雑考閑記

雑考閑記

雑な考えを閑な時に記す

『魔風恋風』

 久々に明治の小説を読んだ。

 その名は『魔風恋風』。

 絶筆に終わった『金色夜叉』の後に『読売新聞』に連載され、これを上回ると言われるほどの大人気を博した大衆小説だ。正確には再読となるのだが、数十年前にとある大学図書館で読んだきりで、おぼろげなストーリーラインしか記憶していなかったので新鮮な感覚で読めた。

 

 電子書籍の販売元は響林社の「響林社文庫」というレーベル。

「響林社文庫」では、発行後概ね半世紀が経過し著作権が切れた諸作品を発掘して提供しています。

 元の本の版面を複写、画像化したうえで読みやすいよう補正(修正)をかけたものを販売しているそうだ。たとえば今回の『魔風恋風』の複写元(底本?)は1951年刊行の岩波文庫となっている(岩波の公式にもしっかり載っている)。

魔風恋風 前篇 - 岩波書店

魔風恋風 後篇 - 岩波書店


 ところで作品の著作権はとうに切れているにしても*1岩波文庫の本をスキャンして電子書籍として販売するにあたっての権利は何になるのだろう。複製権? 著作隣接権
 出版権は特に設定しなければ3年だそうなので、2002年に著作権が切れた時点で1951年刊行の岩波文庫の版面もフリーになるのか?
 ちょっと調べても条文の解説はあれこれ出てくるが、実務的な部分については不明だった。


以下作品について具体的に触れていく。

ネタバレを含みます。

 

 

 

旧字旧かなと副詞の当て字

 まず明治の小説ということで旧字旧かなだ。慣れない人はまず通読するのに骨が折れるだろう。また明治特有の横文字への当て字が多いのも特徴だが、これらにはルビが振られているので案外すんなり読める。

 慣れない人にとってなにより大変なのは副詞の当て字だろう。

「何卒」「直に」や「然して」「然う」など可愛いもの。

「一概に爾う許しも云へんよ。」という一文*2 の「許し」は「ユルし」ではない。これは「バカし」と読み、「いま来た許し」と同じ用法だ。現代では「いま来たばっかり」と言った方が馴染みがあるだろう。なのでここは「一概にそう(いうこと)ばっかりも言えないよ」となる。
 また「夫と」の表記で「オットと」「ソレと」が近い位置にあったときは僕もちょっと戸惑った。


横文字や副詞のルビで面白いと感じたものを他にもいくらか抜き出してコメントしておく。

 

政略(ポリシー):乙女の政略
散財(おご)る:字面としてはわかるが読みは強引な感がある
高躍(ハイジャンプ):熟語の字面と意味が一致していてわかりやすい
事情(エベント):イベント?
然(え):この一文字で「ええ」という肯きの意で用いられていた
終身(いっしょう):「しゅうしん」だと漢語的になるからだろうか。
屡々(ちょいちょい):現在「屡々」は「しばしば」と読む方が多い。
妬(エンビ)る:妬みなので「envy」かな。
許嫁(ペトロス):パトロン

 

 いろいろ抜き出したが『魔風恋風』でよく知られた当て字は「犯(バイオ)られたの?」ではないだろうか。「bio」だと思われるが、作中での意味合いは「同性愛のケがある人に唾を付けられる」ぐらいのものだ。


文章について

 すべて口語体だ。*3 明治後期の人々がこれを読みやすいと感じたかはわからないが、現代人からすると間違いなく『金色夜叉』の文語体*4より取っつきやすい。

展開について

 新聞連載という媒体の関係かスピーディーで続きが気になるような引きで次の回に移ったりするので色々と予想を楽しませてくれる。
 ただ展開そのものは早いものの、全体的に見ると主人公がふらふらあっちに行ったりこっちに行ったりする場面が多く、そういう箇所では週刊連載漫画の引き延ばしのようなものを感じた。これが人気を受けて連載を引っ張っていたのか、展開上で本当に必要なものと作者が思っていたのかはわからない。少なくとも僕はまどろっこしく感じた。

