雑考閑記

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雑な考えを閑な時に記す

『シベリア鉄道9400キロ』

シベリア鉄道9400キロ

宮脇俊三

角川文庫、昭和60(1985)年10月25日初版
発表誌:『野生時代』昭和57年9月~58年4月号(11、12月号を除く6回に連載)
単行本:角川書店・昭和58年5月

1982年、37年前のシベリア鉄道の旅。

シベリア鉄道9400キロ (角川文庫 (6230))

シベリア鉄道9400キロ (角川文庫 (6230))

 

 戦前においては欧亜連絡を担ったシベリア鉄道。そのソ連時代の道行である。
 シベリア鉄道で7日(ハバロフスク~モスクワ)、横浜を出てロシア号に乗るまでに4日(横浜港~ナホトカ~ハバロフスク)、計11日の旅行記。(当時のウラジオストクは軍事関係の閉鎖都市でソ連人も立ち入りが出来なかった。)
 乗ることや鉄道の旅に興味がない人でも、宮脇さんの筆致であれば興味深く読めるのではないだろうか。

 日本ではとうてい味わえない7日に及ぶ列車の旅は出会いと別れの繰り返し。一本の列車に様々な人が乗り降りし、人生におけるわずかな乗車時間を見ず知らずの人間が共有する。また、同じ区間を乗る他人でも、食堂車で顔を合わせたり停車時間に顔を合わせたり、そうして7日近くも過ごしていれば奇妙な連帯感が生まれる。どこの誰かは知らないけれど、顔を見れば軽く頭を下げたり二言三言ぐらい会話を交わす、そういう程々の顔見知り。
 旅は道連れ世は情け。

 旅を至上の移動と心得る私にとってはまさに醍醐味のような列車である。

 

 そうそう、ロシア旅行と言えばモスパックみたいな感覚が染みついていたのだけど、(経験者の話でしきりにモスパックという単語が出てくるので)、いま検索してみたら全然ヒットしなくて隔世の感がある。

 ロシア、ソ連などのキーワードを付与して調べるとヒットする。
 が、モスパックに言及されているのはたいてい国際旅行の歴史について触れる文脈であったり、ちょっと昔の旅行記や当時の回顧録なんかがほとんどなので、いまは半ば死語なのだろう。

 もう少し調べるとモスパックを販売していた日ソツーリストビューローは、現在ではユーラスツアーズ、ユーラストラベル(ツアーズはブランド名的な扱いらしい)として存続しているようだ。
 ユーラスツアーズのホームページには個人でのシベリア鉄道乗車に関する案内があり、最大18万5000円で乗車できるようだ。

www.euras.co.jp


 すでに本筋とは逸れているが、以下はますます本と関係のない話。

 

シベリア鉄道9400キロ』に旅行費用のことが書いてある。
 飛行機が高い時代で、一人当たり約45万5000円の旅費のうち航空運賃が22万円と半分を占めている。現在はモスクワ~成田便で4万2000円~20万とかなり幅があるが、平均して概ね10万円前後であるようだ。当時も今もアエロフロート便なのは変わらない。

 

 ロシア鉄道は当時は7万6750円(一等利用)。これはナホトカ~ハバロフスクのボストーク号の分も含んだ、モスクワ・ヤロスラブリ駅までの料金。
 現在ではウラジオストク~モスクワ・ヤロスラブリまで個人手配でおおむね9万7000円程度(一等利用/2019年3月中旬現在)。ただシーズンごとにかなり変動するようだ。
 一方で上記ユーラスツアーズに手配してもらうと、手数料等で割合に上がるが、モスパック時代からロシア(ソ連)の旅行を手掛けている会社に手配してもらえる安心感はなによりも心強い。

 現在はインターネットのおかげで個人手配も十分に可能になっている。どちらがいいかは好みの問題だろう。

 

 お金はなにぶん30年前とは物価も国も違うので一概に比較はできない。ただ、諸々も込みでいくと当時と同じぐらいのお金(約45万円)があれば、ほとんど同じ行程を楽しめるようだ。
 現在ではウラジオストク(浦鹽)からの全区間乗車もできるし、北京からウランバートル経由の行路もある。

 あるいはかつての欧亜連絡をたどるように瀋陽奉天)、長春(新京)、ハルビン満州里経由でも乗車できる。もっともこれも北京発で、当時のように釜山からソウル(京城)、平壌経由のルートは国際関係で使えない。

 しかしそれを言い出すと敦賀ウラジオストク、大阪(神戸)~門司~大連の航路もないのできりがなくなってくる。
 下関からは関釜航路以外にも、大陸の蘇州行きの船が出ている。これに乗って蘇州と北京を列車でつなぐ、もしくは鳥取(境港)から韓国の東海港経由でウラジオストク行きの船があるので、それらを利用すれば船と鉄道だけで遥かなモスクワまで旅ができる。

 なんにせよ貯めて乗りたいものである。