それでも上京したやつの話(2019年10月16日:6日目:帰る)
イベントはなくなったのに東京へ行った男の話の6日目。
なんだかんだで最終日。
10月16日(水)晴れ
旅先でも始発で出る
4時ごろ起床。今日は始発で金沢を出て、在来線を乗り継いで関西へ帰る。この日だけは特にどの列車を乗り継いで、という予定は組んでいない。決まっているのは始発で出て、設定した二つの寄り道を通って日没までに大阪に着くというざっくりした内容だけであった。
金沢からは普通を乗り継いでも半日(5時間ちょっと)あれば大阪にたどり着けるので、こんなに早くなくてもよいのであるが、帰った翌日の事を考えて早めに帰っておきたかった。旅先では睡眠時間が短くなるなど、なにかと旅先での過ごし方に適応しているので、早めに帰って身体をいつもの調子に戻したい。
5時過ぎの金沢。在来線は富山行きを皮切りに各方面への始発が表示されている。関西方面への特急も早起き。5時台の特急というのが地方らしくて良い。 *1
ちなみに本当の一番列車はすでに出ている、5時ちょうど発の「しらさぎ」52号。これは終点の米原に6時56分に着く。一日目に乗った金沢行きの「しらさぎ」はこの始発列車の折り返し便である。
乗車口案内。朝に二本ある6両(青色)を除いて上りは2両ないし4両での運転。
ホームに上がるとすでに列車が据え付けられていた。G21編成。
整理券発行機はカバーで封印。
車内は最近のJR西日本の標準的な車両といった感じ近畿とか広島とか。
外はかすかに明るい。彼誰に建設中の新幹線が浮かぶ。
次第に朝が強くなってくる。
この列車は特急が停まらない各駅においても始発だが、そういった小駅のホームにもちらほらと人がいて乗ってくる。まだ夜明けの気配が忍び寄ってくるような早朝にもかかわらずスーツ姿の勤め人が多い。そういった乗客で車内が8割ぐらい埋まって小松へ。ここで大半が降りた。
小松はそこそこの規模の街だ。特急も止まるし空港*2 もある。そしていわずもがな、重機のコマツ発祥の地でもある。
列らが始発はこの駅で後続の「サンダーバード」2号を待避する。
降りた客の大半はそちらに乗り換えていった。「サンダーバード」2号は大阪に8時22分(休日は19分)に着く、ビジネス利用には良い時間帯の設定だ。大阪へ向かう一本目の特急で、金沢を出た最初の停車駅が小松なので、金沢より東の各駅から乗るにはここで乗り換えるしかない。
特急が出てほどなく我らが普通も発車。小松を出た段階では3割ほどの埋まりだが、先ほどまでそこそこ客が乗っていたので随分がらんとした印象を受ける。スーツ姿のサラリーマンがほとんどいなくなって、朝練に出ると思われるジャージ姿や制服姿の学生がぽつりぽつりと増えていく。
空が朝焼けに染まっていた。今日もいい天気だ。この旅の最中、あまり天候に恵まれなかったのは台風とその二日後の夜ぐらいである。
かなたから太陽が顔を出そうとしている。田園地帯に建設中の高架橋のシルエットが目立つ。
空に名残りの月が浮かぶのを見つけたころ、福井県に入った。
福井までずっと始発
客はそんなに増えていなかったが、それも芦原温泉まで。ここから学生や勤め人がどっと乗ってきた。この辺りからはもう福井市の通勤通学圏内となっている様子だ。福井までの各駅でどんどん乗り込んできて、2両編成ながら車内は大都会並みの朝ラッシュの様相を呈す。
ちなみにこの電車は金沢始発の普通であるが特急停車駅以外では、つまり普通しか停まらない各駅では森田駅(福井の隣駅)までの約1時間40分ずっと始発であり続ける。福井着は6時51分となるのだが、福井県内の人が福井までJRで行こうと思えば早朝はこの普通しか選択肢がない状態だ。芦原温泉駅は福井方面へ折り返せるのだから、これのひとつ前に土休日運休なりで芦原温泉からの始発を走らせられるのではないかと思う。それとも昔はあったけど廃止されたのだろうか。
福井で時間を潰す
太陽がすっかりのぼったころ福井駅に着いた。
列車はこのまま敦賀まで行くが、大勢の客に混じって降りる。客の大半が福井駅で入れ替わるようだ。東京上野ラインの東京や上野、新快速における名古屋や大阪のようなものだ。
福井駅の発車案内。昨夜に金沢で見た「おやすみエクスプレス」と対になる「おはようエクスプレス」と朝の下り「ダイナスター」がある。
北陸新幹線の福井開通を願うポスター。
