雑考閑記

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雑な考えを閑な時に記す

ネタバレのシワ的分類

 先日ネタバレについて人と話す機会があり、僕なりに考えを深められたのでそれをまとめておく。

 

 最初に書いておくと僕は生来ネタバレを気にしない。

 一方で話した相手はネタバレには触れたくないという人だった。

 今回そうした相手と「ネタバレとはいったいどういうものか」話すことによって、ネタバレを僕なりに大雑把に分類できたので以下に記しておく。

 

以下ネタバレ注意。ドラゴンクエスト』『ポートビア連続殺人事件』『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『ごんぎつね』『細雪』のネタバレがあります。

 

 

ネタバレとはなにか

 とりあえずここでは「ある作品の展開や要素などのうち、前情報(あらすじや宣伝文、紹介記事など)では明かされていない部分を、そこまでたどり着いていない者や、作品そのものに触れたことのない者に同意なく明かすこと」と定義する。「そこまでたどり着いていない者」というのは途中まで読み進めている人を想定している。

 

ネタバレの分類

 そうした定義のうえでネタバレを僕なりに「イ:構造型」「ロ:結末型」「ハ:核心型」の三つに分類した。

 以下でそれぞれを説明していく。なお、各分類の例として小説の他に媒体が異なるゲームも挙げているところから、この記事の精度はお察しいただきたい。

 

イ:構造型

 

「最後は主人公が勝ってヒロインと結ばれて終わるよ」

 構造型というのは展開の構造を明かすネタバレだ。

 ゲーム『ドラゴンクエスト』を例にしてみると、「主人公はローラ姫を救い竜王を倒す」*1といった形になる。これは確かにネタバレであるものの、型としては「主人公がヒロインを助け悪役を倒す」という物語のもっとも基本的な構造を述べているだけでもある。

 

 もう一例として『暴れん坊将軍』を挙げてみる。

「その悪役吉宗に成敗されるよ」*2

 これも展開を語っているが、そもそも時代劇が様式美を強く持ったジャンルなので、そこを明かしてもネタバレの感は薄い。*3

 むろんこれらは物語の基本的な構造に「ローラ姫」「竜王」「徳川吉宗が~」という作品独自の仕掛けや固有名詞が乗っかることで、それぞれ『ドラゴンクエスト』『暴れん坊将軍』のネタバレとして成立している。

 

 しかしこれらは前情報からおおよそ予想できる(言い方は悪いが意外性のない)展開にあるのではないだろうか。そうした物語の大枠を語ったところで、それがネタバレに該当するかというと、……僕には該当しないような気がするのだ。*4

 

 構造型でもう一例。

 

「それ叙述トリックで語り手が犯人だよ」

 これも物語の構造を明かしているが、これまで挙げてきたものとの最大の違いは作品構造そのものが意外性を備える叙述トリックという仕掛けをばらしてしまっている点だ。

 このネタバレは許されないというのはさすがの僕にもわかる。

 

ロ:結末型

 

「最後は語り手の猫がおぼれて死ぬよ」

吾輩は猫である』のネタバレだ。オチを端的に語っている。

 しかし『吾輩は猫である』という作品の読むべき部分は、猫が見聞きした人間社会、猫社会の対比や関係性にあり、語り手が溺死するというオチそのものの意外性にはない、と私は考えている。

 もちろんネタバレである以上、このオチを聞いて読む気がなくなる人もいるとは思う。

 

 もう一例。

 

山嵐と組んで赤シャツと野だいこをやっつけて、そのあと教師辞めて東京に戻って東京市街鉄道の技師になって清を呼び戻して暮らすよ」
 同じく夏目漱石『坊ちゃん』のネタバレだ。これもオチを語っているが、その内容はさらに二つに分けられる。

 まず『山嵐と組んで赤シャツと野だいこをやっつけ』るのは、作品を途中まで読んでいたらある程度の予想はつくと思う。主人公が(立場上の)悪役を懲らしめるという形なので、ここは構造型に分類してもよいかもしれない。空に向かって投げたボールが落ちてくる、ぐらい妥当な展開ではないかと思うのだ。

 その続き『そのあと教師辞めて東京に戻って東京市街鉄道の技師になって清を呼び戻して暮らす』という部分は先の『猫がおぼれて死ぬ』に相当する箇所だろう。読む気がなくなる人もいるとは思う。

 ただし私はこの部分は猫の溺死同様、物語の重要な部分ではないと考える。『坊ちゃん』においてそれよりも大事なのは「空に向かって投げる」に至る部分だと思っている。東京に戻る展開は小説全体から見ても最後のほんの数十行、落ちてきたボールがバウンドした、ぐらいのものではないかと。

 

ハ:核心型

 

犯人はヤス

 ゲーム『ポートピア連続殺人事件』のネタバレだ。

 ミステリーで犯人を名指しするというのは簡潔かつ最大級のネタバレだろう。

 そもそもミステリー自体がネタバレと相性の悪い構造をしている。そんなミステリーであえて構造型、結末型のネタバレを考えると、「探偵役が犯人を捕まえる」「犯人特定に至るが捕まえる前に死んでしまう」となろうか。

