雑考閑記

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雑な考えを閑な時に記す

『XXXの仮想化輪廻』

XXXの仮想化輪廻

著者:青波零也

装画:夏浦詩歌

発行:シアワセモノマニア

頒価:2500円(3冊セット)

2016年10月8日初版発行

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天地が互い違いだが、デザイン上この仕様で頒布されていた。

 文庫判の「Side:Euclid」「Side:Dahlia」およびA5判の「Image Note」からなる三冊セット。「Side:Euclid」「Side:Dahlia」が上下巻の本編で「Image Note」は設定資料集。またこれらとは別に「Trial Edition」(2015年)も発行されており、こちらはパイロット版という位置づけだ。

 

 現在(2021年10月末)はいずれの冊子版は扱っていないようなので、カクヨムのアドレスをもってあらすじの引用としておく。

kakuyomu.jp

 

 主人公やメインの登場人物が記憶喪失の作品というのは、それ自体が物語の根幹にかかわる仕組みであるという暴露だ。つまり過去の事件の当事者であったり、黒幕であったり、作中で求められているなにがしかであったり。もっともそれ自体は記憶喪失と設定した時点で避けがたい部分*1 であるから、それ自体にどうこうは思わない。

 ただ僕が記憶喪失という設定でもっとも気にするのは、「記憶喪失中に獲得した記憶」は「元の記憶を取り戻した後」にどのように統合されるのか、どちらを元にするのか、帰属するのかという点である。つまり記憶を取り戻した結果、それが当該の人物の心理や感情にいかなる影響をおよぼすのか、という処理方法に興味をそそられるのだ。ことに記憶喪失中の人格(性格かも?)が本来のものと異なるような場合だとこの興味はいや増す。

 記憶を取り戻したら人格も本来のものに戻るのか、喪失中の人格のままなのか(つまりどちらかの人格は上書きされてしまうのか)、あるいはそれらの折衷となるのか、折衷するとしてもそれぞれの人格同士でやり取りはあるのか、そのやり取りをどのように見せてくれるのか。

 その落としどころは物語の類例を知るうえで大きな興味をひかれる部分だ。

 

 本作では理屈とやり取りを丁寧に示してくれており、僕としては非常に満足できる落としどころであった。


 文章は読みやすく安定感がある。また、要所でなされる物語の核心部に関する情報の提示が実によい塩梅であると感じる。こういった物語の展開に重きを置いた作品では、読み進めながら提示された情報を自分で組み立てて「こうか? いや、こうかも」と予想する過程は楽しいものである。そして新しい情報が出るたびに確信を深めたり予想を組みなおすのもまた楽しい。
 本作は今の僕が理想とする『7、8割ぐらいは予想を当ててもらいつつ、残りの部分のひねりで読者をうならせる』作品であった。

 

 こうした情報の提示で読者をひきつける為の妙諦は三つあると僕は思う。

 

 ひとつは一度に提示する量。
 多すぎては説明感が増してテンポが崩れてしまうし、細切れすぎては全体の進行が間延びしてこれまたテンポが崩れてしまう。

 

 もうひとつは提示する際の順番。
 時系列や視点などが順番通りだと読者の予想が当たりすぎて興味は惹かれないが、といってばらばらにしすぎてしまえば読者は情報の整理で混乱してしまいこれまた興味を損ねてしまう。

 

 そして提示する間隔。
 あまりに間隔が開きすぎると興味は持続しないし忘れる(ページを戻らせる手間を生じさせる)可能性もあるし、間隔が狭すぎると情報をばらして提示する意味が薄れてしまう(また、細切れにした時と同じようにテンポを損ねてしまう)。

 

 これら三つをどう扱うかというのは本当に難しいのだが、読みやすさも相まって巧緻に感じた。

 

 以下で作品の内容に触れるが、当然ながらネタバレを含む。

 

 

 ここからは感想というよりも雑感。

 