 

自転車に乗る女学生

 主人公は帝国女子学院*5 に通う萩原初野という優秀な女学生だ。『魔風恋風』という作品は女学生モノなのである。

 その冒頭において女学生の初野は『海老茶袴』に『矢絣』模様の着物という格好で自転車に乗って登場する。そう「海老茶式部が自転車に乗って」現れるのだ。

 この像は本作を飛び越えて(というか本作がほとんど忘れられて)現在でも色々なイメージでもって描かれるが、『魔風恋風』はその原風景的なものを担ってもいるのだ。*6

 

 明治後期となる当時、女性が自転車に乗るのは歓迎されなかった。当時の常識や感覚が絡むその理由についてこの記事では詳述しないが、ともかく自転車に乗るような女はいけないとか堕落しているとか、そういう風に考えられていたような時代である。*7*8

 また当時は女学生そのものも珍しく、それ自体が開明的とされていたようだ。そうした開明的かつ先進的な女学生への風当たりはきつく、女が学んでも賢しらになって男に逆らうだけだとか、女の学問など付け焼刃であるとか、私生児を作るのが関の山*9 とか言われ、新聞紙上*10 ですら叩かれがちな存在であった。

 良妻賢母を求められた時代、女性が学ぶのはあくまで家事家政であって学問ではない。ともかく女性がいらぬ知恵や学識を身につけることに対して社会的な恐怖感があったようだ。

 

 そんな時代において「自転車に乗る優秀で美しい女学生の萩原初野」である。

 当時の読者からすると、おそらく彼女の設定自体からして「やはり堕落してしまうのだろうか、どのように堕落するのだろうか」という展開が非常に気にかかる造りだったのではないかと思われる。本作が大人気となったのはこうした掴みと気になる引きが奏功したためだろう。

 

 

 ちなみに『魔風恋風』で女学生が自転車に乗るシーンはここだけだ。

 直後に初野は事故を起こして自転車はつぶれてしまう。そうして彼女は病院送りとなり受難(作中の表現に照らすなら堕落)の人生が幕を開けるわけ。*11

 

 つまり本作において、当時ハイカラなイメージを持たれていた自転車は、同じく開明的な女学生(初野)の堕落を導く道具としてしか使われていないのだ。

 ここから読み取れるのは、『世間の風潮や蔑視にもめげず、肩で風を切って自転車に乗るハイカラで先進的な女学生』というイメージはおそらく後世のものであろうということだ。

 堕落を暗示する象徴か先進的なものの象徴か。

『魔風恋風』を読むうえでけしてここを取り違えてはならない。

 

堕落、堕落、堕落

 本作を簡単に表すならば以下の言葉に尽きる。
 華やかに登場した美しく成績も優秀な女学生が堕落する作品である、と。

 

 明治の若者は男女を問わずとかく軽率だとか堕落だとか口酸っぱく言われていたようだ。
 仮に堕落するにしても個別の相応の事情があるはずだが、そういった部分のほぼすべてを個の問題として押し込めていたのは時代ゆえだろう。つまり堕落するのにはもともとそうした気があったり(原因を血筋に求める場合もある)、変に知恵をつけて世間擦れした結果であったりといった具合である。

 もちろん当時においても、個人が堕落する事情を生む背景には社会的な背景が多かれ少なかれ含まれている、という見方に基づいて、堕落を生んだ背景に目を向けよという人もおり声もあったようだ。

 ただし世間的には堕落の理由を個人の事情として押し込めるような風潮が圧倒的であった。明治なりの自己責任論と言えるかもしれない。

 

 女学生ももちろん堕落しやすい存在であった。莫連とも呼ばれた彼女たちが親の分からぬ子を身ごもったり、身に着けた知恵で男を誘惑したり、売春で学費を稼いだりするのも、その女学生個人の操行が悪かったり、血筋が悪いからだというのである。
 むろんそういう女学生もいただろうが、これは悪い人が悪目立ちするせいで全体が悪く言われるという現代と同じ構図に基づいているようにしか思えない。