 構造型の前者は意外な展開ではないが、ミステリーはひねりを入れた展開が多いので、そういった作品だと構造型であっても重大なネタバレになろう。

 結末型とした後者は展開の意外性を述べており、これはネタバレとしては大きなものになるのではないだろうか。先の『坊ちゃん』と違うのは、バウンドしたボールの方向も大事な場合が多いという点だろうか。

 

 また、先に構造型の項で挙げた「叙述トリック」も場合によっては核心型に分類されるかもしれない。要するに物語の重要な部分を明かすネタバレを核心型としている。

 なので以下のような例。

 

「兵十はごんを撃った後に差し入れの送り主がごんだと気付くよ」

『ごんぎつね』である。「兵十がごんを撃つ」だけだと結末型になるだろうか。そこに「ごんの差し入れに気づかぬまま撃ってしまう」という情報が加わって核心型になるように思う。というのは、このすれ違いの悲劇性という部分が『ごんぎつね』の肝だと思うからだ。あのような童話的な物語でこの悲劇性と意外性はオチとして看過できぬ要素である。仮にこの物語が、兵十が撃つ前にごんの思いに気づいて和解する、という平和的な展開に収まっていればネタバレの重大さは弱まっていただろう。

 

恣意的な分類

 以上ネタバレを三つに分類したが、冒頭で述べたように例示した媒体は小説のみならずゲームや絵本などばらばらだ。手慰みの分類が先にあって、そこに当てはめる形の例示だからそうもなろう。

 いうまでもなく小説とゲームではそれぞれ楽しむ範囲は異なってくる。

ドラゴンクエスト』であれば物語はどちらかといえば味付けに近く*5、 冒険を進めて敵を倒してレベルアップして強くなり、さらに冒険を進めていく、という要素の方が楽しみの大部分を占めているのではないだろうか。*6  つまり楽しみの比重としてはゲームのプレイを通じたキャラクターの成長にあるのではないか、と私は考えている。これは媒体こそ異なれど『吾輩は猫である』のときに、作品の面白さはオチそのものよりも『猫が見聞きした人間社会、猫社会の対比や関係性にあ』ると述べたのと同じだ。作品としての比重が大きいのはどこかと。

 

 しかしいずれにせよ、しっかりした分類を行うには同じ媒体のもの、もっと言えば同じ作品を挙げて検証するのが適切だろう。

分類よりも意外性

 ところで分類していて思ったが、ネタバレが重大かそうでないかの境目は、ばらす情報に『意外性が含まれているかどうか』の方が大きいのではないだろうか。

 構造型の項で書いたが、物語の基本的な構造を明かす(悪役を倒す、犯人が捕まる)ことに別段の意外性は含まれない。しかしその構造がひっくり返る(悪役が勝つ、犯人が逃げきる、叙述トリック)となれば、展開に大きな意外性が含まれることになり、構造型においてもネタバレが重大なものとなり得る。

 結末型もそうだ。主人公が赤シャツと野だいこを懲らしめる展開にそれほどの意外性はない。だがその勢いのままに東京へ戻るのはやや意表を突いた展開と言えるかもしれない。猫溺死も同じく意外な結末ではある。なので物語の主眼がそこに置かれていないとしても、ネタバレとしての重大さは比較的大きいだろう。

 核心型は物語の重要性を明かす点をもって核心型と分類しているため、おそらくその多くが意外性を含んでいるのではないだろうか。

 

 そこで意外性に照準を絞ってネタバレというものを考えると、『ドラゴンクエスト』の場合「竜王の正体はドラゴンだよ」「主人公はローラ姫と結婚して一緒に旅立つよ」となろうか。

 前者はゲームのタイトルや「竜王」という名前からいくらか予想できる範囲かもしれない。その点では後者により強い意外性が含まれていると見ていいだろう。たとえばここが「竜王を倒した主人公はローラ姫と結婚し、次代の王として末永くラダトーム(作中の王国)を治めるよ」なら意外性はほとんど含まれないだろう。なぜなら「主人公が姫と結婚して王となる」という結構は従来の物語にもありふれているからだ。

 従来の型枠からのひねりこそ意外性の肝のひとつである。

 ごんと兵十が和解せず、差し入れに気づかぬまま撃ってしまう。

 これが重大なネタバレに見えるのも、すれ違いの悲劇的な展開が意外性を持っているからだろう。

 

僕がネタバレを気にしないのはなぜか

 最初に書いたように僕はネタバレはまるで気にならない。無神経というのもあるかもしれないが、僕なりに気にならない理由というのも持っているので、ここではその説明をしておく。

 

 僕がこれまでに触れてきたネタバレというものは端的な情報の提示でしかなかった。

 そもそもネタバレという言葉自身が示しているように、話の「ネタ」(=一要素)をばらすのがネタバレである。なのでたとえ犯人がヤスであろうが、兵十がごんの差し入れに気づかぬまま撃とうが、猫が溺死しようが、坊ちゃんが赤シャツどもを懲らしめて東京に戻ろうが、それらは物語の要素や側面でしかないのだ。しかし私は、物語というのはそういう要素や側面を抜き出しただけでは到底語り得るものではないと考えている。