ポスターの写真やタイムカプセルの車両はE2系。北陸新幹線の長野開業時の車両だが、北陸新幹線からは2017年に引退している。北陸新幹線の金沢開業は2015年だが、E2系は福井へ来ることはおろか北陸へ来ることも叶わなかった。
タイムカプセル。先ほどのポスターによれば2005(平成17)年6月4日着工を記念して、県民から応募されたメッセージ1726点、図面2935点の計4661点を封印しているという。
新幹線の福井駅開業時に開封される。封印は近い将来に解かれるだろう。
ちなみに新幹線の福井駅は島式ホームが一本のみという一面二線構造となり、県庁所在地の新幹線駅としては最もコンパクトな形に収まる。*3
夜明けの光景を撮りすぎたのでカメラのバッテリーが早くも切れそうに。節電していく。
福井鉄道の福井駅。以前は「福井駅前」駅という名でもう少し離れた位置の路上にあって、こじんまりとした路面電車然とした乗り場であったが、数年前に移転して晴れて「福井」駅となった。
今日の寄り道の一つ目だ。これに乗るために福井でJRを降りた。
が、7時台に福井駅を出る電車は一本もない。歩いて5分ほどの隣駅(福井城址大名町)まで行けば走っているが、この福井駅への乗り入れ区間に乗りたくて降りたのであるから、次の8時15分発の急行まで待たねばならない。1時間ちょっとある。気温は一桁と冬のように寒いのでJRの駅舎へ戻って時間を過ごそう。
寒い、どこで時間を潰す?
しかし高架下のJR福井駅のコンコースはなぜかドアが全開で風が吹き抜けていく。寒い。寒すぎる。もう少し歩いてえちぜん鉄道の福井駅へ。
えちぜん鉄道の福井駅は2018年の6月まで新幹線の高架を間借りしていたことで有名だ。今は自社の高架に戻り駅舎も本設のものに落ち着いている。バッテリーが危ういので写真はない。
幸いに一階の待合部分のドアがしっかり閉まっていたので寒さをしのげる。
朝のいい時間なので通学生が多く、高校生たちはそれぞれノートや参考書、単語帳を手に待ち時間でも勉強を惜しまない。熱心なものだと不熱心なおっさんは感心しきり。スマホを見ている子は数えるほどしか見かけなかった。
あの到着放送に似ている
ところで、えちぜん鉄道の福井駅の到着放送は松本駅のそれに似ている。
松本駅の語尾を伸ばす到着放送はかつては上野駅や直江津駅でも聞かれたのを覚えているが、すっかりなくなってしまった。
北陸本線 糸魚川駅特急雷鳥到着 直江津駅特急スーパーかがやき到着
「かがやき」「きらめき」のカラーリング懐かしいなあ。これも白山色も上沼垂色もスーパー雷鳥色ももういない。
朝日かがやき光きらめく余談
当時の「かがやき」は金沢と新潟の長岡とを結ぶ特急であった。同区間を新潟まで走る「北越」に比べると停車駅が少ない速達型で、長岡で上越新幹線の速達型である「あさひ」と接続して東京(上野)~北陸輸送を担っていたが、北越急行(ほくほく線)開通による「はくたか」誕生に伴い廃止。やがて北陸新幹線の速達型として「はくたか」とともに生まれ変わる。
余談の余談。在来線特急時代の「かがやき」は一部で「スーパーかがやき」と表記されることもあるが、正式な愛称はあくまで「かがやき」。この誤認は「かがやき」のヘッドマークに“スーパー”の文字が入っていたことと、「スーパー雷鳥」や「スーパーひたち」など各地で“スーパー”を愛称に含む特急の出現に惑わされたものと思われる。これは後述する「きらめき」も同じ。もっともその“スーパー”を愛称に関する特急もかなり減った。「スーパー○○」の列車愛称もまた平成の産物と言えるのかもしれない。
ちなみに金沢と米原の間にも同様の性格を持つ速達型の特急「きらめき」が走っていた。「きらめき」は同じ区間を走っていた「加越」に吸収され、その「加越」もやはり大部分で同じ区間を走る「しらさぎ」に吸収されて今にいたる。
まとめると当時の首都圏~北陸で最速輸送を担っていたのは、上越新幹線の「あさひ」と接続する「かがやき」と、東海道新幹線の「ひかり」に接続する「きらめき」であった。これらを続けて読むと「あさひ」「かがやき」「ひかり」「きらめき」(朝日かがやき光きらめき)となる、なんとも味わい深い愛称だ。
元々走っていた新幹線の「あさひ」と「ひかり」に接続する特急の愛称にそれぞれ「かがやき」と「きらめき」をあてがい一つの文章にする発想というか着想というか、この考案センスはまことに素晴らしいと思う。いまでは東京で出会う「ひかり」「かがやき」だけになってしまった。