 

 作者の小杉天外が何を思って書いたかは揣摩しないが、先に述べたような風潮の時代に書かれた作品であるからして、当時の風俗に照らし合わせたうえで、若者の堕落であるとか誘惑の恐ろしさであるとか、その誘いの乗ったものの末路であるとかを織り込んでいるであろうことは読み取れる。おそらくそこには明治維新以来の道徳問題や女学生問題、さらに婦人問題も含まれているだろう。

 もっとも本作はそういった問題にまで深くは立ち入らない。あくまで読者の感興をそそるような展開として、そういった問題にいくらか触れられているばかりだ。


(前の項の繰り返しになるが)そんな時代に描かれた本作の主人公、萩原初野は才色兼備な女学生である。彼女が次々と降りかかる災難や誘惑にいかに対処していくのか、堕落してしまうのかといった読者の好奇心をそそる展開こそが、『魔風恋風』を大人気作に押し上げた大きな理由であろう。

 

 しかし現代を生きる私の感覚からすれば、この作品の大部分については「良い子の萩原初野かわいそう物語」として読めてしまう。最後、初野は確かに堕落してしまうのだが、その展開自体は急にも読めるのだ。もしくは当時と常識や感覚が異なっているため、作中での堕落の兆候に気づいていないだけかもしれない。

 

 ただ当時でも「良い子の萩原初野かわいそう物語」として受容した読者も少なからずいたようだ。世間の風潮や世相、時代は変わってもそこまで考え方に差がない人もいるのは、まさに百人百様という感じで面白い。*12

登場人物

 初野の周りにはあまり禄な人物が登場しない。そのため現代的な感覚で読むと、初野の堕落の原因の大半はこいつらが下地を作っているように見えてしまう。一方でキャラクター小説として見ると面白い関係や人物造形をしている。


初野の兄
 千葉の佐原在の資産家(富農?)。

 初野に学資を出しているのだが*13、妹の進学については一貫して反対しており、学資もいやいや出している。そのため学資以外はびた一文も出さないという男で、初野が入院した際にも入院費は支払わず自弁しろと手紙を寄越してくる。
 実家では腹違いの妹(波、初野の実妹)を下女のように使っていて、義理の母すら片隅に追いやっている。そのために妹の波は姉の初野の元へ逃げてくるのだが、これを追ってきた兄とまたトラブルの種となってしまう。

 家のことは自分がすべて取り仕切る、妹とはいえ妾の娘が口出しするな、と実に家父長制の権化みたいな存在。


殿井恭一
 裕福な絵描き。作中で見る限りでは高等遊民

 初野の入院費を肩代わりして、それを出汁にいい関係になろうと画策する。好色家かどうかは不明だが、初野に関係を迫り強姦未遂までしでかすクズ(初野は必死の抵抗で事なきを得る)。*14
 強姦が未遂に終わってからは心を入れ替えて(本人談)、親切心で援助したいなど申し出るが当然のごとく初野からの信頼は得られない。それを知った殿井は殿井で、今度は妹の波に援助を申し出るなどあの手この手で初野を狙う。


島井のお主婦
 初野の下宿先を切り盛りしている女将。

 手練に長け、殿井と共謀(グル)で女衒まがいの行いをする。
 当初は入院費を肩代わりして初野に接近しようとする殿井に「あの子は身持ちが固いから無駄ですよ」と引き留めていたが、実際に事が進むと乗り気で初野を殿井の家に連れ出し、「私は少し席を外すけど(援助してくれる相手だから)粗相があっちゃいけないよ」とのたまいとっとと家に帰って事後を待つ人間のクズ
 その他にも口八丁で他人を騙したり、初野宛てに届いた手紙を本人に渡さなかったり、頼まれた言伝を無視したり(本人曰く忘れていただけ)、逃げてきた妹にいらないことを吹き込んだり(妹を遠隔操作して初野の行動を抑制しようとしている)とあの手この手に余念がない。
 この下宿に入った女学生が何人か堕落しているようだが、その背後にはこいつの暗躍があるように読める部分もある。控えめに言って作中一のクズ

