『魔風恋風』
久々に明治の小説を読んだ。
その名は『魔風恋風』。
絶筆に終わった『金色夜叉』の後に『読売新聞』に連載され、これを上回ると言われるほどの大人気を博した大衆小説だ。正確には再読となるのだが、数十年前にとある大学図書館で読んだきりで、おぼろげなストーリーラインしか記憶していなかったので新鮮な感覚で読めた。
電子書籍の販売元は響林社の「響林社文庫」というレーベル。
「響林社文庫」では、発行後概ね半世紀が経過し著作権が切れた諸作品を発掘して提供しています。
元の本の版面を複写、画像化したうえで読みやすいよう補正(修正)をかけたものを販売しているそうだ。たとえば今回の『魔風恋風』の複写元(底本?)は1951年刊行の岩波文庫となっている(岩波の公式にもしっかり載っている)。
ところで作品の著作権はとうに切れているにしても*1、岩波文庫の本をスキャンして電子書籍として販売するにあたっての権利は何になるのだろう。複製権? 著作隣接権?
出版権は特に設定しなければ3年だそうなので、2002年に著作権が切れた時点で1951年刊行の岩波文庫の版面もフリーになるのか?
ちょっと調べても条文の解説はあれこれ出てくるが、実務的な部分については不明だった。
以下作品について具体的に触れていく。
ネタバレを含みます。
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『XXXの仮想化輪廻』
XXXの仮想化輪廻
著者:青波零也
装画:夏浦詩歌
発行:シアワセモノマニア
頒価:2500円(3冊セット)
2016年10月8日初版発行
文庫判の「Side:Euclid」「Side:Dahlia」およびA5判の「Image Note」からなる三冊セット。「Side:Euclid」「Side:Dahlia」が上下巻の本編で「Image Note」は設定資料集。またこれらとは別に「Trial Edition」(2015年)も発行されており、こちらはパイロット版という位置づけだ。
現在(2021年10月末)はいずれの冊子版は扱っていないようなので、カクヨムのアドレスをもってあらすじの引用としておく。
主人公やメインの登場人物が記憶喪失の作品というのは、それ自体が物語の根幹にかかわる仕組みであるという暴露だ。つまり過去の事件の当事者であったり、黒幕であったり、作中で求められているなにがしかであったり。もっともそれ自体は記憶喪失と設定した時点で避けがたい部分*1 であるから、それ自体にどうこうは思わない。
ただ僕が記憶喪失という設定でもっとも気にするのは、「記憶喪失中に獲得した記憶」は「元の記憶を取り戻した後」にどのように統合されるのか、どちらを元にするのか、帰属するのかという点である。つまり記憶を取り戻した結果、それが当該の人物の心理や感情にいかなる影響をおよぼすのか、という処理方法に興味をそそられるのだ。ことに記憶喪失中の人格(性格かも?)が本来のものと異なるような場合だとこの興味はいや増す。
記憶を取り戻したら人格も本来のものに戻るのか、喪失中の人格のままなのか(つまりどちらかの人格は上書きされてしまうのか)、あるいはそれらの折衷となるのか、折衷するとしてもそれぞれの人格同士でやり取りはあるのか、そのやり取りをどのように見せてくれるのか。
その落としどころは物語の類例を知るうえで大きな興味をひかれる部分だ。
本作では理屈とやり取りを丁寧に示してくれており、僕としては非常に満足できる落としどころであった。
文章は読みやすく安定感がある。また、要所でなされる物語の核心部に関する情報の提示が実によい塩梅であると感じる。こういった物語の展開に重きを置いた作品では、読み進めながら提示された情報を自分で組み立てて「こうか? いや、こうかも」と予想する過程は楽しいものである。そして新しい情報が出るたびに確信を深めたり予想を組みなおすのもまた楽しい。
本作は今の僕が理想とする『7、8割ぐらいは予想を当ててもらいつつ、残りの部分のひねりで読者をうならせる』作品であった。
こうした情報の提示で読者をひきつける為の妙諦は三つあると僕は思う。
ひとつは一度に提示する量。
多すぎては説明感が増してテンポが崩れてしまうし、細切れすぎては全体の進行が間延びしてこれまたテンポが崩れてしまう。
もうひとつは提示する際の順番。
時系列や視点などが順番通りだと読者の予想が当たりすぎて興味は惹かれないが、といってばらばらにしすぎてしまえば読者は情報の整理で混乱してしまいこれまた興味を損ねてしまう。
そして提示する間隔。
