先頭車(5号車)スハフ42。

 

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 歩廊がいい感じにカーブしているので、編成をそれらしく撮れる。

 

 

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 高崎方の先頭車(1号車)オハニ36。

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 このオハニ36は荷物車との合造車となっている。

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荷物
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 現代はトラックドライバーの運転手不足から、地方線区や中小私鉄などで列車に貨物を載せる客貨混載が試験的に行われているが、当時はまだまだ道路網が発達しておらず、客貨混載が普通に行われていた事情がしのばれる。

 

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 年代物とおぼしき駅名標

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 長靴入れ。積雪時のものだろう。

 

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 駅本屋の側から。

 窓下にある三本の縦線はローマ数字の3。三等客車を示している。

 ちなみに二等車は現在のグリーン車に相当する。これは1960年に三等級制から二等級制への変更があったためで、それまでの一等車がなくなりそれぞれ繰り上がった結果だ。元の一等車は新しい一等車(旧二等車)に編入されたが、車両自体が少なかったのでいずれも60年代中に廃車となった。

 

 この日の編成は1号車から「オハニ36 11+オハ47 2246+オハ47 2261+オハ47 2266+スハフ42 2234」の組成。
 帰りに乗車して気付いたのだが、この日はJR東日本保有する最古の客車「スハフ32 2357」が連結されていない。私は車両形式には詳しくないものの、旧客には木製の床や鎧戸の日よけ*10 がついた車両があったことだけは記憶していた。前に乗った時はその車両に当たったから覚えていたのだ。この機会にまた乗りたいと思っていたのだが、今回は連結されていないということで少しだけ気落ちした。

 

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 乗車前の高崎駅にて、この日は連結されていなかった最古参「スハフ32 2357」を収めていた。乗るまで気付かなかった。窓の横幅が他の旧客と比べて小さいのがわかると思う。

苦い思い出

 さてその最古参の車両に「前に乗った」のは3年前、横川からの高崎までの「SLレトロ碓氷」号での運行時である。*11
 当時もテキレボ(『第3回 Text-Revolutions』)で上京しているときで、軽井沢から碓氷峠を下ってきての片道乗車であった。
 のだが、荷物の発送で大きなミスを犯してしまい、乗車の体験など味わえる余裕もなかった。それでもニス塗りのひじ置きや床、鎧戸が印象に残っていて、今回あわよくばあの時のリベンジを、と息巻いていただけに、少しだけ気落ちした次第である。

→当時のレポート:蒸奇都市倶楽部 電子広報 上京2016春 第一回:上京

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 当時のレポートに「スハフ32 2357」の画像があったので引用して貼り付け。

 当時は意気阻喪とした精神状態で撮ったものであったが、まさかこうして役に立つとは。

 

 思い出はさておき、水上駅の待合室で時間をつぶす。
 何もしない贅沢な時間だ。

 

後半へ続く

 

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*1:火入れ。機関車のボイラーに火を入れること。点火から走行可能な状態になるまでに6時間近くかかるので、検査の時以外は基本的に火を落とさない。
「みなかみ号」の機関車もそうだと思われる。

*2:もっとも「みなかみ号」は途中で20分、10分の長時間停車があるので正味の走行時間は1時間半ほど。

*3:実際に稼働させられる状態での保存を指す。そうでない状態での保存は静態保存という。ちなみに牽引機のD51 498について「本線に復活」「復帰を果たし」と書いたのは、静態保存から動態保存へとレストアされたことを指している。

*4:むろん、いずれも当時の話。

*5:蒸奇都市倶楽部の暖房蒸気管の直接の元ネタ。

*6:電気が通っていないということではない。前照灯は蒸気タービンで発電している。

*7:それを明かすかどうかは作者に委ねられているが。

*8:沼田からのバスは途中の戸倉(鳩待峠バス連絡所)まで。ここで鳩待峠へのシャトルバスに乗り換える。

*9:趣味者特有の細かいことを書けば、新潟方面へ向かう列車が通るのは後年に開通した新清水トンネルで、旧来の清水トンネルを通るのは東京方面への列車だけとなっている。ゆえに現在「国境の長いトンネル」当時のトンネルでは雪国へ行けない。もっとも新清水トンネル清水トンネルよりも「長いトンネル」である。

*10:今日の連結車両は全てサッシの溝にひっかけるタイプの日よけ

*11:「SLぐんま よこかわ」へと愛称が変わる前。