福井鉄道に乗るよ
ホームの縁でトンボが日向ぼっこをしていた。この冬を越せるだろうか。
急行の越前武生行き。地方鉄道の優等種別はとても貴重だ。
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ドアが開くと同時にドア下のステップも開く。昔はもっと背の高い車両が走っており、二段のステップが展開していた。
朝の郊外へ向かう急行はがらがら。
急行なのでいくらかの駅を通過する。するのであるが、通過駅でも普通との行き違いのために3分ほど運転停車をする。急行が普通を待つって、逆なんじゃないですかね。これがあるからほとんど急いで走っていない。帰ってから時刻表を見るとまさにその通り、急いで走らない急行であったとわかった。
急がなくても急行
時刻表を見てほしい。
福井鉄道の時刻表より引用(電車時刻表|福井鉄道株式会社|福井県の鉄道会社・福鉄(ふくてつ)のホームページ)
枠で囲った真ん中が乗った急行。その12分前(「福井城址大名町」時点)に普通があるのだが、終点でその差は9分になっている。3分しか縮めていない。急行の10分後にも普通が走っているが、終点での差は13分に開いている。
12分前の普通が9分前まで縮まり、10分後の普通が13分後に開く。要するに急行は普通より3分早く走っている。この区間19.6kmで22駅、停車駅の差は10駅で3分の差。ほとんど急いで走っていないと言っても過言ではないだろう。いかにも地方鉄道らしい急行と言えて私は好きだ。もう少し早く飛ばしてほしいけれど。
ちなみに先行する普通列車は面白い列車でもある。始発駅時点で僕が乗った急行の4分後に発車するのだが、福井駅には乗り入れない関係で福井城址大名町駅(福井駅の隣駅)で12分前を行くような逆転をして、実質的に急行を追い抜いている。急行からすれば福井駅に寄っているせいで4分後の普通に抜かれ、あまつさえ10分近くの先行を許してしまったともいえる。
これは福井鉄道の福井駅が、本線から一駅だけ分岐しており、その分だけ寄り道の形になってしまうためだ。そのため他の列車についても、福井駅に寄っていくものは寄らないものに比べて15~16分近く余分に時間がかかっている。
武生駅
早かろうが遅かろうが走ってさえいればいずれ終着駅には着く。
9時9分、定刻通り越前武生駅へ。
元は「武生新」駅といったが改称されている。
ちなみに福井市側には「福井新」駅というのもあったが、こちらは「赤十字前」駅と路面電車やバスの停留所みたいな名に変わっている。さらに国鉄(当時)武生駅に隣接していた福井鉄道南越線(1981年廃止)は「社武生」駅と名乗っていた。*4 こういう独特の付与は地方鉄道らしい。ちなみにこの「社武生」駅は元々「新武生」駅で、これがあったため現在の福武線は「武生新」駅と、新を後に着けていたのではないかと思われる。
※南越線は前の記事で紹介した本で書かれている。
越前武生駅は列車別改札。発車時間に間があると改札口が締め切られる。
構内に残っていくらか撮影したかったが、駅員が改札が立って最後に降りた私を待っている。待たせるのも悪いと思い清算するとそのまま改札が締め切られてしまい入れなくなった。撮影したい旨を告げて入れもらおうかとも思ったが、そこまでする気になれず、次にここから乗る時でいいかと思い直しJRの武生駅へ歩く。始発駅がJR駅から少し離れているのも地方鉄道らしい。現役だと静岡鉄道や遠州鉄道、長野電鉄など。西武新宿駅もその一種だ。
相互の駅間はアル・プラザ武生を挟んで徒歩3分ほどで行き来できる。福井鉄道からJRへの接続は程よく、武生駅9時31分の敦賀行きにはゆっくり間に合う時間だ。
敦賀まで始発と同じ車両で
やってきた福井発の敦賀行き普通の車内はほぼ満席であった。大きな荷物を持ったお年寄りのグループが多い。そこに混じって高校生がちらほらといった様子。18きっぷシーズンでもないのに盛況なことで、地方の路線として良いことだと思う。ここから敦賀までは山を越える区間があるので、お年寄りの団体はおそらくそのまま敦賀まで乗り通すのだろう。
と思っていたら、日野川沿いの平地がほぼ尽きる湯尾駅で一斉に降りて行く。
ああ、あの荷物は登山だかハイキングだったのか。気温も寒いので普通の防寒着だと思っていたが、山歩き用のものであったか。