 


 初野の実の妹。
 腹違いの兄にひどい仕打ちを受けて初野の元に逃げこんでくる。この際に実家の金を持ち逃げしているが、「怒らないから本当のことを言って」という姉にさえ嘘をついた。それが原因で持ち逃げは初野の差し金によるものと疑われてしまうが、波を庇う初野は兄に「学資などいらない」と啖呵を切ってしまい余計に困窮する羽目に陥る。
 姉のためならどんな苦労も平気だと言う姉大好きな妹であるが、都会に慣れておらず無知なため(瀬戸際という言葉の意味も知らない)、お主婦に口八丁にまるめこまれ姉と揉めることも。言うなれば勝手に動き回る弱点パーツ。
 最後は殿井の援助を受けて学校に通っている。というか、殿井の援助を受けるか否かで姉と揉め、それが結果で姉の元を飛び出してしまっている。


夏本芳江
 子爵家の令嬢。

 初野の義理の妹。といっても戸籍上のものではなく女学校での関係*15。心から初野を慕い、初野のために悩み、初野のために煩悶し、あまつさえそれが原因で親と喧嘩までする。

 物語の終盤では芳江の純真さと初野の堕落が対比的に描かれる。


三浦絹子
 初野の友人。

 成績は初野に引けを取らない部分もあるが、教師をからかったり気の弱い子を泣かしたりするので操行点が悪いという不良キャラ。そのため学内の集団にはなじめないが本人はさして気にしていない様子。

 見舞いに顔を出すなど初野との関係は悪くないようで、話も合うようだ。優等生と不良が案外ウマが合うという関係性がまさか明治から描かれているとは*16
 後半では初野との仲がぎくしゃくして悩む芳江の相談に応じ、初野の前に現れて二人の仲を取り持とうとし、一度は初野に跳ねのけられても諦めない情にも篤い不良キャラ。
 出番はこの2回しかないがいずれでも僕に強い印象を残した人物。


夏本東吾
 法科に通う将来有望な夏本家の書生。

 芳江の許嫁。姓が同じなのは夏本家の養子となっているから(将来的には夏本家に婿入りする形)。そういった関係のためか芳江からはお兄様と呼ばれている。
 実は初野に思いを寄せており、そのため一方的に芳江との関係を破棄したり(そのため芳江は精神的に不安定になる)、養家の言いなりにはならないと言い出して姿をくらましたり、肉親に問い詰められてもあれこれ理由を並べて内心を隠したり、おそらく男子学生の堕落を象徴するような人物。

 ただ明治の青年である点、養家の言いなりになるような立身の道とは両立せぬ初野への恋心の対立を抱えているという点を鑑みると、堕落というより明治期特有の煩悶青年といったほうがいいのかもしれない。

 ちなみに藤村操が華厳の滝で投身自殺を遂げたのは1903年の5月22日で、『魔風恋風』の連載期間中(1903年2月25日~9月16日)と重なる。若者や知識人に大きな衝撃を与え、社会問題とも化した青年の自殺と『魔風恋風』にはむろん何の関連もない。だが、終盤において学問より恋を取ろうとする東吾のより突っ込んだ造形には、この自殺の影響が少なからずあるのではないかと思えてならない。

 いずれにせよ本当の意味で初野の堕落の元凶となる人物。

 

 

 

 こういった人物に取り巻かれた萩原初野の、人間関係での苦労や学問(もっといえば卒業後の望み)への葛藤が描かれるのが『魔風恋風』という作品である。

 

 ちなみに作中で一番やべー奴は芳江の父、夏本子爵だ。

 初野とのやり取り場面は一回きりだが、客間で芳江を待つ初野を自室に連れ込んで強姦(!)と思わしき行為に及ぶのだ(本文中の表現は「暴行」、未遂かどうかは不明。)。初野が美しいとかそういうことにかかわらず、娘の親友にお前それはちょっと……。
 しかもその時の衣服の乱れが原因で子爵夫人(芳江の母)は「初野から誘惑した。仮にそうでなくても大人しく男についていった時点で同意している」*17 というあらぬ嫌疑をかけ、娘に初野との交際を禁じてしまうのである(それが原因で芳江は母親と喧嘩をしてしまう)。