 ミステリー作品の犯人が分かったとして、その犯人が人を殺めるに至った動機はなんなのか、トリックはなんなのか*7、どういった形で探偵役に突き崩されていくのか。

 坊ちゃんが赤シャツどもを懲らしめて東京に戻るとしても、そこに至るにはどういうやり取りがあったのか、判断があったのか、どのようにして山嵐と話をつけたのか、懲らしめるのはいいが赤シャツと野だいことどんな応酬があるのか。

 物語とはこういった作中のあらゆる要素がすべて組み合わさって物語として成立しているのである。その一部のネタを事前に抜き出されて明かされたからと言って、物語の楽しみが減じるとは私には思えないのだ。

 

 また優れた作品はその作中だけで完結するものでもない。

 

 猫が溺死するにしても、それまでに猫はどんなやり取りを見て、それをどのように解釈して読者にどういったふうに開陳するのか、溺死するまでに猫は何か得るものはあるのか……。

 

 兵十がごんを撃ったとしても、真相に気づいた兵十はそれをどう思うのか*8 。また仮に撃つ前にごんの差し入れに気づいたとしても、ごんのいたずらがきっかけで兵十の母親が死んだ事実は覆りはしないし、兵十の母親がうなぎが食べられず死んだというのも作中の描写のみを信じるのならばごんの想像でしかないし……。

 

 作品を読んでいる最中、読み終えた後も読者は色々と思うところ、考えるところはあるはずで、それらは端的なネタバレからでは決して踏み込めない領野だ。

 たとい『細雪』のネタバレとして雪子の縁談が決まるよと明かされたところで『細雪』を読む楽しさが損なわれるとはちっとも思えないのである。はたして『鏡子の家』にネタバレとして抜き出せるような部分があろうか。

 

 登場人物がどう思い、どう動いたか、どのような物語的必然性により行動したか、そういう部分はネタバレとして抜き出すには難しいのではないかと思う。ネタバレというのは要素の抜き出しでしかないからだ。

 

 もしも僕自身がネタバレだと感じるものがあるとすれば、おそらく全編を読み聞かせる、内容をほぼ丸写しするようなレベルのものになってくるのではないだろうか。ゲームなどは実際にプレイしなければならないので、ネタバレだと感じさせることは不可能であろうし、ノベルゲームなど文章を読ませるのを主眼とするゲームもまた、小説と同じで読み聞かせ丸写しのようなことでもしなければ通じないのではないかという気はしてくる。

 しかしそこまでいくともはやネタバレではなくて僕への嫌がらせだ。

 

 もし完全なネタバレがあるとすれば、それは作品の本質をあますことなく抽出したものであるはずだ。

 

 まとめると僕がネタバレに無痛でいられるのは、驚きや意外性よりも共感性や納得、異物感や読後感を重視しているからだろう。また私がどう思うかも含めて読書なので、その点でもやはりネタバレはあまり気にならないのだろう。たとい朝起きてすぐその日の夕食の献立を教えられたとしても、その夕食は不味くなりはしない。*9

どこからがネタバレか

 身もふたもなく言えばこんなものは人による。

 ましてやネタバレをまるで気にしない僕があれこれ詮索しても説得力のかけらなどあろうはずもない。僕はこの分類によって「ここまでならネタバレしてもいいだろう」などと線引きをする気はない。何度も書いているが僕はネタバレに痛痒を感じない。そんな痛みの分からぬ者による一方的な線引きなど傲慢の極みである。

 よってネタバレを気にしない人間としては、慎重に発信するか前もってしっかり注意を促すのが妥当な落としどころだろう。どんな形であれネタバレが嫌な方を想定して注意を促すに越したことはない。

 なので「不用意なネタバレとなるような言動は可能な限り避けたほうがよい」というのが僕の意見である。実際に人と何かの作品について話すときは「ネタバレ大丈夫な方ですか」と確認を求めている。

 

 

*1:ゲーム的にはローラ姫を救わなくても竜王を倒しゲームをクリアーできるがここでは置いておく。

*2:実際に斬るのはほとんどの場合お庭番。

*3:付け加えておくと貧乏旗本の新さんが実は八代将軍徳川吉宗であることは前情報でわかるため上記ネタバレの定義には当たらない。

*4:重大なネタバレさえ気にならない人間が書いているので歯切れが悪い。

*5:と言っても私はオリジナルとなるファミリーコンピュータ版の発売時に『ドラゴンクエスト』をプレイしたわけではないので、当時このストーリーがどのように受容されたかはわからない。

*6:もっとも最近のゲームは物語性も重視されているようなので、この考え自体が古いかもしれないが。

*7:僕自身はトリックなど気にせぬ人間であるが。

*8:作中では射殺後の兵十の心情は明確にされない。

*9:もちろん意外性を評価することもあるが、それは仕掛けが仕掛けと判明するまでの手段や見せ方を評価する場合が多いと思う。俺が評価したところでなんになるという話だが。