あまりに間隔が開きすぎると興味は持続しないし忘れる(ページを戻らせる手間を生じさせる)可能性もあるし、間隔が狭すぎると情報をばらして提示する意味が薄れてしまう(また、細切れにした時と同じようにテンポを損ねてしまう)。
これら三つをどう扱うかというのは本当に難しいのだが、読みやすさも相まって巧緻に感じた。
以下で作品の内容に触れるが、当然ながらネタバレを含む。
*1:実はまったく関係ない一般人でしたなんて明かされたら「それ意味あるの?」となりやすいだろうし。
有言実行(感染対策スペースの予行演習)
即売会で売り子をするにあたっての新型コロナ感染対策のお話の続き。
お題目や心がけは前の記事で述べたので、実際にそれを形にする。
仕切り(パーティション)や本を封入する袋など、想定される必要な道具を整え、会議室(というか長机)を借りて設営の予行演習を行う。 この予行演習はすでに実施済みで、その様子は別途でお伝えする。感染防止に取り組んでいるという姿勢はしっかり目に見える形で公表しておきたいからだ。
追思と心掛け - 雑考閑記
この記事では実際に設営の予行に取り組んでの所感を述べていく。今回は蒸奇都市倶楽部の感染対策としての予行であったが、いずれのイベントでも僕が赴くのであればサークルを問わずに実施できる取り組みでもある。
蒸奇都市倶楽部の報告はサークルのブログを読んだほうが早いです。
以下、僕の所感は例によって細大漏らさず書いていくので長くなります。
あとはお小遣い稼ぎも兼ねて、実際に購入した商品のアマゾンのアフェリエイトもちょくちょく貼っておく。商品のレビュー的なところもあるので。*1
*1:個人的所感の表明および公開にあたっては蒸奇都市倶楽部の承諾を得ています。
追思と心掛け
今後も即売会などに売り子として参加するであろう身として、昨今の情勢を見て思うところを記す。
コロナの中でものを売るということ
今後も感染が収まるか見通せない中で売り子をするとして、やはりものを売る側として感染防止策は避けては通れないだろう。運営や会場に対策を任せきりではあまりに無責任というもの。私が売り子をするイベントはコミケットではないが、それでもあの「全員が参加者」精神は大事だと考えている。
参加者の一員として自分がものを売る立場になるのだから、そこには当然ものを売る人間としての責任が生じてくる。すなわちこの状況では「感染対策を」となるわけである。
私はイベント運営の立場になったことはないが、もしどこかのイベントでクラスターが発生したら、非難の矛先がイベントとその運営に向くのは容易に想像できる。それを思うと実に忍びなく、そうならないように可能な限りの対策を行って会場へ行きたい。逆にいうと私自身が対策を取れないなら行くべきではないと考えている。
売り子やサークルとしてできる感染対策
心構えはさておき、実際に現地で売り子をするには個人で取れる対策の考案とそれを実行に移すための準備だ。
仕切り(パーティション)や本を封入する袋など、想定される必要な道具を整え、会議室(というか長机)を借りて設営の予行演習を行う。
この予行演習はすでに実施済みで、その様子は別途でお伝えする。感染防止に取り組んでいるという姿勢はしっかり目に見える形で公表しておきたいからだ。
1月13日追記:予行演習の様子は直下の記事となる。
むろんこうした設営面とは別に、マスクないしフェイスガードの着用、売り子の人数を限る、しゃべらない、会場での食事を避けるなど、人的な面での対策も行っていく。
予行演習も一度で不安なら二回目三回目があってもいいだろう。
ところでこうした一連の対策は、私自身が参加者として勝手に自分に責任を感じて課しているだけの話である。他の参加者も同様に対策をしろ、と同調や圧力を求めるものではない。
そもそも私が行わんとしている対策とて万全か、完璧かと問われたら、どうだろうかという不安が残る。こういうものはそれぞれができる範囲で対策を行って感染防止に努めていくしかない。
一番の対策
ちなみに一番の感染防止策は会場に行かないこと、すなわち欠席である。
少しでも直近の感染状況や、会場における自他の感染対策に不安を覚えるのならば欠席する。たとえ決断が前日になっても構わない、いつでも「欠席」という選択を視野に入れておく。これも大切な感染対策だとしっかり認識し、躊躇なく採れるようにしておきたい。
新常態という言葉は日常がじわじわ侵されていく感じがしてあまり好きではないのだが、感染対策については新しい良識として身に着け、習慣化せねばやむを得ない状況になってしまった。流行前のような状況に戻ってくれるのが一番ではあるのだが、神頼みならぬコロナ頼み、なかなかそうもいかないようで。
未来は読めないが、各々が置かれた状況で前向きにやっていきましょう。