 


萩原初野という主人公

 さて、肝心の萩原初野についてである。上の方で「良い子の萩原初野かわいそう物語」と書いたが、そうした見方だけで済ませられるのは殿井に強姦未遂され、直後に妹の波が逃げ込んでくるぐらいまでである。
 というのもここで新たに未就学の妹という、ある意味で初野より立場が下の人物が現れたことで、次第に彼女の欠点もちょっとずつ見えてくるようになっているのだ。具体的に初野という人物の頑固な部分というか、意固地な側面が表れてくる。

 

 といっても急に頑固になるわけでもない。

 物語の序盤で、初野は志操も固く、学校を良い成績で卒業して社会に出たいと考えている面が何度か描かれるが、この面が悪い方に働くと頑固に見えてくるのである。つまり目的を遂げるためには身の回りの物を質に入れ、いまの生活が苦しくなろうとも構いはしない。実より名、たとえ苦しくとも誰からの援助も受けたくはないとった面である。妹を奉公に出す苦渋の決断もこうした初志貫徹の頑固な部分が悪く出たものだろう(さすがに妹を奉公に出すことについては心苦しさを感じているが)。

 

 初野はその頑固さのせいで結果的に人を振り回してしまい、自分の立場がさらに悪くなる悪循環に陥っていく。

 しかし彼女はそうした場合であっても問題を積極的に解決しようとはしない。彼女は「誠意ある態度を見せれば誤解は解ける」「わかる人はわかってくれる」という感じの態度を貫こうとするのだ。良く言えば独立心があって人の恩を受けたがらないし、悪く言えば人の助言や親切をしっかり受け取ろうとしない性質だ。

 

 この面が最も悪く出たのは殿井に強姦未遂にあった件を誰にも打ち明けなかった部分だろう。襲われたことを打ち明けること自体が人々の好奇を誘う醜聞*18 になり、自分が社会に出る際の汚点になると考えてのことだが、芳江の母の「男に襲われる方も悪い」的な見方といい、この辺りはやはり時代性というか、当時の風潮が出ている。

 心に秘めたままの誠意など世間の下世話な噂の前ではなんの力もないという現実を知らない初野は、(東京に出て何年か経つ女学生とはいえ)世間擦れをしていないように描かれているのだろう。この点はすっかり世間擦れした島井のお主婦と対比をなしている。初野がほとんどお主婦に疑いの目を向けない点からもそれは明らかである。

 

 他方で初野は押すべき部分で引いてしまう性質も持っている。それがため苦しい立場に置かれていく展開も多い。金を貸そうという殿井の表面的な申し出に押し切られてひどい目に遭う一方で、心から心配してくれる妹分の芳江の助言に曖昧な返事をしてなぁなぁにしてしまうのだ。

 特に芳江や東吾相手には肝心なところで大事なことを告げようとしない。その言葉足らずが原因で自分に向けられる疑いにまで逆切れする始末だ。

 兄が逆切れして「妹が思い詰めて出奔するのは私が悪いからというのか、待遇が悪いからというのか、残酷に取り扱うからというのか、それで金を持って出奔するというのかね?」と言った時も、「そうは言わないけれど」みたいな曖昧な態度である。

 

 にもかかわらず、妹の波に対しては(いくら彼女が世間知らずとはいえ)やや強く出てしまう、というか妹に対してはやけに気が短いのも、妹が登場してから初めて見えてくる初野の一面だ。「お前の悪いようにはしないから黙って姉さまのするとおりになっておいて」という言葉にいたっては、この娘もやはり明治の人間なのだと思わずにはいられなかった。

 