 発行日を写していて思ったのはもう5年前の作品なのか、ということだった。年が経つの早いとはいえどれだけ積んでいたのか。お試し版は読んでいるので、そこから実に6年の間をあけて読んだわけだ。好物は取っておくタイプとはいえ、実際に本を開く(というか銀色の封を解く)まで時間を要したのは、単純に時間を作れないという以外にも理由があった。

 

ユークリッド」が誰なのか、これ自体はお試し版を読んだ当時からその予想はほぼついてた。もっともここは作者もがっちり隠す気はなかったのではないかと思われる。

 

 ただ、同時に本作は『終末世界』というパズルにおける大きなピースなのではないか? という部分もなんとはなしに予見できてしまい、封を解く気にはなれなかったのだ。

 これを読めば大きなピースが埋まってしまう。

 ともすればこの世界に一つの大きな区切りがついてしまうかもしれない。

 パズルを埋めていくのは楽しいが、完成、あるいは図柄が大きく見えるようになってしまえばその楽しさが終わるの見えてきてしまう。
 そういった寂寥感を先延ばしにしたくて数年も蔵していたのである。今回その長きにわたる封を解いたのは、積読に手をつけられる固まった時間を作ることができ、さすがにいつまでも読まずにおくのもな、と感じたからだ。(といって義務感から手に取ったわけでもないことは付け加えておく。読むと腹を決めてしまえば足取りが鈍ることはない。)

 

 私はカバー付きの本は裸にして読む性分なのだが*2、この本はカバー自体はシンプルだが本体の表1,4にイラストが描かれていて、もうそれを見た時点で「あ、あ、あ」という感じであった(うっかり下巻にあたる「Side:Dahlia」から外したので)。この二人きっとあの二人やん! と。

 


 さて、前半にあたる「Side:Euclid」ラストでユークリッドの正体がヒースであると明かされると、やはりというか案の定というか「ああ」と寂しさを覚えたものだ。しかも若くして老いた身で狂気に蝕まれたという最期まで聞かされては、そこに無常を感じずにはいられない。なぜか彼は最後まで確固たる意志を持っているようなイメージを持っていたのだ。27で亡くなったということだから、僕が読んで知っているヒースからそこまで年を経ているわけでもないのにこうなるのかと。

 また僕としてはシスルが死んだという事実の確定も大きな衝撃であった。むしろ驚きとしてはこっちの方が大きかったように思う。

 

 そして「Side:Dahlia」でもって僕はいよいよこの手でもって大きなピースを埋めてしまった。『終末世界』のピースであることは前半時点で(予想通り)判明していたわけであるが、しかしまさかこうまで直に『楽園年代記』に架橋していくというのは完全に予想外であった。

『楽園年代記』は長編が(僕の記憶では)本になっていないのもあって手薄なシリーズである。つまり手持ち情報がめちゃくちゃ少なく、それゆえにまったく予想できなかったのもあるかもしれない。

 ただ手元に引っ張り出してきた『コンバラリアの行方』をざっくり読み返せば確かに「ユークリッド」がいるし(124p)、ってか10pに『アヴィス・トゥリス』って書いてあるやん! ……あるやんっ!! 完全に見落としてたなあ。

 

 ヒースの死はもちろん、シスルの死までもが明確にされ*3、さらに世界自体が(はるか未来と思われる)楽園に移っている。そうなると「あの町にいた他の人たちもやっぱり……」となるわけで、ここも寂しさと無常さを感じた部分。

 僕自身は暴走気味の一読者でしかないのだが*4、なんだか置いて行かれたような気がしたのだ。もしかすると不老不死者も、知り合いが次々と亡くなっていくのを見届けるしかできない中でこんな寂しさと無常感を抱くのかもしれない。

 

 再三の繰り返しになるが、この寂しさを味わいたくなかったというのが正直な気持ちである。だけどそういう結末だったんだなと知ることができたのが嬉しいのも事実で、そこの寂しい、嬉しいという気持ちの整理は今もついていない。なので文章はいつも通りだけど感情的には現在も「ああ……(蕭索)」みたいな感じ。

 


