雑考閑記

雑考閑記

雑な考えを閑な時に記す

真面目にコツコツ当たり前

 経験談

 

 多くの人にとって就職活動というのは人生の一大事だろう。

 志望先や大きな目的が定まっている人にとってはそれも一つの通過点に過ぎないのだろうが、そうでない人にとっては受験よりも苦労する壁なのではないかと思われる。

 

 自己アピールなどは特に悩む箇所だろう。

 わけても自己肯定力が低いタイプ、自分に自信がないような人や、何か表彰されるようなことを成し遂げたり成功体験が圧倒的に少ない人なんかは、自分の何をアピールすればいいのかがさっぱりわからなかったりする。

 自分の悪い点はいくらでも見つかるが、良い点などなにもない。

「短所も見方を変えれば長所になる」という助言はもっともなのであるが、それができないから悩んでるんじゃねーかバーカ、と憤ってしまいたくなるほど思考が内に傾く。

 

 そういう時にない知恵しぼって「真面目にコツコツ取り組む」とか「与えられた仕事や課題に最後まで取り組みました」とか「何事にも全力を尽くします」なんて書いて、ひとつ山を越えたと勘違いしてふうっと一息く。

 

 

 しかしである、現実としてその記述内容はそもそも誇るべきことではないし、わざわざ書くべきことでもない。

 

 もちろん「真面目」は不真面目よりはいいだろう。

 だが、ちょっと考えてみてほしい。

 この社会が成り立っているのはなぜか、と。

 

 それは数えきれないほどの真面目な人が日々の勤めを果たしているからだ。そうでないなら毎日電車は動かないし、頼んだ荷物も届かないし、犯罪者も野放しになってしまう。

 この社会は真面目な人が多数を占めるから、不真面目な人間が良くも悪くも目立つわけだ。そして、そういう目立った人々がいてしまうがゆえに「真面目」を誇るべき点だと誤認してしまう人も出てきて、そして悲しいかな「真面目」の落とし穴にはまってしまう。

 真面目な人の働きで成り立つ社会なので、採用する側にとっても「真面目」に「最後まで取り組」んで「全力を尽くして」もらうのは所与の条件でしかない。

 

 要するに世間は真面目に勤める人を前提に成り立っているから、「私は真面目です」などというのは何のアピールにもなりはしないというお話。

 そこに気付かないでいると履歴書や書類選考の時点でどんどん落とされる。

 

 世間は真面目で成り立っている。

 それに気付いて初めて就活のスタート地点に立ったといえよう。

 

 そんな簡単な事実をほんの数年前にようやく気付いた愚鈍な男もいる。