明治の人間

 初野のは確かに姉妹愛を持ってはいるんだけど、そこは明治の感覚がベースとなる姉妹愛だからやはり長幼の序が根底にあるのだ。妹に反論されたり何か言い返さりすると激高して売り言葉に買い言葉みたいになってしまうし、上記の「お前の悪いようにはしないから~」発言なんかもその表れだ。またこの言い分自体があの兄にしてこの姉ありとも思わせる。

 

 そして彼女が学校に通う理由もやはり明治的なのである。

 つまり優秀な成績を修めて卒業し、立派な職に就いて妹と母を実家から招いていい生活を送らせやりたいという、立身出世に基づくものなのだ。「(良い成績で卒業し)世間にさえ出れば立身! 名誉! 幸福!」、(自分たちを嘲笑った兄や嫂などに)「慙死の感を興へて遣らふ!」と地の文に出るぐらい、明治の学生に見られた立身出世の呪縛を抱いている。

 

 立身出世、それは明治の若者の大きな夢であり呪縛であった。身分が固定されていた江戸時代*19 に比べれば、元の身分にかかわらず学問を修めれば道が開かれるという経路が整備されたことは非常に大きい。*20 *21

 

 初野が立身出世を志すようになったのは腹違いの兄の仕打ちによるところが大きいだろう。そんな境遇から抜け出すには自力で身を立てるほかに術がなかったのである。自力でといっても現在の彼女は兄の学資援助で学校に通う身であるが、おそらくそこにもかなりの劣等感を抱いていたのではないだろうか。そうした悔しさと怒りが彼女の強い独立心となって表れているのであろう。

 

 もっとも萩原初野という明治的な立身出世像を抱いた女性はその道に乗れなかった。無理がたたって脚気になってしまったのである*22

 

そして堕落へ

 といっても脚気が原因で堕落するというわけでもない。それどころか彼女が明らかに堕落するのは、ほとんど終盤、脚気が少し落ち着いてからだ。

 

 ここまで殿井の誘いであるとか、妹を奉公に出して自分も着の身着のまま以外ほぼ質に入れてしまうとか、安い下宿先に移るとか、挙句に脚気にかかるとか、東吾をめぐって芳江との関係がぎくしゃくするとか、色々と苦しい方向に進んではいくのだが、それでも初野は克己心を失わずに精励しようしており、一時は状況が好転しさえする。

 子爵の強姦(未遂)以降、距離が開いていた初野と芳江の仲は絹子の尽力により修復され、途絶えていた東吾との交流も復活する。

 さぁこれで人間関係は概ね戻った、ここから上手くいく。

 

 そう思わせた矢先、なんと東吾が初野に恋心を告げるのである。その思いゆえに入院費を内緒で支払ったことも明かし*23、しまいには許嫁の芳江など構わん(初野を取る)とまで言い放つありさま。そうして彼は自分の決意を示すかのように夏本家に離縁されるよう打って出て、芳江との連絡も絶って姿をくらませる。

 

 ここに至って親友の許嫁が自分を好きだと告白してくる漫画的展開である。
 告白された初野は初野で東吾の名や話が出るたびに顔を赤くするようになる。

 

 こうして友人を取るか男を取るかの選択を迫られて初めて、初野が堕落していく様が描かれだす訳だが、実はそのこと自体は『魔風恋風』というタイトルが示している。初野は恋の風に吹かれて堕落の道をたどるのだ。

 

 東吾から離縁状が届いた芳江は精神的に参ってしまい、嘆きのあまり家を出奔して姉と慕う初野の元に身を寄せるのだが、当の初野は東吾との件については何も言わぬ。芳江は東吾(お兄様)と初野(お姉さま)は清い関係と信じて疑わぬから、自分はどうしてお兄様に嫌われたのだろう、せめてお話でもしたい、お姉さまが間に立ってくれたらきっとお兄様も話をしてくれる、と初野に泣きつく。

 もちろん初野はそれらの事情の裏を知っており、なんなら東吾の潜伏先さえ知っているのだが、離縁になりそうだと嘆く芳江の話をまるで他人事みたいに聞いているのだ。

 