グループでこれからどこかの山に登るのであろう。あるいは湯尾駅から北陸本線の旧線が分岐しているので、そちらの旧線跡を歩いて敦賀まで行くのかもしれない。この時間ならば敦賀には明るいうちにたどり着けるハイキングになるだろう。北陸本線の旧線については1日目で触れた。北陸トンネル開通前、山中越えと呼ばれる勾配が連続する汽車にとっての難所だった。いまはほぼ全区間が福井県道207号線になっている。
3割ほどの乗客で北陸トンネルを8分で越えて敦賀に10時5分着。
福井~敦賀間は1時間に3本は特急が走る区間であるが、昼間であれば普通は上手いこと合間を縫って走るので特急には追い抜かれない。福井や敦賀といった大きな駅で次の区間の列車に乗り換えるタイミングで特急が抜いていくダイヤだ。良く組まれていると感心する。
敦賀まで世話になった列車を撮影しているとあることに気づいた。
これ、G21って書いてある。金沢から福井まで乗った敦賀行きの始発と同じ編成ではないか。ということは僕が福井で時間を潰し福井鉄道に乗っている間に、この編成は(金沢→)福井→敦賀→福井→(武生→)敦賀と一往復していたのだ。
運用を調べればすぐわかることであるが、別に僕はそこまで調べて行程を組んだりはしない。なんとも不思議な邂逅もあったものだと感じ入るばかりである。
寄り道、福井といったらかつ丼
敦賀まで来れば関西まで新快速で一本、大阪までは2時間もあれば行けてしまう。しかしせっかく敦賀まで来たのだからぜひ「あそこ」へ寄らねばならない。
駅舎をぶらぶら歩いて駅前のバス乗り場に出ると、ちょうどバスが出て行ってしまった。次のバスは1時間後。休日なら30分後にあるのだが、1時間待ちはもったいないな。他の系統のバスは、と駅舎にあるバス停の時刻表を見ると、1分後に出るバスが……、あ、いま目の前のロータリーを通過していってしまった。
2連続でバスを見逃してしまうとは、なんたることか。
やむを得ない、歩く。
アーケードの大通りをてくてくと、気比神宮の前を通過する。ここは2年前にも見ている。
やがて見えてきました。周囲よりひときわ高い洋風っぽいビルが。
というわけで、敦賀といえば敦賀ヨーロッパ軒。ここへ来たら寄るしかないのだが、11時開店なので少し早かった。
このビルは駅から20分ほど歩いたところにある本店。駅の近くには徒歩5分ほどの駅前店があるのだが、僕はこの本店のビルが好きなので、可能な限りこちらに足を運んでいる。
もっとも今日は敦賀ヨーロッパ軒の暖簾元である福井のヨーロッパ軒へ寄りたかったのである。だが開店が同じく11時からで、そこへ寄ってからだと帰りが暗くなってしまうため、今回も関西に近い敦賀ヨーロッパ軒の来訪となった。
外で待っているとご老人が入っていく。もう開いているのだろうかと後をついて2階へ上がる。この店の1階は誰もいないホールになっていて、食べる場所や会計などは2階で済ませる。
先に入ったご老人がレジ前の椅子に座っていた。おそらく常連客なのだろう。勝手知ったる風である。一方の僕は大きな荷物を抱えたいかにもな観光客。外で待っていた方がよかっただろうかと戸惑っていると、お店の方が出てきて「中でお待ちになって」という。ありがたくご厚意で上がらせてもらう。
敦賀ヨーロッパ軒の本店は人が少ない時はどこにでもかけていいように案内される。座敷に上がらせてもらいくつろいでいると、まだ11時ちょっと前なのに注文を取りに来てくれた。というわけでさっそく注文。
朝は食べていないが、少し早めのお昼にしよう。
チキンカツ丼大盛(カツ、飯大盛)
カツ丼。福井県なのでもちろんソースかつ丼。でなければ、敦賀ヨーロッパ軒で食べる意味がない。ご飯にソースが沁みていていいんだ。
チキンカツは脂身が少なくて。美味しい!
カツ丼も食べていきます。こっちは脂身がいい感じ。美味しい!
ちなみにカツ丼には特製カツ丼もあって、こちらは脂身がカットされているので、さっぱり食べやすくなっている。それも美味しい。
そこそこの量だったので食べるのに意外と時間がかかったので、まっすぐ駅へ戻る。
青い新快速の表示を見ると関西圏へ帰ってきたという感じがする。のだが、新快速の記憶がさっぱりない。湖西線から琵琶湖を見た記憶もない。
いい感じに帰ったのであろう。
というわけで関西へ戻った感慨もほとんどなく、一連のレポートをあっさりと終える。
長々とありがとうございました。