 ところで『君は虹を知らない』の副題が「Stories of Mr.Wuthering Heights」で、本作「Side:Dahlia」最終章「Layer_xxx/ Fatal Error」の扉(229p) には「Mr.Wuthering Heights sais "life is full of good-byes."」とあり、さらにエピローグの最後(267p)には「Goodbye,Mr.Wuthering Heights:Happily ever after.」とある。

 Wuthering Heights は名訳『嵐が丘』ですっかり定着しているが、敢えて訳すと「強い風が吹く丘(の館)」だ。『終末世界』における Mr.Wuthering Heights  の由来はわからないが、『嵐が丘』のヒースクリフ、あるいは舞台となる館がある荒地(ヒース)*5 からのつながりではないだろうかと思う。むろんヒースが呼ばれるのを嫌うヘザーもこの荒地に生える植物の呼び名だ。

「sais」という単語は知らないのでパソコンに教えてもらうとフランス語で「知る」らしいが、ここだけフランス語というのは違和感があるので立ち入らない。

 続く「life is full of good-byes.」は「人生は別れに満ちている」となろうか*6

 Mr.Wuthering Heights は267pで「Goodbye」と別れを告げる(告げられる?)。「Happily ever after.」は「末永くお幸せに」とも訳せるが、ここはシスルや紫苑の魔女に倣って「めでたし、めでたし」と締めるのが妥当だろう。

 

「水曜日の迷夢」(『千刺万紅』)でのやり取りの結果として、ヒースは梔子に会いに行ったのかどうか、そこらは記録が残っていないそうなので記録から構成されたユークリッドが知ることはなかったのかな。となれば作中のヒースも彼女との結末は知らないのかもしれない、と。


 好きなセリフ。

『――うるさい。うるさいんだよ、ヒース・ガーランド!』(191p)。

 普段と違う調子で啖呵を切るお姉さんいいよね。

 ダリアは一途さ、諦めなさといい好ましい人物であった。「自分がやっていることもクロウリー博士と同じなのではないのか?」という自問とそこをクリアする過程、理屈もよかった。

 

 胸にきたセリフ。

『――それは、僕らにはできなかったことだから。』(227p)。
 ヒースの人生を見る上でホリィ抜きというのはありえないが、彼が胸の内をヒースに開示するシーンは少なかったように記憶している。このように心情を吐露できているのは、あくまで記憶から構築された再誕儀式限定の異例なのか、はたまた相手がヒースそのものではなくユークリッドだったからなのか。

 でも胸にきた理由はそこじゃないんだよね。
 このセリフは『僕ら』の部分がめっちゃ切なさを感じさせるのよ。『アイレクスの絵空事*7と『君は虹を知らない』読み返すとさらに胸にくる……。悲しい。

 

 それでも僕はね、ホリィと鈴蘭の在り得たかもしれない胸焼けする if が見たいんです(かなり抑えた言い方)。

 

以上、乱筆感想終わり。

今回は文章を寝かせるより熱の残るまま出した方がよいと判断した。

 

 

*1:実はまったく関係ない一般人でしたなんて明かされたら「それ意味あるの?」となりやすいだろうし。

*2:読んでいる最中に帯やカバーがずり落ちてくるのが好きではない。

*3:明確に死んだと書かれたのは初めて見た気がする。

*4:本文が固定された本を繰り返し読むという意味では、同じ結果が得られるとわかりきっていながら、それでもなお試行を続けることしかできない観測者でもある。

*5:『終末世界』のヒースの直接の由来は植物の方だが、この植物が多く生える英国特有の荒地もヒースと呼ばれる。

*6:検索すると「さよならだけが人生だ」という訳がよくヒットする。これは井伏鱒二による訳であるが、しかし「さよならだけが人生だ」は漢詩『勧酒』の「人生足別離」の訳出であって「life is full of good-byes.」を訳したわけではない。

*7:そういえば表4で花びらが散っているが、これは本作各 side のラストで散っている花びらと関係はあるのかというのも気になる点。