 ここにいたって僕の中で築かれていた初野の像が一気に崩れ落ちた。

 東吾が離縁状を出したのは初野と添い遂げる決心をしたからであるし、その件については二人とも互いに固く確認し合っているのに、もう一方の当事者である芳江には「離縁状は東吾との行き違いがあってのことだろう」「今に(東吾に)会えばみんなわかるわ」などとぬかしやがる。

 

 そして『立聞』の章から初野のうぬぼれと「なんて私は不幸なの」という陶酔は加速し、悲劇のヒロインぶった態度が鼻につくようになってくる。このころには卒業して身を立てようという当初の心意気が、東吾と別れたくないという一心にかき消されてしまっており、当初の萩原初野という人物像は形をとどめていない。

 あげくこの段にいたっては、芳江を引き留めて東吾と会わせなければよいのではないかとまで考えだす始末で、志操も身持ちも固く、頑固で高潔であったはずの初野がいよいよ堕落した様を見せつけてくる。

 

 このあたりの初野は種々のトラブルのせいで歪んだり、人間の持つ多面性が描かれているというよりかは、話の都合で人物像が変わったようにさえ見えるほどの急激な変化であった。ただ初野が重要なことを言わないのは、これまでにも示されてきた通りである。

 もっとも同じ言わないにしても、誠意を信じて言わぬのと、やましさを感じて言わぬのとでは大違いであるが。


 初野はなんとかして東吾との仲を成就させるべく動くのだが、ここに至ってはもう卒業試験でよい成績をとれる見込みがないという、焦りと諦めも入っていたかもしれない。そんな初野の元に芳江から手紙が届く。

 なお自分を慕い信じてくれている芳江の手紙に自責の念を感じた初野は、自分の行いをすべて打ち明ける覚悟を固め芳江の元に大急ぎで向かい、自分が嘘をついていたと告げて許しを請うも、いよいよ無茶がたたって衝心に陥って病院に担ぎ込まれる。

 そうして病床で朦朧としたまま許してくれとうわごとを繰り返し息を引き取るのであった。

 と、このように終盤は出世を望む女学生と弁護士を志す書生が、それぞれの道筋から外れ堕落する様が描かれている。二人の間に肉体関係はなく、しばらくは清い交際を続ける旨を誓い合っているが、おそらく明治の価値観からすれば、東吾は夏本家への恩をないがしろにした時点で堕落であろうし、初野に至っては女学生が許嫁のある身との恋に走った時点で十分に堕落なのであろう。

 

その価値観や基準はいつの時代のものか

 初野の死で物語が終わることについての評価は難しい。

 オチとしてはなんだかなあという感じだ。というのも脚気は堕落の結果というより、自転車事故による入院以来の困窮した生活が原因であって、話としては恋による堕落と脚気による死に深い関係があるように見えないのだ。

 

 ただ、こうした見方自体に現代的な感覚や価値観が紛れ込んでいる気がしないでもない。というのも、堕落の線引きや範疇が当時と現代では違う可能性があるからだ。

 たとえば「女学生が自転車に乗っている時点で堕落! 許嫁のいる男と二人きりでいるのももちろん堕落!」と判断するような人が多い時代ならば、この物語では最初から最後まで初野の堕落が語られていることになっているわけで、受け取り方も当然違うはずである。

 

 そして私はこのずれにこそ古い小説を読む面白さと意義があると思っている。

 しかしそのずれを把握するには、小説本文だけでは難しい。そのために小説のみならず、当時のことを書いた雑書や、それについて調査研究した論文や書籍を読んでずれを埋めていくのも重要と考えている。僕としては時代による溝をしっかり把握し、当時の受容も認識しておきたいと考えているからだ。

 

 古い小説を読むにあたっては当時の常識や風俗を踏まえたうえでの読み解きが重要である一方、(読者の)現代的な感覚という物差しでとらえるのも重要であり、そのどちらかが欠けては「現代に古い作品を読む」という意義が損なわれるのではないだろうか。

 

 と、大層なことを言うくせに締まらないものとなった。ひたすらに学びである。

 

 ともかく作品に対する全体的な感想としては「オチは強引な感じがするものの、登場人物のすれ違いや行き違いによる錯誤の結構はよかったな」と。

 

参考文献

 『魔風恋風』の読後に、明治の世相や作品理解の一助にした参考文献や論文、論考をアマゾンのアフェリエイト付きで掲げておく。

 

 

甲南女子大学学術情報リポジトリ(「小杉天外『魔風恋風』をめぐるメディア的トポス」)

福岡女子大学機関リポジトリ(「魔風恋風」考 : 受容・材源・テクストについてのノート)

小杉天外『魔風恋風』/通俗性の問題 : 明治大正流行小説の研究(二) - 徳島大学機関リポジトリ

明治の「煩悶青年」たち - 文献詳細 - Ceek.jp Altmetrics

 

 

 余談、明治の小説を読むと車夫や下男下女に言伝やちょっとした頼み事(〇〇がいるか確認してきてくれ等)をとても気軽にしているのをよく目にする。『魔風恋風』もそうであった。こりゃあ人の口に噂が絶えないわけだわ、と思った。

 

 

 

 

 

*1:小杉天外は1952年逝去。2002年に著作権が切れている。

*2:前後の文脈をいくらか省略しての引用なのは大目に見てもらいたい。

*3:手紙で候文の箇所はある。

*4:セリフは口語体。雅俗折衷文とも言われる。ちなみに尾崎紅葉は言文一致運動に関わっていて口語体の作品も書いている。

*5:本文では旧字体で「帝國女子學院」だが、論文でもないこの記事では引用の正確さより変換しやすさを第一に新字体とした。以下も同様に、本文では旧字体である箇所でも新字体を使用する。

*6:ただしこの像は作者の小杉天外が、東京音楽学校東京藝術大学の前身)へ自転車通学する三浦環の話を聞いて作品に取り入れたとされている。また袴の女学生が自転車に乗るという像を現代に広めたのは漫画『はいからさんが通る』ではないだろうかとも思う。

*7:当時の自転車と女性に関する風潮については次の論文を参照。『「自転車に乗る女」のメディア表象:三浦環から原節子へ』紙屋牧子⇒早稲田大学リポジトリ

*8:また、自転車文化センターの「自転車の文化史」内の記事『明治の女学生 自転車通学奮闘記』も参照。⇒明治の女学生 自転車通学奮闘記|自転車文化センター

*9:実際作中にこのようなセリフがある。

*10:当時の新聞はゴシップ誌的な側面も強かった。

*11:自転車は入院費の捻出のために質に出される。

*12:これらは Wikiedia の脚注にリンクされている二次的な情報で知った。

*13:そもそも学校に通えるのは華族や資産家の娘だけである。

*14:「女が学問なんぞ積んでも私生児(ててなしご)を産むのが関の山」という兄の心無い言葉を聞いた初野が、思わず身震いして「悔しい!」と泣き伏す場面は、彼女の被害と心の痛みを表現しているよい描写であった。

*15:いわゆるエス

*16:作品的に言えば初野も堕落するので、そういう点での含みはあるかもしれない。

*17:襲われるような恰好している方が悪い、とほとんど同じ言い分である。

*18:繰り返すが当時の新聞はゴシップ誌的な面を持っていたので、こういう人々の興味を誘うような話題も記事になりやすかった。プライバシーの配慮も現代からすればないに等しい。

*19:豪農などが苗字帯刀を許される例はあった。

*20:依然として高等教育を受けられるものは限られていたが。

*21:立身出世という呪縛が(東吾の項で少し触れた)明治の煩悶青年という存在を生みもしたのだが、ここでは詳しく触れない。代わりに記事の最後に参考文献を挙げておく。

*22:江戸患いとも言われた脚気は明治後期においても依然として国民病であった。

*23:入院費を支払ったのが誰なのかについてはここまで謎として引っ張られている。